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骸骨と少女  作者: きてつれ
第二章 骨女編
8/10

<第八話> 夢現

<<登場人物>>


倉井戻くらいれい】:骨を全て殺すことを目的としている青年。しかし、本人はまだその意味や生じた訳を理解していない。主な能力は、回復。


【エンリ】:旧首都東京で戻と出会った少女。オオカミのような風貌だが、骸骨によるためかも? 主な能力は、牙、爪である。


晴山氷はれやまこおり】:戻の同僚で六つ上。普段は忙しそうにしており、あまり付き合いがいいとは言えない。鋭い目つきをしてしまいがちだが、本人はそこまで睨んでいるつもりはない、主な能力は、氷、雪である。


 狂骨による大規模な事件から一か月が経った。年の瀬が近づき、寒さも一層増してきた十二月中旬。今日から戻とエンリは氷とともに仙台市周辺の調査任務を行う。軽装備でも調査自体は可能だったが、念を押して雪山の装備をするように氷に言われる二人だった。戻はエンリに雪山の重層な装備を着させる。ニット帽を被せるもとこからピョコっと髪が耳のように出てきた。


 飛行機で向かうこともできたのだが、空港が未だ復旧作業中であり、戻としても密室で話したいこともあったため、車で向かうことにした。飛行許可証を宍戸から貰い、車の最終チェックを行った。氷と戻が確認作業をしている間、エンリは戻から与えられたお菓子を食べていた。


 山梨の高速道路から飛び立ち、規定の高度まで上昇した後に車は自動航行モードへ移行した。エンリは窓に手を当てて、外を眺めていた。戻と氷は席を反転させる。氷が助手席から水を戻に渡した。


「戻、この前の骨についての質問に答えてあげるよ。まぁ、その前に政府の話をしなきゃいけないけど」


「ほんとですか! お願いします」


「通信系の話からしようか。一般には第四次、第五次世界大戦の影響で衛星の数が減少し、ネットやGPSなどを制限されている、そんな認識だね。だけど、実際は居住区画に限っては変わらず使用できる」


「そうですね。みんな当たり前のように使ってます。ゲームとか」


「農業区画や工業区画も同様だね。何かと今は繋げなきゃいけない。この車もそう。衛星が無ければ自動で航行するのは難しい」


「じゃあ、衛星の数は減っていないってことですか?」


「確かな情報は得られないが、今ある事実だけでも嘘だと見た方がいい。勿論否定してくれてもいい。人口減少や基地局の数、戦争による技術の退化、色々言いようもある。話は変わるけど、昔の人口は一億を超えてたって知ってる? 不思議だよね。今はその四分の一程度しかいないなんてね」


 戻は下を向いた。


「うーん、その衛星の数っていうのが骨とどう関係するんですか?」


「まぁ、そう焦らない。人間を管理するには監視網、隔離政策、居住制限、といったシステムが必要で、それを支える一つが衛星だ」


「それで衛星を最大限それに使用している、と?」


「そして、問題なのがその方向性。一般人に害がなければいいけど、実際の政府の中枢の人間はこの地の人間じゃない。何を企んでいるのかも分からない。お金のためなのか、見栄のためなのか、他にあるのか……」


 戻はしばらく考えた。あの青年、浦部の目的は革命だった。現政府を倒して、妹の仇を取り、方法は暴力的だったが、政府運営を自分たちで行おうとしていた。現政府が人間を見ていないから。だが、骨についてはあまり知らない様子だった。狂骨はただ壊しただけだった。それもただ自分が楽しいと思うものを。骨を制御している人間がいるとしても、あの様子だと考えられない。一矢は政府の闇を暴こうとしていた。妹が一矢の任務中に暴漢に襲われ、遺体で見つかったことから不信感を抱き始めて、それで……。ネッ友から教えてもらっていたのをよく聞いた覚えがある。


「氷さん。狂骨も言っていたんですが、骨の方が政府にとって都合がいいですかね? だから公表しなかったり?」


「そうだね。都合は良いのかもしれない。真相はまだわからないけど。さっきのだけじゃ分からないだろうから、もう一つだけ話そう。戦後に定められた『存在権』の中で、今この世に蘇った人間がいると思う?」


「『存在権』ってあの自殺権とか電脳権のやつですよね? あんまり詳しくないんですけど、いるんじゃないんですか? 自殺権以外なら」


「自殺権にも二種類あってね。永久的自殺権と保持的自殺権の二つ。違いとしてはクローンの有無かな。それで、存在権にある自殺権、冬眠権、電脳権を行使した人間で、この世に戻ってきた人間はいない。一人として」


「でも、死にたい人が選択するんですよね? だったら帰らない人がいてもおかしくないんじゃ」


「勿論、その可能性もある。けど、帰れるはずの肉体がない、としたら?」


 戻は言葉が詰まった。


「……本当なんですか? だとしたら、夢の中から出られないようなものですね。気持ちよく眠ったまま、あるいはゲームをしながら、気づかぬうちに死ぬんですか」


「ただ重要なのはこの先だ。肉体はどこへ行ったのか、という疑問が浮かび上がる。入るはずの墓にはなく、骨すら残さずに消える。何も土の中に入っているのではないのに」


「……ホラーですね」


 エンリがクッキーをボリボリと食べながら口を挟む。


「骸骨にでもなるのか?」


「エンリちゃん、知ってるの? まぁ、そんなところなのかな、くらいだね。私から言えるのは。全員がそうなる訳でもないからね。骨と政府の繋がりとか発生源とか、あとは自分で調べて結論を出してね」


「はい。謎が増えるばかりです。知れば知るほどどうしようもない感じがしてきますよ。ホント。政府が人間を骨にする理由も分からないし、管理する目的もはっきりしない」


「まぁ、簡単なところだと、行方不明者を追っていくと分かるかも。勧められないのは孤児院だね。そういった一つの事が良くも悪くも集まって利益を貪る形になったのが、政府なんじゃないかって思うよ。誰のためなのかな、まったく」


 難しい顔をして考え込む戻の口に、エンリがクッキーを詰め込む。


「ほら喰え、レイ。難しく考えても一緒だろ。喰え、喰え」


 戻は口の中の水分をクッキーに吸い取られて、ぱさぱさになった。そこへ水と流し込む。


「ふふ、でも戻は変わったと思うよ。エンリちゃんと出会ってからなのかな。一矢を亡くしてからなのかな。前までは知ろうともしなかった。真実を知るのが怖かったのかな?」


「そうかもしれません。知ったところで、とも思ってました。自分でも不思議です。靄があることに何の疑問も持たずにいた感じでした。それにすら気づかないなんて」


「情報統制の影響かもしれないね。嘘つき政府の。私達も言えたことじゃないけどね。普通に骨の能力とか偽っているからね。どっちもどっちさ」


「えっ、そうなんですか」


「うん。私とか体をやや冷やせるくらいの能力だと報告しているよ。香凛なんてライター程度の火を一瞬熾せる程度の能力って言ってるからね」


「ライターなんて比じゃないぞ、あれは」


 氷はエンリを膝に座らせ、頭を撫でる。


「エンリちゃんとか、拳が固くなるとか体を柔らかくするとかそんな能力だって報告されてるよ。そんな弱くないもんねー」


 エンリは撫でられながらドヤ顔を戻に見せつける。


「でもいいんですか。虚偽報告なんかして」


「いいの。どうせ向こうもできれば早く死んでほしいなってくらいには思ってるから。弱く見せておけば、危険な任務にも許可が下りやすい」


「なんか、日村さんも同じようなこと言ってました」



    ◇



 山が白く覆われている。車内は暖房が効いていて、外の凍える寒さも厳しい雪の環境も、他人事のように綺麗だと流しながら見れた。そんな弛んだ気分をナイフで刺すように、エンジントラブルが発生した。


 氷が自動航行システムの停止を試みるも、システム自体が許可を出さない。通信も連鎖的に故障して使えなかった。


 車が姿勢を崩す。車内が大きく揺れた。エンリはきゃっきゃと遊具で遊ぶ子供のように楽しんでいた。


「そんな場合じゃないのに!」と戻は揺れる車内で墜落の恐怖感を抱きながら思った。


「墜落する! 戻! エンリちゃん! 私に掴まって!」


 山の斜面が迫ってくる。禿げた木々が車体の底と接触して、がりがり、バリバリッ、と嫌な音を立てた時、氷が能力で車全体と車に触れていた木を瞬時に凍らせた。


 三人は慣性のまま正面の窓ガラスを破り、車の外へと放り出された。氷は周囲の雪を操作して受け身を取った。エンリは身軽に一回転して木の上に乗った。戻はそのまま地面の雪に頭から突っ込んだ。


「レイ、大丈夫かぁ? 車って結構楽しい乗り物だな」


 エンリの調子の良さそうな声を聞いて、戻は雪から顔を出し見上げる。


「楽観的でいいな、全く。氷さん、車はどうなりました?」


「今、下ろしてる」


 操作した雪で車をゆっくりと下ろす。


 車内は冷凍されたように冷えていた。戻は食料を入れた袋を持とうとしたが、張り付いて動かなかった。自分の銃も凍っていることに気づいて取ろうとしたが、粉々に割れてしまった。氷は機械の方をいじっていたが、死んだように反応しない。


「ミスったな。能力を強く発動しすぎた。余計にボロボロにしちゃった。……寒さ除けにもつかえそうにない。食料の方はどうなってる?」


「この通りです。あっ、袋の上が砕けた。でも、エンリの炎なら溶かせますよ」


「あー、だとしたらもうダメだ。能力で戻らない」


「マジですか。……遭難ってことですよね? 場所も分からない」


 二人の間に沈黙が流れた。戻はすぐさま切り替える。


「一応、雪山用の装備で良かったですよ。それで、どうします? 一旦、開けた場所に出ますか?」


「そうだね。山の麓か谷に向かって、集落があることに賭けよう。はぁ、しまったな……」


 エンリは足をぶらぶらさせて、先の事故をまるで絶叫アトラクションに乗った後の余韻に浸っているようだった。


 戻がエンリを下から呼びつける。エンリは飛び降り、戻は抱きかかえる。エンリの頬はぽうっと赤くなっていた。


「どうすんの?」


「山を下りつつ、集落を探す。最悪、かまくらでも作って雪風を凌ぐ」


「幸いにも雪はそこまで強くないね。今の内に移動しようか」


 勾配が緩やかな斜面を縫うように下っていく。辺り一面は木々と雪ばかり。股下まで雪が積もり、足を取る。寒さが耳や鼻を刺す。


「氷さん。ここってどこら辺なんですかね?」


「落ちる寸前に燧ケ岳付近を航行してたから、たぶんその辺りかな。戦前までは観光ができていた場所だから、もしかすると廃集落があるかもしれない。ただ、警戒はするように。非居住区画だと知っていて住んでいる者もいるからね」


「そういう人に会ったこととかあるんですか?」


「あるよ。攻撃してくる人もいる。でも、そこで生まれたから住み続けたいってだけの人たちばかりだよ。私たちは捕まえに行くわけじゃないからね。事情を話せば大丈夫だよ」


 エンリが戻の背中に雪玉をぶつけた。戻は呆れたように言った。


「雪は見たことがないのか? 今は遭難中なんだぞ。無駄な体力は使いたくない」


「まぁ、そういうな。前、見ろ。電柱だろ? あれ。近くに家があるんじゃないのか?」


 寂れた電柱が一本だけ立っていた。電線は切れているのか、見当たらない。


「電線が繋がる方に沿って歩こうか。下りの方なら集落があるのかも」


 三人は電柱を目安になだらかに続いていく雪道を歩いてゆく。


 エンリがもう一度、戻に雪玉をぶつけた。


「エンリ~。普通に呼べないのか? 今度は何だ?」


「水の音。近くに川があるぞ。ほら、右側から」


 氷が一人で右側の斜面を下っていく。確かにそこには小川が流れていた。氷が二人の元へ戻ってくる。


「もう少しだけこの道に沿って行こうか。川も小さかった。エンリちゃんの耳があるから、大胆に行こう」


 しばらく進んでいくと、大粒の雪が降り始めた。視界が一気に悪くなる。氷が二人の近くに寄る。


「川に沿って行くよ。エンリちゃん、音は聞こえる?」


「うん、変わらず右側から」


 三人は斜面を下りる。視界は悪かったが、川がしっかり流れているのが見えた。川辺は雪が解けていて、石や岩が見える。三人はそのまま、川筋のうねりに沿う。木々の隙間を掻き分け進むと、氷が立ち止まった。


「よかった。一晩は明かせそうだ」


 二三階建ての大きな木造の家があった。屋根には雪がこんもりとのしかかり、氷柱も鋭く牙を出していた。


 中の様子を伺うが、人はいなさそうだった。壊して入るのも忍びない、と戻は思っていた。氷が雪で階段を形成し、川辺から少し上り、入口を見つけた。入口には暖簾が掛かっていた。


「すみませーん。誰かいますかー。遭難してしまって、とめてほしいのですがー」


 氷が戸を叩いている時、エンリは雪で遊んでいた。大きな雪玉を作っている。


「いなさそうですね。無理にでも入りますか?」


「いや、空いてる。一応、臨戦態勢ね。私の前には出ないように」


 戸を開け、中に入る。屋内は暖かく、明かりも点いていた。人の住む雰囲気であった。氷がもう一度、大きい声で呼びかける。


「すみませーん! 誰かいますかー!」


「はーい」


 手前の角から若い女の人がひょっこりと顔を出してきた。長い黒髪に、着物姿だった。


「どうされました? こんな真冬の時期に」


「車の故障で遭難してしまったんです。今晩だけでも泊めてもらうことはできますか? 明日にはすぐ出て行きますので」


「それは災難でしたわね。わたくしとしましても、泊まる分には構いませんわ。それで、お二人ですか?」


「いえ、もう一人、女の子が」


 戻はエンリを呼び、中へ入れる。外には既に三段の雪だるまが完成していた。


「あったかいな。ここで寝るのか?」


 戻はちらっと女の人を見る。ニコッと笑って、「愛らしい子ですわね。では、どうぞ。部屋へ案内します」と優しく迎えてくれた。



   ◇



「少し埃っぽいですが、こちらの部屋とそちら部屋を使ってください」


「あっ、すみません。三人一部屋で大丈夫です」


「ご家族でしたか」


 氷は頬を赤らめてやんわり否定した。エンリが構わず部屋の中へ入ると、そこにはお人形みたいな少女が座っていた。歳は十に満たない感じで、黒い髪に花柄の着物だった。


「お姉ちゃん、誰?」


「お前こそ、誰だ?」


「咲月、ここにいたの。すみません。私の娘です。すぐどこか行くのだから……」


 咲月はそそくさと部屋から出て行った。


「可愛らしいお嬢さんですね。エンリとは歳が近そうだ。って、もう寝転んでるのか」


 戻もエンリの隣に座る。


「よろしければ、夕飯をご一緒しませんか? わたくしたちも中々、他の人と話す機会がないものですから」


「有難い限りです。ただ、金銭をあまり持ち合わせていないものですので、どうお返しすればいいのやら」


「構いませんわ。わたくしが泊めたくて泊めているのですから。食事もわたくしが一緒に取りたいだけですので、お金はいりません」


「本当に、ありがとうございます」


 氷は深々と頭を下げた。戻も軽く頭を下げる。


「いえいえ。わたくしも今夜の食事が楽しみですわ。あぁ、それと、わたくしのことは『光葉』とお呼びください」


 そういうと光葉は廊下をすたすたと歩いていった。入違わなかったのか、咲月がひょっこりと顔を出して三人の様子を伺っていた。


 エンリも咲月の目線に敏感で見つめ返している。


「遊んできたら?」


「いい。興味ない。それより、お腹空いた」


「ふふ、すごくこっち見てるね。……どうしたの? 遊び相手でもしてあげようか?」


 咲月は首を横に振った。嬉しいからなのか、寂しかったからなのか、はにかみながらも目はどこか虚ろを隠しているようだった。そして、すっとどこかへと行ってしまった。


 光葉がバスタオルを何枚か持ってやってきた。


「皆さん、よろしければお風呂に入ってきてください。心身ともお疲れでしょうから、癒されますよ。近くに温泉が湧いておりまして、入れる人数は限られてますがぜひ使ってください」


「じゃあ、先に二人で入ってきてください。僕はここで待ってますから」


「戻、三人で行くよ」


「へ?」


「エンリちゃんもその方がいいよね?」


 エンリは首を縦に振る。


「でも、流石に一緒には入れませんよ。というか、男女で分かれてるからいいのか」


「戻、意外とむっつりだね」


 氷の発言に光葉は微笑んでいた。


「混浴ですので、大丈夫ですよ?」


 氷と戻の二人は黙ってしまった。三人分のタオルを光葉から渡された氷は耳が赤かった。戻も「大きい風呂なんて造れないよな」と見てもいない風呂場に納得していた。


「ここからすぐの川辺にありますので。ではごゆっくりどうぞ」


 エンリが颯爽とタオルを取って行ってしまった。それを戻と氷はぎこちなく追いかけた。


 雪はしんしんと降っていた。


 氷が作った雪の階段から川辺に出て、少し進んだ先に木造の小さな小屋があった。外観、内観ともに綺麗な状態だった。エンリが素っ裸になって先に温泉に浸かった。戻と氷は恥ずかし気に温泉に浸かった。


 戻は壁の方を見ていた。


「戻、警戒心が無さすぎるよ。一緒に風呂に入るのは戻のためでもあるからね。一人で襲われたりしたら誰が助けるのかな?」


「そういうことですか。確かに気を抜いてました」


「(そういう氷さんも警戒心が無さすぎるよ。下手に振り返ったりしたら見えそうだよ。さっき見えてたし)」


「でも、三人で入らなくても……」


「湯冷めしたらどうするの? それに日村さんから聞いたよ。エンリちゃんと一緒に入ってるって。なら私も問題ないでしょ?」


 歯切れの悪い答えで返す戻。実際、ここ最近は香凛がエンリのお風呂の世話をしていた。そのため、戻と入るのは三日に一回程度だった。


 エンリが戻に近寄る。


「恥ずかしがり屋だなぁ。レイ。いつもみたいに堂々としていればいいのにぃ」


 戻は目のやり場に困って、ますます壁を凝視していた。


「(大胆すぎるんだよ、お前は)」


 身体が温まってきた頃合いで氷「先に上がるね」と湯船から出た。すると、何の変哲もない床で足を引っかけて転びそうになった。戻は咄嗟に抱える。微かに柔らかな感触が戻の腕にはあった。氷は耳を真っ赤にして「ありがとう」と小さくお礼を言ってからそそくさと更衣室へ逃げて行った。


「意外とドジなんだな。コオリは」


 エンリも湯船から上がり更衣室へ向かった。戻はもう少しだけ湯船に浸かることにした。


 雪がほろりと降る。湯気が立ち昇る中、三人は来た道を辿った。辺りはすっかりと暗くなっていた。


 部屋に戻ると料理が並べられていた。光葉が目を瞑り、凛々しく正座して待っていた。三人が来たのを見て、嬉しそうに出迎えた。


「皆さん! ささ、座ってください。食事に致しましょう!」


 それぞれ席に着き、手を合わせていただきますと言った。


 エンリは手で掴みそうになるのを堪えて、箸で食べていた。光葉はその拙い姿を微笑ましく見ている。


「エンリちゃんはお箸を使うのが苦手なんですね。お好きなように食べてください。格式高い場ではありませんから」


「だってさ。あんま汚すなよ」


「いいよ。箸で喰うもん」


「光葉さん、料理がお上手なんですね。とてもおいしいです」


「お口に会ってよかったです。ええと、氷さんでしたか?」


「はい、晴山氷といいます。こっちが倉井戻で、エンリちゃんです」


「エンリ……?」


 咲月が不思議そうにエンリの名前を呼んだ。


「何だ?」


 咲月は下を向く。なよなよしい様子にエンリは少しばかり苛立ちを覚えた。


「それを寄越せ! 嫌ならはっきり言うんだな!」


 エンリは咲月の魚を奪おうと箸を伸ばした。咲月はじっと耐えている。エンリは中々、魚を奪わない。


「そうやってじっとしてても喰い物にされるだけだぞ? はっきり言えばいいのに……」


「……取らないで。……取らないで! これは私の分だもん!」


「……それで、何で私の名前を呼んだ? 何があるならここのレイに聞け。名付けた本人だ」


 エンリは箸を置いて、自分の席に座る。


「そうだよ。咲月ちゃん。俺がこいつの名前を考えたんだ。何か気になることがあるなら遠慮せずに言ってね?」


「……ううん。ただ名前が聞き慣れなくて。ごめんなさい……」


 エンリは何とも言えない表情をしていた。怪しんでいるようなあるいは起こっているような。


 氷が箸を置き、真剣な目で光葉を見る。


「ここに住んでいるんですよね? 不躾ですが、どうしてですか?」


 光葉は静かに答える。


「ここの生まれですから」


「一応、私達は立場的に政府側の人間です。勿論、あなたたちを捕まえることなんて致しません。ですが、非居住区域に住むということはそれ相応の覚悟が必要です」


「ええ、知っています。周りの人たちも知っていてここに暮らしています。逃げてきた人たちも中にはいますから。何をされるのか、知ってはいるつもりです」


「なら……いえ、止めておきます。ここで暮らすことが否定されていいはずがありませんよね。ですが、忠告はさせてください。政府はあなた方を非国民として扱います。気を付けてください」


「ふふ、お優しいのですね。政府のお役人さんではなくて? 車なんて中々に聞かない言葉ですから、初めはわたくしも警戒しておりました。ですが、子供がいるとなれば話は別ですから」


「んあ? 私は子供じゃないぞ」


 戻は「そういう反応が子供っぽいんだよ」と思いつつ、氷の任務報告でそういったことを聞いたことがないため、驚いていた。


「氷さん。そんなバカな話があるんですか? 非国民だなんて……」


「あるよ。任務先でよく集落とかの調査を一人でやってるからね。逮捕がマシな部類に入るくらいだよ」


「闇から闇へですわ。都合の良い存在を演じなくては生き残れないほどの……。……冗談ですのよ?」


 低めのトーンで語るばかりに、戻は光葉の話に冷や汗をかいていた。


「ですが、この辺りは平和ですわ。何にも追われない。闇なんて寄り付きません」


「それはよかったです」


 エンリはすでに食べ終えていて、座布団の上で丸まっていた。戻は自分の分が少し喰われているのを見て、エンリのほっぺを摘まんだ。



    ◇



 食後の談話はゲームの話題だった。


「すごいですわね! 最近のゲームは。まるで夢を見るようなではなく、夢を操れるのですか! ですけど、夢現になりそうで怖いですわ」


「最近では町へ出歩かない人も増えました。その分、自殺者も。そのまま電脳世界へ行ってしまう人がいるんですよぉ」


 氷は怖がらせるように言った。


「夢の中に居続けるのですか!? それは恐ろしい。わたくし、ゲームをやってみたかったのですが、末恐ろしくてできませんわ」


 光葉はわかりやすくおろおろと怖がって、手を胸の前で合わせていた。


「いやいや、適度にハマる文には問題ないですよ? いい夢を見れるんですから」


 エンリは咲月とじゃれ合っていたが、ふっと戻のひざ元に転がる。そして戻を見つめながら、手を伸ばして首元を撫でるようにやさしく掴んだ。


「でも、死んでしまった愛しい人には会えないんですよね。作る人を選べないのは残念ですわ。そういった夢ならば逃げたくもなるでしょうに」


 皆が黙ってしまった。


 氷が沈黙を切り裂き、静かに話し始めた。


「そうですね。愛しい人からの愛情を得られるのなら、願ってもないことです。だから、みんな自分のお墓で寝てしまうんです。逃げて、逃げて、逃げ続けても最後には立ち向かわなくてはならないのに……。楓も……」


「氷さん。それって前に言ってた同級生ですか? その、自殺権を使ったっていう……」


「そうだよ。冬眠権を使ったんだ。家族はもういなかったんだけど、恋人が死んでしまってね。それで、もう眠ってしまおうって。でも体が無くなるのは怖かったんだろうな。……って、こんな暗い話をしたかったわけじゃないんだけどなぁ」


「そうですわね。暗いお話はここまでにしましょう。それでは一度、片付けましょうか。しばらくお待ちください。あとでトランプでもしましょう」


「私も手伝います」


 食器をまとめて、光葉と氷、咲月は下へ降りて行った。エンリは天井を見つめている。


「なぁ、レイ。最初に言い合いになった時のこと、覚えてるか? 逃げろっていた時のことだ」


「え? あぁ、そういや言ってたっけ。それがどうした?」


「あの時、レイが逃げ続けてたら今頃どうなっていたのかなって思って。死なないにしても、いつも通り骸骨喰って生きてたのかな」


 戻がエンリの髪をわしゃわしゃと撫でる。


「あの状況で生き延びれる自信があったのかよ。……僕もあの時、振り返らずに逃げていたら、どうしてたんだろうな。でも、こういうのを巡り合わせって言うんだろ? 逃げないから今の僕らになってんだろうな」


「逃げんなって言った方が良かったか? まぁ、死んでも言わないけど」


「さぁな。でも氷さんの言う通りだとは思う。結局、いつの日かは立ち向かわなきゃいけなくなる」


 エンリが天上へ手を伸ばしている。戻は手を掴み、引っ張って起き上がらせた。


「あのミツバって人、きな臭いな。隠し事でもある感じだ」


「誰だって隠し事の一つや二つあるだろ」


「うん、そうだ。だから別に構わない。悪意があるって訳でもないし。骸骨のにおいもあまりしない」


 風が窓を鳴らした。


 氷さんが部屋に戻ってきた。少ししょんぼりとしている。


「お皿、割っちゃった」


「怪我とかしてませんか? 治しますよ」


「いや、怪我はないよ。それでもう少ししたら光葉さんが来るからね」


 氷も大分、気が緩んできていた。


 そんな和やかな雰囲気を冷冽な風が体の芯まで凍らすように。廊下で光葉の悲鳴が上がった。


 三人が廊下に出ると、大きな人型の怪物が光葉の首を掴んでいた。コオリは迷わず怪物へ突っ込んでいく。


「戻! エンリちゃんを下がらせて!」


 氷は怪物の攻撃を躱し、右足に触れる。瞬時に怪物の体だけが凍りつき、動きが止まる。次第に怪物の内部から氷柱が生え、血の色と混じったのか赤紫の花を咲かせる。そうして粉々に砕け散った。


 戻は光葉の様子を見ていた。目立った外傷はなく、気絶しているだけのようだった。


「大丈夫で――」


 戻が言い切る前に、どこからか手が伸びて、氷と光葉の首を掴む。氷は動じることなく手を凍らせ、破壊する。光葉はそのまま隣の部屋の奥へと連れ込まれてしまった。


「レイ、変だ。気配もなく手が伸びてきたぞ。私が反応できないなんて……」


「それよりも戻、エンリちゃん。ここの隣に部屋なんてなかったよね」


「はい。なかったです。エンリ、骨のにおいは?」


「しない。人間か? そういえばサツキはどこだ?」


 氷は探しに動こうと考えたが、敵の情報が不明確な時点では動けなかった。戻も同じだった。


「戻はそこに。私がこの部屋をに入るから」


 そういって明かりも点いていない部屋の中へ入っていく。


「戻、そっちの部屋の窓を開けて外を確認してくれない?」


 言われた通りに窓を開けると、そこには氷が見えた。二人は目が合う。戻はすぐに後ろを振り返ると暗がりの部屋に氷が立っている。


「二人いる? どういうことだ?」


「レイ、下がれ。下を壊す」


 エンリが爪を使って床をぶち抜く。その穴へ飛び込むが、どういうことか戻の右側の壁からドロップキックする形で出てきた。


「うおっ! なんで横から出てくんだよ。下に行ったんじゃないのか?」


「知らん。レイこそなんでもう下にいるんだ?」


 戻の右横の穴からはなぜか天井が見える。


「戻、エンリ。一度こっちに来て。凍らせてみる」


 氷が戻とエンリの手を握る。車を凍らせたように、床、壁、天井を瞬時に凍らせた。


 ひんやりと冷気が漂う。氷は強く足で床を叩いた。亀裂が勢いよく走り、建物全体がぱらぱらと揺れ、崩れ始める。そして床が抜けた。


 下に広がっていたのは地面ではなく、無限に続く底なしの世界だった。空から落ちるような腹の上が浮く感覚と下から吹く風が恐怖感を煽る。戻は目線を感じたのか、上の向くと誰かがのぞき込んでいた。ただ、はっきりとは見えなかった。


 加速しているのかも減速しているのかも分からない。空間が水色からブルーベリーを潰して滲ませたような色合いになる。


「すまない、二人とも。軽率な行為だった。落下のままでいいから聞いてく――」


 何かに当たったのか、氷は戻とエンリの手を放し、どこかへと消えてしまった。


「氷さん! エンリ、しっかり掴まって――」


 気づけばエンリも消えていた。先まで抱いていた感覚があったにもかかわらず。


 戻は焦燥感ばかりが駆り立っていた。何に焦っているのか、何が不安なのかもわからなまま。


「(どこまで落ちるんだ)」


 頭の中に女の人の声がガンガンと響いた。


「「ようこそ、私の世界へ」」


 考えるよりも先に、戻は地面に衝突してしまった。そしてその痛々しい感覚と冷たくなった感触だけがじんわりと残った。


最後まで読んでくれてありがとうございます。

ゆめのせかい

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