<第一話> 骸骨
壊れた掛け時計は四時を指して止まっていた。倉井戻は灰色迷彩柄のジャケットの上に着た防刃チョッキの左胸ポケットからボイスレコーダーを取り出して、一呼吸置いた。
「2168年、11月4日、11時ちょうど。コードネーム、ワラジ、ダークは旧首都近郊の偵察任務を開始する。開始地点は予定地Hとする。小型カメラ内臓の保護フィルターゴーグルによる映像の記録を開始。中央線沿いより都心に近づく」
隣で聞いていた草壁一矢は、くすくすと笑っている。恥じらい交じりの震えた声がおかしかったようだ。戻はレコーダーを一矢に押し付けた。
「草壁一矢でーす。戻のやつ、俺の決めたコードネームがどうやら恥ずかしいらしい。かっこいいのになぁ、ダーク。さて、任務を開始する」
一矢はレコーダーの停止ボタンを押した。
二人は和んだ空気を切り替え、傾いた階段を一段ずつ下りる。外へと出て先ほどまで入っていた住宅を見る。家を支える柱が折れているためか、左側へと傾き、今にも崩れそうだった。外装も剥がれ落ち、木材の一部が腐っている。一矢はその寂れた家をじっと見つめてから、戻と大通りへ足を運んだ。太陽は差し込むことさえせず、雲に隠れていた。
街は死んでいた。戦禍に耐え残った住宅街や建物さえも、時間と自然による劣化が進み、今や先に死んでいったものたちを追うようにバタリバタリと道路へ隣の建物へ、倒れている。割れたアスファルトからは植物が生えていたが、冬前の寒さにより枯れていた。二人は駅へと歩いて行った。
一矢は八王子駅を見つめていた。南口のロータリーから寂びた駅の外装を。その何とも悲しげな姿は同い年の戻が大人びて見えるほどだった。戻は一矢にそろそろ出発することを伝えると、「あぁ」とだけ言って、戻の前を歩いた。
線路内は所々でレールの歪みがあり、道床から植物が領土を主張するように生えていた。一矢は手袋の上から、植物の茎を掴み、千切った。
「夏に来てたら、もっとボーボーだったろうな。街中もあんな調子だし、植物様の生存力は恐ろしいな」
「そうだな。……一応、知ってはいるんだろ? 夏のこの町」
「あぁ。まぁな。もうほとんど記憶にないけど」
二人はしばらく線路の上を歩いた。ただ戦跡による断線個所もあり、迂回してからもう一度線路を辿る。まだそこまでの緊張を感じなくてもいいからか、一矢は大きな声で言った。
「あーあ。じじいももっと交渉すればよかったのに。バイクとか車とか、飛べるんだからさ。ていうか、ボイスレコーダーっていつの時代だよって感じ。リアルタイムで繋がる技術もゲームできんだからあるのに。わざわざ徒歩って。なぁ? 戻」
「一応、このゴーグルも音声取れるそうなんだけどね。日村のじいさんも頑張った方だと思うよ? ゴーグルが自動でデータの記録と分析をやってくれるんだから、手間は減ったよ」
「ヘルメットすら被れなくなったけどな」
そういって一矢は自分の黒髪の頭を叩く。戻も同じく先が赤みがかった黒髪を撫でる。
「……なぁ、戻。こんな仕事をさ、政府がやりたがらない理由ってなんだろうな。東京も見捨てるのかねー」
「またいつもの愚痴だね。政府さんが一般人の娯楽を優先しているのは事実だが、『骨』の数が年々減ってるのも事実だ。原因療法なんて端から諦めてるのさ」
「発見数は、な」
二人は愚痴を言い合いながら、吉祥寺駅まで歩いて行った。駅に着くころには日が沈みかかっていた。
吉祥寺駅内はそれほどまでに風化の跡を感じられなかった。一矢は背負っていた荷物を駅のベンチに置き、上に着ていた防刃チョッキ、戻と同じジャケットを脱いだ。
「予定通りここで一晩明かす。一応、『骨』には気をつけとけよ。明日は7時出発だ」
「了解」
戻も荷物を置き、携帯食料を取り出して食べる。
しばらく二人は無言だった。道中で喋り過ぎたためか、あるいは明日のために体力を温存しておくためか、そんな黙って食べている所へ、ふらりと『骨』が現れる。『骨』といっても、頭部の骨がむき出しになっているだけで、それ以外は至って普通の人間であり、服装もカジュアルなものだった。
「戻、場所を変えようか。あと、倒しておくか」
戻は腰のホルスターからやや大きめの拳銃を取り、一矢は手ぶらのまま『骨』へ近づく。『骨』はというと、ゆらりゆらりと体を左右に揺らしながら二人の方へ一歩一歩と足を進めている。低い唸り声をあげている――それはさながらゾンビのようであった。
一矢は一瞬にして『骨』の首を掴み、砕いた。『骨』は撓むように力を失くした。
「やっぱ、発生源は都心だろうな。ここは共同の補給ポイントだけど、発生源が都心だと仮定すると、人のいないこんな場所で出くわす理由として移動してきたが正しいだろう。別の調査隊の報告からしてもそうだろ? 戻」
「そうかもね。人の近くで発生するとは言われてるけど、この感じだと第五次大戦での兵器かもしれないね。だけど、政府としては一向に認めはしないだろうね」
二人は溜息をつき、場所を移動した。この日はその『骨』としか遭遇しなかった。
◇
朝になり二人は早速、新宿駅まで歩いて向かった。線路の上を歩いて。
中野駅付近まで来た時には、二人の緊張の糸は最大まで張っていた。北側の焼けようは酷く、つんと鼻を刺す炭のにおいが漂っていた。ほとんどの家屋は焼け倒れ、そこに残るは黒い残骸。植物の再生も起こらず、風化もその過程を進めない。まさしく地獄の様相であった。だが、二人はその地獄の炎を見たことも、誰かから聞いたこともなかった。ただ紙に書かれた文字列のみを見て、想像する術を除いて。
戻が双眼鏡で辺りを観察していると、『骨』の集団を発見する。全身にじんわりと汗が溢れる。
「一矢。骨だ。数はざっと三十体。服装が所々破けてる。あと、見るからに正気のない感じだ」
「なら、そうだな……。爆弾でも投げ込むか? どのみち、あいつらの処理は『犬』どもがやるんだから。……楽でいいよな」
「『犬』の連中もああいった仕事の方が安全でやりがいがあるんだろうな。それと今は殲滅任務じゃないよ。偵察だ。それに爆弾なんて持ってないし」
「あいあい。分かってますよ、だ。それにしても、思った以上に焼け焦げてるな。都心の方はまだ立ってるビルとかがあるのによ」
二人は『骨』たちを無視してそのまま進む。
空気が一段と重くなった。新宿駅周辺は荒廃が進んではいたものの、原型を留めるほどではあった。倒れたビルが道を塞ぎ、道路は所々陥没していた。昨日に引き続き、厚い雲に空は覆われ、薄暗い雰囲気がいよいよ空気自体に影響を及ぼしたのか、二人は息苦しさを感じずにはいられなかった。
苦しい状況の中、一矢は戻にジェスチャーをしてとある場所まで進んでいった。そして二人は見上げる。
そこには空へと伸びる二棟の摩天楼。すなわち、都庁。石造りを感じさせる角ばった灰色の体は、その隙間を埋めていたはずのガラスが割れているためか、痩せてみえる。もっともそのうちの一棟の摩天楼は崩れ落ちている。
二人は都庁を上り、南展望室から東京を見渡した。水没している所、植物に覆われていると思われる場所、薄暗く聳えるビル、焼け焦げた住宅街……。戻は一矢に言う。
「別の調査隊の報告では、あそこの辺りで骨との遭遇が二件。この辺りでは三件あった。調査隊それぞれ五人いて、三人ずつやられてる。……一応の確認」
「ああ、分かってる。ここの調査もどちらか言えば、というか完全に俺のわがままだ。不意を突かれるようなヘマはしない」
二人は目を合わせ、頷いた。階段を下りて三十二階まで降り、そこで荷物を下ろし、ゴーグルを取る。日暮れまでの約6時間を二十七階までの調査に当てる。
二人で一階ずつ調査していくものの、やはり第五次大戦から七十一年の月日はその資料を塵芥に変えることなど容易であった。それでも埃や錆びついたデスクを漁っては、細かく調べていた。
戻も一矢のために必死になって探した。『骨』に関する政府、行政の持っていた情報を求めて。
ただ二人一緒に探せど、何一つとして見つからなかった。日も暮れ、二人は荷物の場所へ戻って食事を取る。
「なぁ、一矢。そもそもあるものなのか分からないものなんだろ? 僕はあんまりその辺を知らないからあれなんだけど、流石にないんじゃない? ここには。あるなら官邸の方じゃない?」
「あぁ、そうだな。ないならないでいいんだ。ただ、俺としてはどいつも怪しくて仕方ない。まぁ、明日もやれるだけの時間はある。手伝ってくれ」
戻は「うん」とだけ言った。
次の日も朝早くから昼までかけて二十六階から二十階を調べた。そして何もなかった。
戻は先に一階へ降りていた。荒廃し尽くした姿を見ながら、一矢を待っていた。が、一向に一矢は降りてこない。
「敵影なしだよ。そろそろ行かないと任務に支障を出るよ? 一矢?」
返答がなかった。一矢が二階で何かを見つけたのかと、そう思って戻は一階から様子を見るも姿が見えない。二階への階段を上りきると、そこには頭を潰された一矢らしき死体が転がっていた。
「えっ?」
戻の直感はすぐに一矢だと認識したが、理性がそれを否定する。同じ防刃チョッキを着て、同じ迷彩柄のズボンを履いているその死体が、一矢だと認められずにいた。
「い、いや、ふざけんなよ。度が過ぎるぞ。……顔が見えないから違うよな?」
戻は死体の近くに散らばっているゴーグルの破片を目で捉える。瞬間、冷えて固まりそうな心を、沸き立つ怒りが覆った。
――敵は!?
戻は後方にぬるりとした薄気味悪い感触を覚え、咄嗟に一矢を飛び越え、後ろを振り返る。
二メートルくらいの身長、腹の出た大男がそこにいた。その太い腕先の拳からは血が滴り、着ているタンクトップや短パンには返り血がついている。姿形は人間となんら遜色ない。が、戻は骨だと確信して、すぐさま銃口を向ける。
「お前たちはどこから来た? 目的は?」
歯を喰いしばりながらじっとその大男を見る。大男は戻の質問に答える素振りを見せることもなく、目の前に転がる一矢の死体を意味もなく殴り続けていた。戻は抑えていた怒りをそのまま銃弾に込めて放った。
銃弾が炸裂するところを見ることもなく、外へと飛び出し、距離を取る。都議会議事堂へ逃げ込む。荷物を置いて手斧を手に取り、次弾を装填する。大男を殺しに行こうと広場へ出たとき、待ち伏せしていたのか上から大男が飛び降りて、地面を割った。
戻は地響きに臆することなくその大きな腹に弾丸を撃ち込んだ。対骨用に製造された貫通せず体内に残って爆薬が炸裂する弾丸。その威力は大男の腹を吹き飛ばすには十分だった。
焼け焦げた両腕に離れた上半身と下半身、無惨な姿の大男を前にして一切の同情なく、次弾を装填する。戻は銃口を首元へ向ける。
「お前たちはどこから来た? 目的はなんだ? なぜ人を殺した?」
冷静を装っていたが、戻としては今すぐにでも殺したかった。発生源も、目的も何もかもがどうでもよく感じ、ただこの大男を殺すことが一矢への弔いになると頭の中を占有するほどに、憎悪にまみれていた。
「コロス……。にんゲンを守る。ダから、ニンげんをころス。ホロんでしまえ……」
大男は呪うように呟いては唸るばかりだった。
戻は銃口を頭へ向けた。
「できるかぎり苦しむようにして殺してやろう」
そう言い放った矢先、戻は背中を切り付けられた。振り返ってみると、別の骨が立っていた。
腕が常人の四十センチほど長く、手先の爪は鋭利に伸びていた。長ズボンにチェック柄のシャツ――シャツがひらひらと揺れるほどにやせこけた上半身、顔も骨が浮き出るほどにごつごつとしている。
「きぇっきぇっきぇ。切るのは楽しいねぇ。楽しいなぁ」
邪魔をされた怒りか、相も変わらず不快な言葉を発する骨への憤りか、戻は深く溜息をついた。すぐさま銃口を向けるも、そのガリ骨は素早く銃を叩き落す。構わずに手斧を首元へ振るうも、難なく躱される。
「うっとしいな……」
戻は言葉を発する。切られた背中がじんじんと痛みだす。防刃チョッキがなければ死んでいたかもしれない、そう思えるほどには怒りが収まっていたが、尚も冷静さは欠いていた。
都議会議事堂へと戻は逃げ、ガリ骨を対処しようとするも、その素早さに苦戦を強いられる。むしろ、議事堂内へ逃げたことが致命的なまでの愚策であった。
ガリ骨は爪を見せびらかしながら、攻撃を仕掛ける。逆に戻が攻撃を仕掛けたときはきっちりとカウンターを決める。次第次第に切り傷は増えていき、防刃チョッキも意味を為さなくなった。痛みが興奮を超えて、冷静にならざるを得なくなり、戻はさっきの大男に止めを刺していなかったことに気が付く。
「(しまった。甚振ることばかりで、止めを刺していない。なら、もうじき体を修復して立ち上がってくる!)」
戻は荷物を背負おうとするも、ガリ骨がそうさせない。ガリ骨としても自身の力量と相手の目的は本能的とでもいうべきか理解していた。戻は何遍も手斧を振るうも当たらず、傷が増えていくばかりだった。
「(荷物は捨てて、逃げなきゃ――)」
そう考えを変えて議事堂を出ようとするもガリ骨は逃がさないようにと邪魔をし、戻のふくらはぎを切り付ける。
「ぐっ……」
「きゃはっはっは。面白いねぇ。楽しいねぇ」
血がだらだらと流れ、痛みに歪む戻の顔を見て、ガリ骨は心底楽しそうだった。戻としてはガリ骨の油断を見て、回復を急いだ。
入口を壊して豪快に中へと大男が入ってきた。戻は血の気が引いた。息も絶え絶えになり、傷口から血が止まらなかった。
「(殺される。一矢を殺したこの骨に僕も殺されるのかっ。あのガリ骨さえ邪魔しなければ……。さっさと殺すべきだった。くそっ)」
目の前に大男が立つ。拳を構え、無表情に戻を見つめた。
「コロす。にんゲンはコロす」
戻が死を覚悟した刹那、轟音ともに天井が崩れた。天井は戻たちには降り注がずに脇に落ちる。その様子に骨たちは不思議そうに固まる。戻はその隙を見て、這いながら逃げようとするもガリ骨に気づかれる。
「きぇっきぇっきぇ! 楽しいーなぁ? ……きぇー!!」
ガリ骨の声色が威嚇へと変わる。戻はちらりと振り返る。
オオカミのような姿をした少女がそこに立っていた。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
此方は更新がやや遅い感じです。