8 お土産
王宮からの帰り道、ブリジットは目の前の公爵を見た。怒りかどうかわからないが、機嫌は悪そうだ。
なぜ? わからない。ブリジットが王妃から解放された時には、既に馬車に乗っていた。あるとしたら、国王とのこと。
「……王妃殿下と何の話を?」
どう声をかけるべきか迷っていると、公爵から声をかけられた。
「何……と言われましても……世間話です」
「……そうか」
これ以上は続きそうにない。それなら、ブリジットから。
「公爵様は、国王陛下とどんなお話を?」
「……何も」
何もないことはなかっただろうが、秘密にしなければならないこともあるだろう。なにしろ国王と宰相なのだから。
「あ、公爵様」
急に思い出したように、ブリジットがさらに話しかけた。
「この後、市場に寄ってもいいですか?」
「……なぜだ?」
「子どもたちの食事に使う食材を買い足しておきたくて」
「公爵家にはないものか?」
「はい」
公爵家に揃っていないものなどない。だが、こうでも言わないと、公爵を連れ出すことはできないだろう。
馬車は市場のそばに止まった。ブリジットは一応
「護衛の騎士を1人つけていただければ、公爵様は先にお帰りになっても」
と言っておく。この言い方であれば、
「……必要ない」
と公爵が一緒に馬車を降りることもわかっている。公爵よりも強い人はいないだろう。公爵は馬を一頭連れて、護衛の騎士団を先に帰した。
「では、行きましょうか」
ブリジットが歩き出すと、公爵が馬を引いてついてくる。一通り食材を見て回って、最低限あっても困らない食材だけを買っていく。
「……それがほしかったのか?」
公爵も食材についての知識は多少あるのか、怪訝そうな顔だ。公爵家にないはずはない、よく使うものばかり買っているのだから、当然だが。
「いいものを選びたいのです。子どもたちの口に入るものですから」
「……そうか」
公爵にそんな親心のような感情はないのだろうか。
(違う。ないはずはないわ)
あるがわからないだけだと言い聞かせ、
「公爵様」
と振り返った。
「子どもたちにお土産を買っていきませんか?」
「……土産?」
公爵の眉に皺が寄る。
「はい。お土産です!」
ブリジットは笑顔で乗り切ろうとした。
ブリジットが公爵を連れてきたのは、雑貨店だった。
「公爵様、せっかくなので、公爵様がお土産を選んでください。子どもたちのこと、わたしよりもご存知だと思いますし」
子どもたちにほとんど関わらない公爵が、子どもたちの好みを知るはずがない。ブリジットはそれをわかっていた。しかし、彼が選んだものでなければ意味がない。
「……子どものおもちゃの選び方など知らん」
「こういう子になってほしいっていう願いを込めることも多いそうですよ」
女の子であれば、世話好きのお母さんになってほしいという思いから人形を。おしゃれになってほしいという思いから服や装飾品を。
もちろんそう決まっているわけではない。しかしブリジットは、少なくとも前世ではそうやって選んでいた。
公爵が、平民の子どもたちが遊ぶようなおもちゃを前に、困っている。
(さすがにやりすぎたかな……)
ブリジットが口を挟もうとすると、公爵が木剣を手に取った。
「セドリックには、これを」
「どうしてですか?」
意外だった。頭脳派のセドリックは、剣よりも本の方が喜ぶはずだ。それくらいのことは、ブリジットでも知っているのに。
「あいつは、頭はよく回るが、体術は不十分だと聞いている」
公爵家の人間たちからの報告だろうか。
(……でもこれって、報告を頭に入れておくくらいには意識してるってことよね)
彼にも父親としての気持ちがあった。
(王妃殿下の仰った通りかもしれないわ……)
誘えばいいのだ。彼自身から動くことがないだけで。
「じゃあ、ジェレミーはどうしますか?」
「あいつには本だろう。……与えても読むとは思えないが」
「公爵様からのお土産であれば、きっと読んでくれますよ」
4歳児でも読める本を選ぶ。
(ジェレミーは読んでくれるかしら)
やんちゃな弟に絵本を選んであげた時のことを思い出す。与えてすぐ、ビリビリに破られた絵本だ。
「シャルルには?」
「……鈴が入った人形がいいだろう」
嬉しかった。息子たちに興味を示さないと思っていた公爵が、実は子どもたちを気にかけていたということが。
(あの子たちは、愛されていない子じゃなかったんだ……)
そのことに、ブリジットはまるで自分のことのように安堵した。
「そのお土産、公爵様が子どもたちに渡してあげてくださいね」
「……君が渡した方が喜ぶだろう」
「あの子たちにとって、公爵様はお父様で、わたしは他人です。どちらが喜ぶなんて、わかりきってると思いませんか?」
ブリジットはそう微笑んだ。
「おかえりなさいませ」
三兄弟は並んで出迎えてくれた。
「セドリック、ジェレミー、シャルル。公爵様からお土産があるんですよ」
「父上から……?」
セドリックとジェレミーが固まる。公爵も固まっている。
(はぁ……何なのよ、この親子……)
ブリジットは呆れながらプレゼントを公爵の手に押し付けた。
「さぁ、公爵様」
公爵は渋々それを受け取り、子どもたちを見つめる。
彼が最初に向かったのは、末っ子シャルルのところだった。
「……」
世話係のメイドの腕の中で、シャルルはご機嫌に声を上げる。小さな手にお土産のおもちゃを持たせると、その顔がぱっと華やかな笑みを浮かべた。
「あーぅ、あーぅ」
シャンシャンと鈴の音を鳴らしながら人形を振るシャルル。まだ幼いため、父親を畏怖する感情はない。それを見たジェレミーも、興味深そうに父を見上げる。
「公爵様、ジェレミーも待っているみたいですよ」
ブリジットが声をかけると、ジェレミーの背がピクンと伸びた。そんな息子に、公爵がお土産を手渡す。
「ありがとーございますっ」
ジェレミーは嬉しそうに受け取った。そして最後。最も訝し気な様子のセドリックだ。こちらは公爵も渡しづらそうにする。
「セドリック」
しかし一言名前を呼んで、木剣を差し出した。
「はい、父上。ありがとうございます」
こちらはまるで何かの儀式のよう。
それでも、無事にお土産を渡し終えた。公爵は、役目を終えたとばかりに、侍従を連れて去って行ってしまった。
「ブリジット様……」
(わたしがフォローしてあげるべきかしら)
少々面倒に思いながらも、笑顔を浮かべる。
「お土産、よかったですね。帰りに市場に寄ったので、お土産を買って行こうって公爵様に提案したんです」
「あ、ブリジット様が……」
セドリックはわかりやすく安堵した。
(難しい関係ね……)
この親子の溝は深い。このままではいけないと、ブリジットは思い直した。