6 公爵家での日常
公爵に許可をもらってから、ブリジットは本当に自由に過ごすようになった。毎朝子どもたちを起こしに行くところから、夜寝かしつけるまで。
子どもたちの分の朝食を手作りし、まるで母親のように世話を焼く。初めは父親の前で萎縮していた子どもたちも、ブリジットがそばにいるだけで笑顔を見せるようになった。
そうしているうちに、公爵家の使用人たちも彼女の存在を認め始める。料理人たちはブリジットに教えを請い、下働きでさえもブリジットを見かけると声をかける。
温かい公爵家に、ブリジットはなじみつつあった。
「これは『おにぎり』と言います。簡単で美味しく、誰にでも作れますから、人気なんですよ」
几帳面にメモを取りながら聞いてくれる料理人たちを前に、ブリジットはエプロン姿で語りかける。
「奥様、どこで人気になっているのでしょうか?」
「……あ」
(またやっちゃった……)
ブリジットは生まれも育ちもこの王都。王都から外へ出たことは、一度もない。毎度のようにこれを繰り返しているが、前世の知識ですとは当然言えず、
「今回は平民の子どもたちです」
と適当に答えておく。
「今日はここからのアレンジレシピも覚えておきましょう。次に作るのは、『焼きおにぎり』です」
まだまだ作るものは多い。おにぎりからアレンジできるものだけでも、焼きおにぎりにお茶漬けに……。ブリジットの頭の中にはたくさんの料理が浮かぶ。
幸いブリジットが作る料理は子どもたちにも好評で、3人とも残さずに食べてくれている。それもあってか、料理長たちはブリジットの技術を取り入れようと必死だ。
ブリジットの料理教室は続いた。
「ぶりじっとさま!」
そんなブリジットの癒しの時間が、子どもたちとの遊びの時間。
「ジェレミー、今日は何をしますか?」
「かけっこ!」
(またか……)
この年頃の子どもは、いくら遊んでも遊び足りないらしい。覚悟は既にしている。
「ブリジット様、あとで勉強を教えてもらってもいいですか?」
「もちろんいいですよ、セドリック。ジェレミーが疲れたら、お勉強をしましょうね」
「きゃーう!」
「シャルルは今日も元気ですね~」
ぷにぷにとシャルルの頬をつき、今日も癒しの充電だ。
「ぶりじっとさまぁ!はやく、はやく~!」
「キャハハハ!」
今日も公爵邸には賑やかな笑い声が響くのであった。
その様子を遠目から見つめる人影。オディロンだ。
彼は気づいていた。彼女が来てから、この公爵邸には今までなかった光が差した。
闇の中が普通だと、この闇の中こそが自分の居場所だと思っていた。しかし、この世に光はあった。
書斎から見える庭園で駆けまわる、彼の子どもたちと彼女。
少し前まで、子どもたちはオディロンを見ると怯えていた。だから仕事を理由に家を空け、彼らが自由に過ごせるように配慮してきたつもりだ。
それを彼女に否定されたのは、どれくらい前だったか。
『自由にさせてあげてください』
そう言った彼女の顔は、今にも泣きそうなほどに歪んでいた。縁もゆかりもないただの子どものために、彼女は涙さえ流せるのか。彼にはわからない感情だった。
「公爵様」
アランが紅茶を持ってきて、すぐそばに置く。
「奥様は楽しいお方にございます。坊ちゃま方もよく懐かれて」
「……あれが貴族家で育てられた令嬢か?」
料理や掃除に詳しく、下働きとも親しく話す彼女。貴族家で育った令嬢で、王太子妃候補として教育を受けた女性とは重ならない。
彼はここ数日、その違和感から離れられずにいた。
「……報告書をお渡しした通りにございます。王都から一歩も出ず、伯爵家で大切にお育てになられたようで」
彼女の育ちにおかしいことなどない。世間一般的な令嬢となんら変わらない成長過程だ。が、彼女は他の令嬢たちとは違う。
『……国のため、ですわね』
どこか寂しく、悲し気だった笑みが浮かぶ。
彼女と同様に、国のためにと政略結婚を強いられた女性を、彼はもう1人知っていた。とはいえ、その女性とは違い、ブリジットは政略結婚から逃れられているのだが。
彼がよく知るその女性は、最後まで心の底から笑ったことなどなかった。
「旦那様、王宮より招待状が」
執事が届けに来たものをアランが一度受け取り、オディロンの手元に来る。
王家の封蝋がつけられた、仰々しい封筒。その差出人は、この国の王妃。そして宛名は、オディロンとブリジットの連名になっていた。
「そちらは……」
「王妃殿下より王宮に来るようにとのご命令だ」
「奥様へ、ですか?」
「……あぁ」
宛名にはオディロンも含まれているが、その内容は完全にブリジットを呼び寄せるもの。
彼女はつい先日、王太子から婚約破棄されたばかりだ。その母親である王妃が、彼女にいったい何の用だろうか。
「彼女へ伝えてくれ」
「はい」
「……それと」
オディロンは迷いながらも口を開く。
「当日は、私も同行する、と」
相手は18も下の少女。親子ほどの年の差。ただ一時的な婚約者として彼女を保護した手前、彼女を手放す前に何かがあっては困る。ただそれだけだ。他意はない。と、誰かに言い訳しながら、彼は封筒を書斎机の中へしまい込んだ。