33 出会い
「オディロン、お前のところ、そろそろだったか?」
「……あぁ」
相変わらず無駄話が多い国王に、オディロンは呆れる。
「楽しみだな」
楽しみかどうかで言われれば、それは楽しみだ。
出産まで、もう間もなく。お腹も大きくなったブリジットは、無理しない程度に動き回っている。
本当ならベッドで大人しくしていてほしいが、今は多少の運動をした方がいい、というのが定説らしい。
「あーぁ、羨ましい」
この国王は、なんて無責任なことを言うのだろう。王妃の前で言えないから、ここで言っているのだろうが。
「なぁ、もしうちの孫と男女で違ったら、結婚させないか?」
「断る」
王太子妃も妊娠がわかっている。産まれるのはまだまだ先だが、オディロンの子と同い年になるのだろう。
こんな苦労しそうな王家と縁戚関係など、もうごめんだ。オディロンの前妻が王家の人間だったのだから、もうしばらくはいいだろう。
「あらあら、陛下? おしゃべりなお口ですわね」
王妃が来た。これで国王はようやく仕事に身が入る。
「いつもごめんなさいね、オディロン」
「いや」
彼女も古くからの友人の1人。公式的な場では爵位や役職で呼ぶが、名前で呼ばれる時には敬意を示す必要もない。
「ブリジットのことが心配で。まだ呼べないでしょう?」
「あぁ」
あんな状態でも、王妃に呼ばれれば、ブリジットは断らないだろう。
「ブリジットは初産だからお産の時間もかかると思うし……。頑張ってって伝えてね」
ブリジットの命さえあれば、それでいい。それなのに、子どもに会いたいと思う気持ちもある。複雑だ。
「おかえりなさい、オディロン様」
お腹を大きく膨らませたブリジットが出迎えてくれる。それは嬉しい。が、
「……大人しくしていろ」
やっぱり心配だ。
「ふふ、大丈夫ですわ。今日もお医者様がきてくださって、赤ちゃんも元気って。もうすぐ生まれるかもしれないって言われていました」
「父上、おかえりなさい」
セドリックたちが出迎えにくる。
「……あ」
ブリジットの小さな声で、ハッと目を向ける。
「あ、大丈夫です。赤ちゃんがお腹を蹴っただけなので」
「ほんとですか!?」
セドリックとジェレミーが、ブリジットのお腹に触れる。
「赤ちゃん、母上のお腹を蹴っちゃダメだよ。痛いからね」
「はやくおいでー」
それぞれ語りかける2人は、もうすっかり兄の顔だ。
「早く部屋に」
オディロンは妻の体を冷やさないようにと、部屋に連れていった。
夜も眠れなかった。
「……う……っ」
ブリジットが小さくうめくだけで、目が覚めてしまう。隣を見て、目が覚めているわけではないことを確認して、また眠りにつく。
こんなに無理をさせるなら、やっぱり子どもなんて望まなければよかった。
ブリジットに言ったら傷つくだろうから言えない。それでも、その気持ちは消せなかった。
ブリジットは、愛おしそうにお腹を撫でる。まだ会えない子どもの存在を、彼女は身体で感じている。
「乳母はいらないのか」
オディロンの問いに、ブリジットは笑顔で頷く。
「この子は、わたしの手で育てたいので」
「……産後は身体の回復を優先するべきでは?」
「大丈夫。世の中の母親はそれでも働いていますわ。それに、オディロン様にも手伝ってもらいますから、大丈夫です」
当然オディロンだって何もしないつもりはない。それでも、本当にそれでいいのか。出産を機に身体を壊した女性を知っているから、不安で仕方がない。
「ははうえ! えをかきました!」
「本当ですか?」
離れたところから、ジェレミーが呼ぶ。ソファを立とうとするブリジットを止めた。
「持ってきなさい」
オディロンが呼ぶと、紙を持って駆けてきた。
「みてください!」
「上手ですね。これは、わたしですか?」
「はい! ちちうえと、ははうえと、あとあかちゃんです!」
「まぁ、素敵」
ブリジットはいつも通りジェレミーを褒める。そして、次には顔をこわばらせた。
「……オディロン様」
「なんだ」
声が変わった。オディロンは驚いてその手を取る。
「たぶんですが……、破水しました」
「……!」
「奥様!」
そばに控えていた侍女たちが、あわてて駆け寄ってくる。
「ははうえ、どうしたんですか? いたい?」
ジェレミーの顔が不安そうに歪む。ブリジットは侍女たちを止め、不安そうな子どもたちの前に膝をついた。
「大丈夫。もうすぐ赤ちゃんに会えますよ」
「頑張って!」
セドリックがハッと返す。
「ありがとうございます」
ブリジットは笑い、そして、オディロンを見た。
「待っててくださいね。元気な赤ちゃんに会わせてあげますから」
「……あぁ」
もうすぐ会える。そんなことを考える余裕なんてない。どうか無事で。そう祈るしかなかった。
高くのぼっていた日は傾き、やがて夜になる。
まだ産声は聞こえない。苛立つ気持ちをぐっとおさえる。
「あにうえ、ははうえはまだ?」
「……そうだね」
ジェレミーが不満そうに唇を尖らせる。それに対し、セドリックは苦笑しながら弟の頭を撫でた。
「父上」
セドリックに呼ばれ、ハッと顔を上げる。
「母上は、大丈夫ですよね?」
心配そうな顔。セドリックはきっと、出産の危険性を理解している。
大丈夫だと、そう言ってあげるべきなのに。笑うことはできなくても、その言葉で少しは安心させてあげられるはずなのに。無責任なことは言いたくないと、口をつぐむ。
「はーうぇ?」
「あ、シャルル」
シャルルが扉に向かって歩き出すのを、セドリックが止めた。
「ここで待ってようね」
「あー?」
シャルルにはまだ状況も理解できない。こんな子どもたちがいるのに。彼女は遠くに行ってしまうのだろうか。考えたくもないことが、頭をよぎる。
「……早く寝なさい」
オディロンはそう残して、部屋を出た。
深夜になっても、何の情報も入ってこなかった。
「公爵様、少しお休みされては……?」
侍従が心配して声をかけてくる。が、彼女が頑張っている時に、ひとりで寝てなどいられない。落ち着かず、書斎から出た。
「アラン」
「はい」
侍従長が歩み寄ってきた。
「まだか」
「先ほどから侍女たちが頻繁に部屋を出入りしていますが、まだのようですね」
「……」
苛立つ。落ち着かない。それをぐっとこらえ、両手で拳を作る。
「公爵様、お生まれになったらご報告します。まだかかるようですし、少しお休みください」
休めるわけがないのに。そのまま書斎に入り、椅子にどっと座る。
まだ月が高い。丸い月だ。祈るしかないのか。今まで信じたこともない、神という存在に。
神でもなんでもいい。彼女を助けてほしい。どうか連れていかないでほしい。彼女だけは、失いたくないのだ。
まぶしい。目を開ける。気づくと、日が高く昇っていた。
ハッとする。いつの間にか眠っていたらしい。慌てて廊下に出ると、ブリジットの部屋の前には変わらず侍従長が立っていた。
「まだか?」
「はい。まだかかるようです」
何時間かかっているのだろう。彼女は本当に大丈夫なのだろうか。
たった一枚扉を隔てた先に、彼女がいるのに。そばにいって支えてあげたい。彼女がそれを望んでいるのではないか。
その時、扉が開いた。
「あ、公爵様」
「生まれたか」
「あ、いえ、それはまだ……」
出てきたのは、ヴィヴィだった。
「奥様が、公爵様のことを心配されていて……。大丈夫だから信じて、と伝言です」
「……そうか」
彼女も不安なのだろうか。だから伝わるのだろうか。
「大丈夫です! 奥様、すごく頑張っておられます! では、失礼します!」
ヴィヴィが部屋に戻って、扉が閉められた。
「……さすが奥様ですね。公爵様のことをここまで理解されているとは」
侍従長が笑う。
「父上!」
そこへ、子どもたちが駆け寄ってきた。
「母上は? 赤ちゃんはまだですか?」
「まだだ。朝食は?」
「食べました! 3人で!」
ジェレミーの口の端に、パンの欠片がついている。慌てて食べたのだろうか。
「ちーうぇ!」
手を伸ばしてきたシャルルを抱き上げる。
「父上は、朝食はもう食べましたか?」
「いや……」
「だったら食べてください! 母上のことは、僕たちが守っていますから!」
守るって、いったい何から。そう思うのに、子どもたちの存在が大きく思える。
「アラン、軽く食べられるものを」
「かしこまりました」
侍従長に指示し、シャルルを下ろす。
「部屋にいる。何かあったら呼びにきなさい」
「はい!」
頼れる子どもたちに任せ、部屋に戻った。
「公爵様、軽食をお持ちしました」
間もなく入ってきた侍従長が、サンドイッチの皿を置いて出ていく。軽く食べようと思ったものの、やっぱり食欲はない。彼女のことが心配だ。
「父上!」
その時、扉が開いた。
「母上の部屋から、赤ちゃんの声が!」
ガタンっと机が大きな音をたてた。セドリックに手を引かれ、廊下に出る。ジェレミーとシャルルは、ブリジットの部屋の扉に耳を当てていた。
「あかちゃん、ないてるよー」
「坊ちゃま方、扉が開くと危険ですから……」
世話係たちが扉から離そうとしている。
「ジェレミー、シャルル、下がりなさい」
2人を扉から離した時、ちょうど扉が開いた。
「あ……」
侍女が驚いて立ち止まる。
「ねー、ははうえはー?」
「もう入ってもいい?」
「もう少しお待ちくださいね」
確かに聞こえる、赤ん坊の元気な泣き声。産まれたのだ。
「ブリジットは」
侍女に、オディロンは聞いていた。
「奥様もお子様もお元気です!」
その笑顔に、ホッとした。




