31 つわり
(気持ちわるぅ……)
ぐったりとベッドに横になって、もう何時間が過ぎただろう。
つわりというのは、こんなにも辛いものだったのか。目を開けるのさえも億劫で、ここ数日、ずっとベッドで寝たきり。少しでも動くと気分を悪くしてしまう。
そして問題は、食べ物をほとんど受け付けないこと。これは医者からも強く言われていた。食べられるものだけでもいいから、食べるように、と。
(それができたら食べてるって!)
と反論したい気持ちをおさえて、頷いておいた。
母は、どうだったのだろう。
前世の母は、たくさん子どもを産んだ。彼女の記憶にある限り、つわりでつらそうにしていたこともない。それは、母が隠していたからだろうか。
(つわりが遺伝と関係あるなら、お母様の方か)
伯爵夫人のことを思い出してみる。残念ながら、彼女の妊娠中のことは、何も知らない。自由奔放な兄がいるだけで、ブリジットの下に弟妹はいないのだから。
聞いてみようか。起き上がることができるようになれば、手紙くらいは書ける。そっと目を開けてみた。
「起きたか」
背後から声をかけられる。ゆっくり寝返ってみると、オディロンが椅子に座ってこちらを見ていた。
「お帰りになっていたのですね。お出迎えできずに申し訳ありません」
「いい。また気分が悪いのだろう」
だからといって、公爵夫人としての仕事を放棄していいわけではない。世の中の母親たちは、それでも働いているのに。
身体を起こし、ベッドに座った。
「食べられるか?」
差しだされたのは、リンゴが乗った皿。ベッドサイドのテーブルには、ナイフとリンゴの皮がある。
「もしかして、オディロン様が?」
「……戦場で覚えたものだ」
彼なりにブリジットをいたわっているのだろう。
「ありがとうございます」
素直に礼を言い、フォークで1つ取って口に入れた。
(うん、フルーツは食べられるわ)
「おいしいです」
オディロンが安心するのがわかった。やはり、心配させているのだろう。
「オディロン様」
ブリジットはそう呼びかけた。
「明日、実家に顔を出しに行ってもよろしいでしょうか」
「体調はいいのか?」
「明日になってみないとわかりませんが、伯爵家まではそれほどかかりませんし」
「無理をするな。家族に会いたければ呼んでいい」
オディロンの許しがあるなら、それでもいいか。
「では、実家に手紙を書かなければ。ヴィヴィを呼んでいただけますか?」
オディロンがそれを聞いて出ていく。ひとりになったブリジットは、ふうっと息を吐いた。
(……思ったより、つらいわね)
お腹をそっと撫でる。
(頼りない母親でごめんね)
つわりで音を上げるなんて、この子に笑われてしまう。元気に育っている証だと、思えればいいのに。
「奥様、失礼いたします」
「ヴィヴィ、伯爵家にお手紙を書いてほしいの。できるだけ早く来てくれるように伝えてくれる?」
「かしこまりました」
ヴィヴィはその場で紙に書き、ブリジットに見せた。
「うん。これでいいわ。急いで届けてちょうだい」
そして、ヴィヴィは出ていった。
「ははうえ!」
入れ替わるように、ジェレミーが入ってきた。
「母上、入ってもよろしいですか?」
セドリックは部屋の外から聞いてくる。
「どうぞ」
オディロンはいないのだろうか。今日も無理して仕事を早く抜けてきたのだろうから、きっと忙しいはずだ。
「お水を持ってきました。特別おいしいお水が湧く井戸があると聞きましたので、取りに行かせました」
優しい子どもたちだ。ブリジットは水を飲んでも気分を悪くする。しかし、子どもたちが持ってきてくれた水だ。
「ありがとうございます、こちらに持ってきていただけますか?」
セドリックが笑顔で歩み寄ってくる。
「ははうえ、これのんだら、げんきになりますか? またあそべますか?」
ジェレミーは、早く遊びたくて仕方がないのだろう。
「もう少し。弟か妹が生まれるまで、待ってくださいね」
まだまだ先のことだ。ブリジットだって、今すぐ産んでしまいたいと思うくらいなのに。
「どうぞ、母上」
セドリックが差し出したカップを受け取り、そっと口を近づける。
「……っ」
それだけで、胃が騒ぎ出す。無理はしたくない。せっかくリンゴを食べたばかりなのに、吐き出してしまっては栄養が足りない。でも、子どもたちの手前断るのも申し訳ない。どうしようか。
「何をしている」
その時、オディロンが部屋に入ってきた。
「母上にお水を持ってきました」
「余計なことを」
「オディロン様」
息子たちを叱ろうとするオディロンを、ブリジットが止める。それだけでオディロンにも伝わったらしく、
「……持ってくるなら、フルーツかオレンジジュースにしなさい」
と告げた。
「はい……」
それでもセドリックは落ち込む。
「セドリック、ジェレミー。美味しいお水をありがとうございました」
ブリジットはそう微笑んで、部屋を出ていく2人を見送った。
「無理をするなと言ったはずだ」
オディロンが、ブリジットの手から水の入ったカップを取る。
「子どもたちがわたしのためを思ってやってくれたことですもの。むげにはできません」
愛されている。夫からも、夫の連れ子たちからも。それなのに、どうしてこんなにも不安になるのだろう。
「オディロン様」
「なんだ」
(これは言っていいのかしら)
子どもがほしいと言ったのは、ブリジットだ。オディロンはそれも反対していたが、最終的にはブリジットのわがままに付き合ってくれた形。だから、ここで弱音は吐けない。
「なんでもありません」
「……そうか」
笑顔を作ると、オディロンは頭を撫でてくれた。




