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ブリジットは目を覚ました。見慣れない天蓋。そうだ。公爵邸に来たのだ。
「おはようございます、奥様」
与えられた執事のひとり、アルマンが現れる。
「おはよう。ヴィヴィはいるかしら」
「はい、奥様!」
朝から元気なヴィヴィをそばに呼び、他の使用人たちとともに身支度を手伝ってもらう。
「奥様の御髪はとてもお綺麗ですね」
「そう? 赤毛なんて派手すぎて、あんまり好みじゃないんだけど」
「そんなことないですよ!」
なんて世間話をしながら支度を終えて、朝食の席に向かった。
今日はどこに行く予定もないから、ラフな服装。といっても、洋服はまだ借り物。おそらく前妻のものだと、ブリジットは思っていた。
ダイニングには巨大なテーブルが置かれていた。そのテーブルをぎっしりと埋め尽くす大量の料理。いったい何人分なのだろう。
置かれているのは2人分の椅子。それも長方形のテーブルの端と端という随分な距離だ。
執事アルマンに導かれて、下座の席に座る。間もなくしてダイニングに彼が現れた。
「おはようございます、公爵様」
その場に立ち上がって挨拶を交わす。交わすといっても、公爵は頷いただけだ。
2人だけの朝食が始まった。カトラリーがぶつかる音しか響かない、静かな朝食。
公爵はいつもひとりで食事をしているのだろうか。こんなにも寂しい食事を毎日……。前世とはいえ食堂で育った娘として、それは許せないことだ。
「公爵様、本日はお仕事ですか?」
少しでもにぎやかにしようと話を振ってみる。ダイニングが静まり返っているため、普通の声量でも充分に響いた。
「……あぁ」
が、返ってきたのは唸るような一言のみ。これでめげるものか。まだ諦めない。
「公爵様のお仕事って大変そうですよね」
「……そうか」
会話を続ける気は微塵もないらしい。
「公爵さ」
「アラン」
ついには遮られてしまった。
「はい」
アランが憐みの視線をブリジットに向けながら、オディロンに歩み寄る。
「仕立屋を呼んでおけ」
「お衣装を新しくされますか?」
「……いや」
公爵の視線がわずかにブリジットに向く。すぐに逸らされたが。
「女性ものの服はわからん。が、合っていないことはわかる」
(用意されていたものを着ただけですが?)
サイズの問題なのか、似合う似合わないの問題なのか。どちらにしろ、失礼なことを言われた気がする。ブリジット自身も思っていた。明らかにサイズが合っていない。主に胸元の。
(……悲しくなるわ)
前妻がどういう人物だったのかは知らないが、それはもうたわわな方だったのだろう。
「承知いたしました」
アランもそれ以上何も言わずに主の命を受けた。
「ありがとうございます」
一応礼を述べておく。
「……昨夜もだが、おかしなところで礼を言うのだな」
(あ、初めて公爵様から……)
「わたしを気遣ってくださったのですから」
礼を言う感覚が沁みついているのかもしれない。そう微笑むと、公爵は再び「そうか」と答えて視線を逸らす。
なんとなくわかってきた。
(かわいいわ)
前世で妹が熱弁していた。男性にかわいいという感情を抱いた瞬間、それはもう沼にはまっているのだと。
「公爵様、お仕事頑張ってくださいね」
ブリジットは今までに一番の笑顔を見せた。
公爵家お抱えの仕立屋が来る頃、ブリジットの姿は客間の一室にあった。
「これはこれは奥様!」
大仰な仕立屋ミリアムの登場である。
「よろしくお願いしますね」
「もちろんでございます!奥様にお似合いのドレスをお作りいたしますわぁ~!」
ミリアムの芝居がかった大げさな動きに苦笑しながら、ドレスの色やデザインを指定していく。
1着や2着では足りない。伯爵家には何十着というドレスがあったのだから。公爵家のお金を使うのは気が引けるが、公爵がそれを許しているため甘えさせてもらう。
「奥様」
アランが部屋の扉を叩く。彼は、ソファに座るブリジットに歩み寄り、そっと告げた。
「ジェルヴェーズ伯爵家よりお荷物が届いております」
「荷物?何かしら」
実家から届けられた荷物ということで、首をかしげる。
「それが……どうやら衣装の類のようで」
(もう帰ってくるな、ということかしら……)
いや、きっと違うだろう。母が気遣ってくれたに違いない。
「レディ・ミリアム。今選んだものまでにしておきますわ」
「かしこまりましたぁ。大急ぎで仕立てますわぁ~!」
お見送りは執事たちに任せ、ブリジットはヴィヴィを連れて自室に戻る。
そこには、大量の衣装が運び込まれていた。
「あぁ……」
ブリジットのお気に入りの部屋着まである。
(これがないと眠れないのよ!)
という言葉は、心の中で留めておいて、
「全てクローゼットに入れてちょうだい」
と指示を出していく。
「レディ・ミリアムがお帰りになりました」
「そう、ありがとう」
アルマンとポールの執事2人も戻ってくる。
「そうだわ。アルマン、確かめたいことがあったの」
「私にお答えできることであれば」
「公爵様には確かお子様がいたはずよね。義理の息子になるのだから、仲良くなっておきたいのだけれど。どこにいるのかしら」
主要な貴族の家族構成などはしっかり頭に入っている。王太子妃としての教育の成果だ。
「その件につきましてはお答えできません」
(事務的な反応ね)
その理由は見当がつく。公爵の指示だろう。この場合、アランに再度確かめても同じ反応が返ってくるはず。それなら、ぼろを出しやすい若い使用人に聞くのがいい。
アルマンの隣、ポールに視線を向けると、あからさまに目を逸らす。
「ポール、教えてちょうだい」
「それは……っ、公爵様から……」
「公爵様にご迷惑はおかけしないわ。まずはお友達になりたいだけなの。仲良くならないと、公爵夫人にはなれないでしょう?」
ポールはたじたじになりながらも口をつぐむ。公爵家の使用人は口が堅い。やはり散歩と称して広い公爵邸内を探し回るしかないのか。
「もういいわ。下がって」
執事たちと他の使用人を一斉に下がらせ、部屋にはブリジットとヴィヴィだけが残る。
「奥様……」
ヴィヴィが眉尻を下げて声をかける。
「ヴィヴィ、お散歩に行くわ」
「あ、はい!」
ブリジットはさっそく行動を始めた。
部屋を出てすぐ、廊下の先の部屋から人が出てくるのが見えて、とっさに物陰に隠れる。
「坊ちゃまはまだ食べられないのかい?」
「何が気に食わないんだろうねぇ」
下働きの女性たちがカトラリーを下げているところのようだ。彼女たちを見送ってから、ブリジットは再び廊下に出る。
「あそこね」
彼女たちが出てきた部屋の前に立つ。
「お、奥様……」
「大丈夫。いじめたりしないわ」
止めるヴィヴィの言葉は聞かず、ブリジットは堂々と正面から乗り込む。
トントンと軽くノックし、自ら開ける。本来なら中からあけられるのを待つのがマナーだが、それでは門前払いされるかもしれないから。
「入ってもいいかしら」
そこにいたのは、3人の男の子のみ。正確には護衛なのか騎士が2人いたが、部屋の隅に立っているだけの置物と化している。
驚いている男の子たちの中で、最年長と思われる男の子が立ち上がり、ブリジットに近づいてきた。
「初めまして、レディー」
多少簡略化されているが、それは確かに紳士の挨拶だ。
「お出迎えありがとう。小さなジェントルマン」
「ぼ……わ、私はセドリック・フランクールと申します。レディーのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「わたしはブリジットです。セドリックくん、よろしくね」
これが、セドリックとの初めての出会いだった。