28 提案
「どうしてわたしがこんなことをしなきゃいけないの!?」
今日も公爵家にリュディアーヌの怒りの声が響く。
「したくないなら、しなくてもかまいませんよ。王妃殿下にご報告するだけですから」
ブリジットは紅茶を飲みながら答えた。
「あんた、わたしに仕返ししてるんでしょう!?」
「仕返しされる覚えがあるんですか?」
「……っ」
ブリジットを貶めたことに関しては、まだ認めてないらしい。
「ご安心を。わたしは、過去に教わったことを、リュディアーヌ嬢にお伝えしているだけです」
「そんなわけ……」
「多少簡略化はしていますよ。わたしのように10年もかけたくないでしょうから」
10年かけたことを一から教えていては、彼女はいつまで経っても結婚できない。王太子に世継ぎがいないことは、国の一大事だ。
「わたしをいじめて楽しんでるんでしょう!」
「そんなくだらないことに時間は使いません」
ブリジットはようやく彼女を睨んだ。
「この時間、本当なら子どもたちの昼寝に使うんです。でも、あなたがいるせいで、子どもたちと過ごす時間もありません。わたしの時間を奪っていることに気づいてください」
リュディアーヌは唇を噛んだ。
「アングラード子爵令嬢はどうだ」
寝室で、オディロンが尋ねてきた。
「毎日楽しいですわ」
ブリジットは笑顔で答える。
「……そうは見えないが」
確かに、リュディアーヌは基本的にわがままばかり。何か教えようとするたびに文句をつけてくる。
それでも、楽しい。これは楽しい子ども時代を奪われたブリジットの復讐なのか。
「でも、彼女、王太子殿下を想う気持ちは本物みたいですよ」
「そうなのか?」
「えぇ。この勉強がどんな時に役に立つか説明すると、ちゃんと勉強してくれるんです。王太子殿下の助けになりたいという気持ちがあると思います」
意外そう。ブリジットだって、最初は彼女が欲に目がくらんだのだと思っていた。しかし、そういうわけでもないらしい。
それならブリジットがすることはただひとつ。彼女を応援するために、王太子妃としての教育を詰め込ませるだけだ。
「子どもたちとの時間がないのは、唯一の不満ですけどね」
そう唇を尖らせるブリジットを、オディロンは頭を撫でた。
「明日は休みだ」
「いつも休んでくれていますけど、大丈夫ですか? 陛下がお困りなんじゃ……」
「いい」
仕事の日と休みの日を交互にとって、休日は一日中付き添ってくれる。子どもたちの世話ももう慣れたものだ。
不器用ながらもちゃんと愛情を向けてくれるオディロンに、ブリジットは感謝している。
「オディロン様、大好きです」
ブリジットは彼の胸にコテンと頭を預けた。ゴツゴツとした手が、頭を撫でてくれた。
「王妃殿下、拝謁いたします」
「よくきたわね」
その日、ブリジットはリュディアーヌを連れて王宮に来ていた。
「さ、座って」
「ありがとうございます」
オディロンと結婚して公爵夫人になってから、ブリジットの仕事の1つは王妃の話し相手。時折王宮に呼ばれるため、オディロンと一緒に登城できる。
本当なら子どもたちに時間を使いたいが、これも仕事だと諦めた。
「にしても、変わったわねぇ」
王妃がリュディアーヌの様子を見ながらつぶやいた。
「ブリジットのおかげね」
「とんでもございません。リュディアーヌ嬢も王太子殿下のためにと頑張ってくれましたから」
「あら、そうなの?」
「はい、王妃殿下」
問われたリュディアーヌは小さな返事で答えた。
「あのバカ息子のために、ねぇ……」
「……王妃殿下、王太子殿下とまた何かありましたか?」
このところ王妃から聞いているのは愚痴ばかりだ。
「この期に及んでまだ逃げてばっかり。この前なんて庶民の暮らしを学んでくるって言って、城下へお忍びよ。呆れて何も言えなかったわ」
もっと早く、できればブリジットが王太子妃教育を受けている間にしていれば、きっともっと変わったかもしれなのに。
これは王家の失敗ということで、ブリジットには関係がない。と言いたいところだが、王太子にも変わってもらわなければ、国が危ない。
ということで、
「王妃殿下、ひとつご提案があります」
と言ってみた。
「あら、なにかしら」
「王太子殿下とリュディアーヌ嬢を定期的に会わせるのです」
「会わせる?」
不敬な言葉だが、あえて選んだ。やっぱり王妃はその言葉を聞き取ってくれる。
「はい。ただし、国王陛下と王妃殿下が許していない時には会ってはいけない、というルールのもとで、です」
「それが、あの子の教育に効果があると?」
「頑張っているのが自分ひとりではない。リュディアーヌ嬢も一緒に頑張っている、と思えることは、きっと王太子殿下のモチベーションにつながります」
王妃にとって、王太子はどんなにバカでもクズでも、やっぱり息子だ。きっと見捨てたくはないはず。
「……まぁ、やってみましょう。この時間は執務室のはずね」
さっそく今から行くのか。
執務室ということは、国王、公爵、そして王太子が揃っているはず。オディロンに会えるとなると、ブリジットは少し嬉しかった。
それはきっと、リュディアーヌも同じ。ふっと微笑みかけると、リュディアーヌはそれに気づき、ぷいっと顔をそむけた。
「陛下にお目通りを」
執務室の前にいた侍従に王妃が声をかける。彼は中に確認し、すぐに扉を開けた。
「どうぞ」
「ありがとう」
王妃はすたすたと室内へ入っていく。ブリジットとリュディアーヌも後を追った。
「陛下、少々お時間よろしいですか?」
「どうした?」
「ドナシアンとリュディアーヌが会う回数を制限したいと思います」
「え!?」
それに声を上げたのは、父王のそばで仕事をしていた王太子だった。
「母上! どういうことですか! 私とリュディアーヌを引き裂くつもりで……」
「静かになさい」
喚き散らす王太子を、王妃が一言で制する。
「もとはと言えば無責任なあなたのせいでしょう」
「……無責任……?」
「本当ならもう王太子としての政務を始めていなければいけないのに、まだ王太子教育さえ終わっていない……。恥ずかしいと思いなさい」
「は、恥ずかしい……」
容赦のない母親からの言葉に、王太子は聞こえてきた言葉を繰り返すだけ。
「だいたいね、あなたは王家なら国民の税金で遊び放題だとでも思っているのでしょう? まずはその考えを改めるべきです。国民はわたしたちを養うために働いているのではないのですよ」
「で、ですが、母上……」
「ですが、も何もありません!」
(よ、容赦ない……)
これは止めるべきだろうか。いつもの王妃のペースになる前に。そう考えていると、ブリジットの肩に手が置かれた。
「オディロン様」
いつの間にそばに来ていたのだろう。
「いいですか? リュディアーヌは、公爵家で十分頑張っているそうです。ですが、あなたは何ですか! 何かと理由をつけては全て投げ出して逃げ出す」
「きょ、今日は仕事を」
「ただの雑用係でしょう!」
目の前で繰り広げられる親子喧嘩に、ブリジットはそっとリュディアーヌを見る。彼女も驚いて目の前の光景を見つめるだけだった。
「それで?」
ようやく国王が語りかける。
「なぜドナシアンとリュディアーヌの会える回数を制限するのだ? むしろ会えなくしてしまった方がいいのでは?」
「ブリジットが教えてくれたのです。ひとりではない、一緒に頑張っている人がいる、と思えることが大切なのだと」
「……なるほど」
基本的に教育を強制しない王家の自由主義的な家庭で育ったのだから、王太子が納得することはない。今もブリジットが睨まれている。
(余計なことを言った……とかかな)
が、今のブリジットは、そんなもの怖くもなんともない。隣にオディロンがいてくれるのだから。
「リュディアーヌは、それでいいですね?」
「は、はい!」
王妃に問われ、リュディアーヌが慌てて返事をする。しかし、
「納得できません! 私とリュディアーヌは恋人なのです! 自由が許されていいはずです!」
「仕事をしない人間に自由なんてありませんよ」
ぴしゃりと一言。
「陛下は、よろしいですね?」
「おもしろそうだ。好きにしなさい」
そして、この国王は全く変わらない。
「では、ドナシアン。あなたは公爵家に行くことを禁止します」
「は!?」
「リュディアーヌも、ブリジットが登城する時以外公爵家から出てはいけません。わたしがブリジットを呼んだ時にだけ、2人の時間を取りましょう」
「は、はい!」
リュディアーヌは素直な返事。
「待ってください、母上!」
王太子は納得しない。これでは話が進まない。
「殿下」
その時、リュディアーヌが声を上げた。
「辛いのは今だけです。結婚したら2人でいられる時間が増えるのですから、一緒に頑張りましょう」
「リディ……」
2人は手を取り合って見つめ合う。完全に2人だけの世界だ。
「では、そういうことで」
そんな2人を、王妃が引き離した。




