27 夫婦生活
朝、目を覚ます。まだ上手く開かない目に手を持っていくと、隣から手が伸びてきた。
「オディロン様……」
すっかり目を覚ました、愛する夫。いつから起きているのだろう。いつもブリジットが起きるまでそばにいてくれる。
「子どもたちを起こしにいきましょうか」
ブリジットは幸せを噛みしめながら笑った。
「おはようございます」
子ども部屋では、まだ子どもたちが熟睡中。
「セドリック」
「ん……おはようございます……」
ただ、長男は少し揺らせばすぐに起きてくれる。
「ん、んー……やぁ……」
寝起きが悪い次男は少し時間がかかる。
その間、オディロンは三男を起こす。こんな分担もできるようになった。
きゃっきゃっと楽しそうな声を上げるシャルルにホッとしながら、
「ジェレミー、ゆっくり目を開けてみましょうか」
と優しく起こす。
「……ブリジットさまぁ……」
「起きましたか?」
腕の中から眠そうな声が聞こえ、顔を覗き込んだ。
「いい子ですね」
あとは世話係に任せた。
オディロンは当初の約束通り、2日に一度は休みを取ってくれる。
仕事に行った日の翌日は休み。家族で過ごせる一日だ。偽装婚約していた時の休日と同じではあるが、楽しいひとときだった。
「ブリジットさま! あっち!」
「待ってください、ジェレミー」
ジェレミーに手を引かれて、庭園を走る。
「このおはな、ブリジットさまにみせたかったんです!」
「素敵ですね。見せてくれて、ありがとうございます」
花壇の隅に咲いた花は、確かに綺麗で。
「ジェレミー、言っているだろう?」
セドリックが、弟の隣に膝をついた。
「ブリジット様は、母上になったんだ」
「ははうえ?」
まだ幼いジェレミーには、理解できないのだろう。
「いいのですよ、セドリック」
ブリジットは、そっとセドリックを止めた。
「ジェレミーがそう呼びたくなった時に、呼んでくださいね」
「はい!」
ジェレミーは元気よく返事をした。
「じゃあ、お父上のところに行きましょうか。おいしいケーキがありますよ」
「ケーキ!」
ジェレミーが目を輝かせて駆け出す。
「行きましょう、母上」
セドリックが手を取る。
「はい」
ブリジットはそう笑った。
2人でテラスに戻ると、ジェレミーはさっそくケーキをほおばる。その姿を、そばでオディロンが眺めていた。
「ジェレミー、ゆっくり食べてくださいね」
「はい!」
「いいお返事です」
ブリジットも椅子に座る。
「ブリジットさまも!」
「あら、ありがとうございます、ジェレミー」
ケーキを差しだされ、ブリジットはそのケーキを受け取った。
(子どもたちの幸せそうな顔でお腹いっぱいだわ)
なんて思いながら、セドリックとジェレミー、そしてシャルルをながめる。
「たべました!」
ジェレミーは大きな声で言って、また遊びに行こうと椅子を飛び降りた。
「あにうえもはやくきてください!」
「ちょ、ちょっと待って……」
セドリックは慌てて詰め込み、弟の後を追う。
「う、うー!」
椅子から降りようとするシャルルを手伝おうと、立ち上がろうとする。隣から伸びてきた手が、ブリジットの手を握った。
「オディロン様……?」
そうしている間に、シャルルはひとりで椅子から降りて、よたよたと兄たちを追った。それを見て、ブリジットはまた椅子に座る。
「どうかされたんですか?」
なぜ引き留めたのかその理由を聞きたかったが、
「……意味はない」
と簡素な答えが返ってきた。
「……ふふ」
その少ない言葉の中に隠された言葉は、きっと間違っていない。
「大好きですよ、オディロン様」
「……そうか」
オディロンは短く答えただけだった。
(照れていらっしゃるわ)
ブリジットは笑いながらケーキにフォークを刺す。
「君に」
ふと、オディロンが言い出した。
「負担をかけないことに、安堵している」
「負担ですか?」
「後継ぎはもういるからな。誰も言うことはないだろう」
確かに、貴族の女性の一番の仕事といえば、それだろう。
「でもわたし、ほしいです。オディロン様とわたしの子ども」
「……」
オディロンが驚いていた。
「そんなに驚きますか? 大好きな人の子どもを産みたいって、自然なことだと思いますけど」
「……男だったら、面倒なことになる」
「男の子とは限りませんよ。女の子かもしれません。オディロン様にそっくりな」
オディロンにそっくりな女の子。思わず想像して、ふっと微笑む。しかし、オディロンの表情は硬かった。
「安心してください。わたしだって、公爵家の跡取りはセドリックだって思ってます。あんなに頑張っているんですもの」
それはゆるぎない事実。誰が何と言おうと、ブリジットは我が子を推すつもりもない。
「男の子だったら、争わないように育てればいいんです。最初から野心家に産まれてくるわけではありません」
「……しかし、周りがどう言うか」
珍しい。オディロンが周囲の意見を気にしている。
「子どもたちはわたしたちの子です。セドリックも、ジェレミーも、シャルルも。それに、これから産まれてくるかもしれない子も。誰にも文句は言わせません」
それでも、オディロンの顔は暗いまま。
「まだ他に心配なことがありますか?」
ブリジットが彼の顔を覗き込む。
「……妊娠、出産は、女性は命がけだ」
「そうですね」
この国でもまだ、出産時に命を落とす女性もいる。それだけ危険な仕事だ。
「男は何もできない」
「そばにいてくれるだけでいいと言いますけど」
これは、前世での知識だったか。
「跡取りはいるのだから、無理をする必要は」
「オディロン様」
ブリジットは、オディロンの顔に手を添えた。
「わたしは、クリスティーナ様ではありません」
彼の前妻も、出産を機に体調を崩し、その後命を落とした一人だ。
「わたし、身体だけは丈夫なんです。だから、怖がらないで。わたしを信じてください」
ブリジットの笑顔を見たオディロンは、複雑そうに彼女の手を取る。
「……こんな感情は初めてだ」
「どんな?」
「君を失うことが、怖いと思う」
今まで感情を隠して生きてきた彼だ。初めて触れる感情に怯えるのも、仕方がない。
「わたしは、オディロン様を置いてなんかいきませんよ」
年齢的に、大きな病気や事故でもない限り、おそらくブリジットはオディロンより長生きする。だから、心の準備をするのは、ブリジットの方だ。
「ずっと一緒です。結婚式の時に、そう誓い合ったではありませんか」
人生をかけて彼を愛する。ブリジットはそう決めていた。ずっと前から。
「ちちうえー!」
「母上!」
庭園から子どもたちの声がする。
「行きましょう。子どもたちが呼んでいます」
ブリジットは笑顔で彼の手を取った。
「ブリジットさま、ちちうえはいつかえってくるのですか?」
ブリジットの膝に座っていたジェレミーが、振り向いてそう聞く。
今日はオディロンが登城する日。ブリジットはひとりで子どもたちを見ながら、穏やかな時間を過ごしていた。
「お父上がお帰りになったら、何かしたいことがあるのですか?」
「けんじゅつをおそわります!」
もうすぐ5歳。身体を動かすことが好きだからと、オディロンが時々稽古をつけている。
「ジェレミーは大きくなったら騎士様になるのですか?」
「はい! おうたいしでんかをおまもりします!」
あの男のために命をかけると言われると、少し複雑だ。だが、それは貴族に生まれた以上仕方のないこと。
「立派な騎士様になりますよ」
ブリジットはそう笑った頭を撫でた。
「公爵様がお帰りになりました」
侍女が告げたその言葉で、ジェレミーがパッと笑顔になる。
「ちちうえ!」
「ジェレミー、走らないで。ゆっくり行きましょうね」
駆けだそうとするジェレミーを止めて、ブリジットは玄関に向かう。
そこには、執事と話すオディロンの姿。そして、その後ろにいた女性を見て、ブリジットは驚いた。
「ちちうえ!」
ジェレミーが声をかけ、オディロンがこちらに気づく。
「おかえりなさいませ、オディロン様」
ブリジットは慌てて笑顔を作る。
「……あぁ」
オディロンはチラリと後ろを見、そしてブリジットに歩み寄る。
「王妃殿下からだ」
手紙か。不思議に思いながら受け取る。
『バカ息子がアングラード子爵令嬢と結婚すると言って聞かないから、王太子妃になれるように教育して』
ざっと要約すると、そんな言葉が書かれていた。
『元々王太子妃教育を受けてきて、さらに今は公爵夫人のあなたなら、適任よ。嫌がって投げ出すならそれまで。王太子妃としてふさわしくないと判断してもらっていいわ』
無茶苦茶を言ってくれる。王妃らしさに、ブリジットは笑みをこぼす。
「断ってもいい」
オディロンがそう言った。
確かに、彼女との仲がいいとは言えない。ブリジットは貶められた側だ。
「……いいえ」
それでも、ブリジットは笑った。
「引き受けますわ。王妃殿下がわたしを信じて任せてくださったんですもの」
格下の令嬢が、格上の夫人の侍女になって花嫁修業をする、なんて話はどこにでもある。これはおかしいことでもない。
「リュディアーヌ嬢、よろしくお願いしますね」
ブリジットの微笑みに、彼女は不服そうに顔をしかめた。




