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23 楽しい記憶


「……ちゃん」


 誰かに呼ばれている。


「……ちゃん!」


 その声は、だんだん強くなって。


「お姉ちゃん!」


「え!?」


 あわてて起き上がった。周りを見る。


 なぜ? 懐かしい我が家のはずなのに。この落ち着かない感覚。


「ねぇ、はやく続き読んでよ!」


「え? 続き?」


「それ!」


 妹が指をさした先には、一冊のノート。そうだ。妹が書いた小説を読んでいたところだった。


「お姉ちゃんが、悪役がかわいそうって言うから、ちょっと変えてみたの」


 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「ごめんね、すぐに読むから」


 そう言って、ノートをめくった。


「修道院に送られた悪役令嬢はね、幼馴染が迎えにくるの。それで、田舎の領地でひっそりと暮らすのよ。これならどう? ……って、お姉ちゃん!?」


「え?」


 妹に呼ばれ、顔を上げる。その顔には、涙が流れていた。


「なんで泣いてるの?」


「なんでって……」


 なぜだろう。悲しかった。


「もー、泣く話じゃないでしょー」


 妹はシャツの裾を持って、彼女の顔を拭う。


「ねぇ、~~~」


 ラジオのノイズのような雑音。妹の名前を呼んだだけなのに。


「なぁに?」


 妹には聞こえてないのだろうか。


「何か……忘れてない?」


 大切なことを忘れている気がする。大切な部分が、抜け落ちている気がする。


「なんのこと?」


 妹はきょとんと首をかしげる。


「気のせいか……」


「~~~」


 またノイズ。そして、部屋を覗いてきた母。


 の、はずだった。その顔は、まるで弟たちがクレヨンで落書きしたみたいに塗りつぶされている。


「おかあ、さ……」


(あれ?)


 違和感。


「……ま……」


 その言葉の後に続いた音。


(おかあさま?)


 母をそう呼んだ時があっただろうか。


「あ、そうだ。お姉ちゃん、聞いてよ」


 また妹が顔を覗き込んでくる。


「新しいお話を考えたの」


「新しい、話?」


「そう! 王子様とヒロインがね、魔人を退治する話!」


「そ、そっか……」


 違和感を覚えながらも、妹の話を聞く。


「この魔人の正体がね、なんと! 宰相の」


「ダメ!」


(え?)


 ほとんど反射だった。


「ど、どうしたの? お姉ちゃん」


「あ、いや……」


 おかしい。


「ごめん、食堂手伝ってくるね」


 違和感を拭いたくて。その場から立ち上がる。ドアに手をかけ、開けた。その先は、真っ暗闇だった。


「お姉ちゃん、どこに行くの?」


 たった今、食堂と言ったばかりなのに。妹の顔が不思議そう。


「こっちにいるよね?」


「こっ……ち……?」


 不思議な言葉。


「それ、どういう」


『いかないで』


 暗闇の中から、聞き覚えのある子どもの泣き声がした。


『いかないで、~~~~~~』


 あぁ、また。ノイズが邪魔だ。肝心なところが聞き取れない。


「ごめん、行かなきゃ」


 それなのに、この何かに駆られるような焦燥感は何だろう。


「お姉ちゃん?」


「ごめんね!」


 そして、彼女は暗闇に飛び込んだ。




 暗闇の中。右も左も、前も後ろもわからない。それなのに、まるで足はわかっているように、ひとつ、ふたつと歩を進める。


 すぐそばを天の川のような光が降ってきた。そっと手を触れる。


『~~~~~さま!』


 懐かしい声。今度は反対側に、また同じような光の雨が降る。


『~~~ット様』


 クレヨンで塗りつぶされた顔は、無邪気な笑顔だった。


 どうしてわかるのだろう。見えないはずなのに。


 また目の前に降ってきた光の雨に降れる。今度は声がない。ただ、クレヨンで潰された顔。それは、厳しくて、でも優しい眼差しの男性。これも、見えていないはずなのに、わかる。


 光の雨は、さぁっと消えていく。


 もっとよく見ればわかるのに。なにかに追われるように、次々と降る光の雨に触れていく。


 知っている。知っているのに。どうして何も見えないのだろう。


「……っ、さま……」


 何もわからず、涙を浮かべて立ち止まった彼女のそばに、また光の雨が。それに触れた瞬間。


『ブリジット!』


 焦った表情。


「公爵様!」


 彼女がそう叫んだ瞬間。何かに強く引き上げられるような、押し上げられるような。




「ブリジット!」


 ハッと目を開けた。


「……ぁ……?」


 懐かしい天井。ずっと見ていなかった。


「ブリジット! あぁ……」


「お、かぁ、さま……?」


 なぜ? 自分は公爵家に住んでいたはずでは?


「公爵様は!?……っうっ」


 あわてて起き上がると、右肩がズキンと痛んだ。


「あぁ、無理はしないで。まだ寝てなきゃ」


 母の手でゆっくりと倒される。


「お母様……」


「ここにいるわ」


 母の貴族らしい華奢な手が、ブリジットの手を包む。優しく、温かくて。でも、力強さはなくて。


 求めているものではないと思ってしまう。


「公爵様は……?」


 彼の居場所を尋ねた。


「……今は、何も考えないで」


「……え?」


 母の顔が、悲しそうに歪む。その理由を尋ねようと口を開くと、


「ブリジット!」


 父が部屋に飛び込んできた。


「あ、あぁ……」


 父は感動のあまり声をかすめながら、娘に歩み寄る。


「よかった……」


「お父様……」


 なぜ両親が泣いているのか、ブリジットはわからない。


「公爵様にお礼をしなくてはな。ブリジットは助けてくださったんだ」


「あ、あなた……」


 母がなぜか父を止める。


「公爵様はいらっしゃらないのですか?」


 ブリジットは父に尋ねた。


「ブ、ブリジット。もう休みなさい」


 母が席を立った。


「さ、あなたもこちらへ」


 よくわからない。それなのに、漠然とした不安がつきまとう。


 母が父を連れて部屋を出ていく。ブリジットは部屋をグルリと見回した。


 王太子に婚約破棄される前。最後にこの部屋を出た時と変わらない。伯爵家の中のブリジットの自室。なぜ公爵家ではないのだろう。


「……だれか」


「はい、お嬢様」


 ブリジットの小さな声に答えたのは、小さな頃から一緒にいるメイドだった。


「メアリー。わたしはどうしたの?」


「狩猟大会でドラゴンを討ち取られたあと、毒のついた矢に刺されて、半月以上眠っていらっしゃいました」


 淡々とした答え。実に彼女らしい。端的でわかりやすい。そして、思い出した。自分は公爵との賭けに勝ったのだ、と。


「半月……」


 かなりの時間寝ていたらしい。


「その間、わたしはずっとここに?」


「いえ、10日間ほど公爵家にいらっしゃいました。ある程度回復してからこちらに運ばれました」


「そう」


 公爵家に戻らなければ。この関係は、まだ終わっていない。これ以上に進展する。やっと彼に近づける。


「公爵様は、何か仰っていた?」


 きっと心配させているだろう。子どもたちも泣いているかもしれない。


「婚約を白紙に戻す、と」


「……え?」


 一気に頭が真っ白に染め上げられた。


「……冗談でしょう?」


「残念ながら、事実です」


「え……なん……」


 どうして。賭けに勝ったのに。


 布団をはねのけて飛び起きる。


「お嬢様」


 あわてて止めに入るメイドの手を振り払い、ズキンズキンと痛む肩を気にする余裕もなく、扉を開けた。


「お父様!」


「ぶ、ブリジット!」


 母が駆け寄ってくる。


「まだ寝てなきゃ」


「公爵家からのお手紙を見せてください!」


「ブリジット、お前なにを……」


「はやく!」


 驚いている父に手紙を取りに行かせる。


「ブリジット、もう少し回復してからでも」


「ごめんなさい、お母様。でも、早く確認したいことがあって」


「それは……」


 母が視線をそらして口ごもる。それは、明らかに何かを隠しているようで。


「ブリジット、これが公爵家から」


 父が持ってきた手紙を、なかば奪い取るように手に取った。


『婚約を破棄』


 その文字は、確かに書いてあった。


「……っ」


 後頭部を何かに打たれたように、全身から力が抜けた。崩れ落ちるようにその場に膝をつく。


「……なん、で……?」


 目の前が歪む。


「公爵家に確認に……」


「ブリジット」


 混乱の中、立ち上がろうとする娘を、母は静かに止める。そして、娘を優しく抱きしめた。そのぬくもりは、確かに現実で。


「公爵様……っ」


 ブリジットの頬を大粒の涙がつたう。


「いやだ……」


「ブリジット」


「いやだ! いやです! 公爵様がいい!」


「ブリジット!」


 母の腕の中で、子どものように泣きわめく。それでも、母は離してくれなくて。


「うぁ……ああぁぁぁ……っ」


 ブリジットはどうすることもできず、ただ声をあげて泣き叫ぶしかなかった。



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