21 狩猟大会
森の中を歩く。ガサガサと落ち葉を踏む音。茂みをかきわけて。
ガサッと何かが飛び出してきた。とっさに弓をかまえる。
魔獣だ。さっそくご対面か。
不思議と怖くはない。逃げたいという気持ちもない。ただ、真っ直ぐに見つめて。引き金に指を置く。セドリックの言葉を思い出して。射程距離までゆっくりと近づく。魔獣はこちらを見て警戒を強める。射程距離に入った瞬間、引き金を引いた。
「……よし」
魔獣は気化するようにとけ、矢の先に刺さったのは赤黒い魔獣の核だけ。これを集めて総重量を競うのが、狩猟大会だ。
「まずは1匹」
腰につけた袋にコロンと入れた。考えている暇はない。もっと大きな魔獣を探そう。
パキッと小枝が折れる音がした。ハッと視線を向ける。そこにいたのは、大勢の従者を従えた王太子だった。
「……ブリジット」
彼は驚き、そして睨んでくる。
「何の真似だ?」
答えない。答える必要なんてない。
「おい、殿下が」
従者がブリジットを注意するが、王太子はそれを止めた。
「遊びのつもりなら、さっさとリタイアしろ」
「……」
視界の隅で、魔獣の足跡を見つけた。大きい。
「おい、聞いてるのか?」
無視して弓をかまえる。見えた。
「殿下、魔獣が」
従者が王太子にも教える。彼はハッと弓を構えた。
「ブリジット、俺に譲れ」
「お断りいたします」
ブリジットの言葉に、王太子が驚いて振り向いた瞬間。ブリジットは引き金を引いた。矢は真っ直ぐに空気を切り、魔獣に刺さった。
「ぎゃああぁぁ!」
大きな断末魔とともに、魔獣が溶けていく。両手で持つくらいの大きさの核。
「ブリジット!」
王太子がブリジットの肩をつかんだ。
「危ないだろう! なぜあんな真似を!」
その手を、ブリジットは振り払った。
「殿下には関係ありません」
「関係ないって……」
「そうでしょう。わたしと殿下は、もう婚約者でも恋人でもありません。気安くファーストネームで呼ばないでください」
王太子の目を見てそう告げ、踵を返した。次の獲物を探さなければ。
その時だった。
「きゃあぁぁぁ!」
女性の悲鳴。それも、1人や2人ではない。会場に何かあったのだろうか。あわてて森を駆ける。森を出たところで、
「……っ」
ハッと息を飲んだ。
巨大なドラゴン。なぜ結界があるこの場所に現れたのだろう。
(公爵様!)
警備にあたる騎士に指示を出し、忙しそうにしている。怪我はしていないようだ。
チャンスだ。なにかが耳元でささやいた。これを倒せば、優勝は間違いない、と。
(……やれる?)
心の中は冷静だ。まずは一矢。ドラゴンに当たったが、刺さらない。ブリジットが込めた魔力では太刀打ちできないらしい。
(それなら……)
ちらっと公爵を見た。彼の腰にさげられた大きな剣。
子ども用の剣は持ったことがある。セドリックに借りた。ずしりと重かった。両手でやっと支えられるくらい。
大人用の、それも騎士たちが使うよりずっと大きい剣。きっと持つのも精一杯だろう。でも、公爵の魔力が込められた剣だ。運が良ければ一発でドラゴンを仕留められる。
(失敗すれば?)
そんな考えは振り払った。
「目を狙え!」
騎士たちに指示を出す公爵に、そっと歩み寄る。
見えていない。今、彼にブリジットの姿は見えていない。今しかない。誰かが放った矢が、ドラゴンの片目に刺さる。
一瞬、騎士たちの気が緩む瞬間を、公爵は許さない。
「気を抜くな!」
その瞬間だった。ブリジットは、公爵に向かって駆け出した。体当たりすると同時に、剣を抜く。
「借ります!」
「な……っ」
公爵が驚くのがわかった。だが、止まっている暇はない。
「やめろ!」
それは誰の声だったのか。ほんの少し地面を蹴るだけで、ふわっと身体が浮いた。
(すご……っ)
これが公爵の剣に込められた魔力か。
「……ハハッ」
あっという間にドラゴンの上を取った。ドラゴンの急所は、眉間。心臓も急所ではあるらしいが、狙うのが難しいところ。
ここを一突き。重力に従って落ちていく中、両手で剣の刃を下にした。やっぱり重い。ずしっと重い衝撃。
気づけば、ドラゴンの頭に立っていた。剣はちょうど眉間に刺さっている。
「ぎぃゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
鼓膜を破るくらいの鋭い悲鳴。まだとどめきれていない。
「死んで!」
さらに強く剣を突き刺した。ブリジットの全体重をのせて剣先を押し付ける。
その瞬間、ぶわっと風が巻き起こった。風はドラゴンの体をサラサラと運んでいく。ブリジットが目を開けた時、足元には巨大な核があった。
「……っ」
一瞬の静寂。そして
「うわああぁぁぁぁ!」
わきおこる歓声。
「……は……っ」
息を吐きだした。手がしびれている。
「……生きて、る……」
ぶるぶると震える手をきつく握りしめる。
(勝った……!)
「……って、きゃっ」
足を滑らせ、世界が反転した。
「だ、大丈夫ですか?!」
核の下で、騎士に受け止められた。
「ありがとうございます」
そう微笑みかけ、立ち上がる。そして、公爵を見る。切れ長の目を大きく見開き、驚いている公爵。
ふふっと笑った。これで賭けはブリジットの勝ち。そう伝えなければ。
足は自然と動いていた。ゆっくりと、ゆっくりと。しかし、徐々に速く。我慢できず、走り出した瞬間。
トンッと、肩を何かに押されたような感覚を覚えた。それだけでバランスを崩す。
「ブリジット!」
地面に倒れたブリジットの耳に、公爵の声が聞こえた。
(あ、名前……)
初めて呼んでくれた。
右手が動かない。じわりと熱が広がる。そして、熱を持ったところが、ジンジンと痛む。
「ブリジット!」
視界に公爵の慌てた顔が映った。
「こーしゃく……さま……」
「我慢しろ」
耳になじんだ低い声の後、
「……っクッ!」
右肩に強い痛みを感じた。
「公爵様……」
抱き起こされた。初めての公爵の腕の中は、力強く、温かくて。未だに震える左手を、公爵の顔に持っていく。その途中で、公爵の手に握られた。
「わたし……やりました……」
「喋るな」
「……ふふ……」
なぜ慌てているのか、なんて思考にはならなかった。
なぜだろう。ただ、公爵の腕の中にいることが、嬉しかったからか。
「ねぇ、公爵様……」
「喋るなと言っているだろう」
「……愛して、います」
伝えなければ。何度でも、何度でも。彼の心に伝わるまで。
「セドリックも……ジェレミーも……シャルルも……」
愛おしい子どもたち。
「……オディロン、さま……」
しわが刻まれた顔。そのしわの1つさえも、こんなに愛おしく感じるなんて。
「愛しています」
「……わかった。もういい」
「あい、し、て……」
疲れたのだろうか。意識が遠のく。声が出ない。
「ブリジット!」
暗い海の底へ引きずり込まれるように。彼女は、意識を手放した。




