18 色仕掛け作戦
さて、ここまで半月ほど。胃袋作戦がうまくいっているとは思えない。そろそろ次の作戦を考えなければ。やっぱりここは、色仕掛けだろうか。
「おやすみなさいませ、奥様」
「えぇ、おやすみ」
ヴィヴィたちが部屋を出て行ってすぐ、さっそく動き出す。
ナイトウェアのままだが、これでいい。上にガウンを羽織り、そっと廊下に出た。
誰もいない。さすがにこの姿を公爵以外には見られたくない。公爵もどんな反応をするだろう。ドキドキしながら、公爵の寝室の扉を叩いた。
「入れ」
いつもの低い声に、背筋が伸びる。
「公爵様……?」
そっと顔を覗かせると、公爵の怪訝そうな顔が目に入った。それにふっと笑って、部屋に入る。扉を後ろ手でパタンと閉め、公爵を見た。
「淑女が男の部屋を訪ねる時間ではない」
「あら、わたしは公爵様をお慕いしているのですから、夜這いくらいしてもいいのでは?」
(あ、さすがに言葉の選択を間違えたかしら)
夜這いなんてはしたない言葉、と怒られてしまうかもしれない。と思ったが、公爵は視線を逸らし、
「部屋に戻れ」
と短く告げた。その様子がかわいくて、つい笑ってしまう。
「イヤです」
はっきりと告げ、公爵が腰掛ける椅子に歩み寄った。
「公爵様、一緒に寝ませんか?」
「……」
誘惑するように上目遣いで見上げる。
「何もしませんから」
「……それは男の言葉だと思うが」
「どちらだっていいんです」
色仕掛けなんてしたことはない。前世のドラマで見た通りにやってみた。これでいいのだろうか。
「……わかった」
心の中でガッツポーズをした。
大きなベッドに大人が2人。広すぎるベッドだ。シングルベッドなら近づけるのに。
そして、寝られそうにない。心臓がうるさい。
(公爵様に聞こえているかしら)
両手で胸の辺りをぐっと抑え、少しでも音を消す。
そっと隣を見てみる。鼻筋まですっと伸びた、整った顔立ち。綺麗な横顔。
「……公爵様、もう寝ましたか?」
そっと呼びかけてみる。返事はない。目が開く気配もない。本当に眠ってしまったらしい。
(乙女が隣にいるのに……!)
なんて怒ってみる。自嘲的に笑った。公爵にとって、ブリジットは娘のようなもの。手を出すはずなんてないのだ。
「公爵様」
目を開けることのない横顔に呼びかける。
「公爵様は、どうしてわたしを助けてくださったのですか?」
ずっと感じていた疑問を口にしてみる。
王太子に婚約破棄されて、修道院へ送られる前。公爵はなぜブリジットに手を差し伸べてくれたのか。
「公爵様に助けていただけなければ、わたしは死んでいたのですよ」
修道院に送られる途中で暗殺。そんな未来の話なんて、できるはずがない。
「わたしは……死ぬ運命から逃れるために……公爵様を利用しました」
それは、懺悔にも近い言葉だった。打算的に近づいたことは、否定できない事実だ。
「公爵様は、鬼宰相とかいろいろ言われてますけど、わたしは知っています。誰よりも優しくて強くて、大切な人を守れる人だって」
ここで公爵を見てきた目は、決して間違ってはいない。
「それに、とってもかわいい……」
ふふっと笑みがこぼれた。
「公爵様、大好きです」
そっと肩に触れた。ゴツゴツしていて、硬い。筋肉のようだ。宰相になった今でも身体をきたえているのだろうか。胸がきゅっとしめつけられる。
「愛しています」
肩に額を添える。
「だから、どうか……」
『笑って』
それは、言葉になったのだろうか。
「……!」
ハッとした。寝ていた? 記憶がない。公爵を見る。寝る前に見た記憶と変わらない。ブリジットの意識がない間に動いた形跡もない。
まずは安心。そして、ちょっとした不満。
(少しくらい触ってくれたって……)
そう思いながら、ベッドを出る。衣服の乱れもない。
ベッドに眠る公爵を振り返る。綺麗な寝顔。
(こうしてみると、セドリックに似てるわね)
朝日に照らされた顔に、そっと手を添える。
そして。額にキスを落とした。子どもたちにするように。やっぱり起きない。少し残念に思いながら、ベッドを離れる。
扉が閉まる直前。公爵がゆっくりと起き上がるのに、ブリジットは気づいていなかった。
「ブリジット様……?」
セドリックが心配そうな顔をする。
「目の下にクマが……」
やっぱり子どもの目は誤魔化せない。
「大丈夫ですよ。少し夜に考え事をしてしまって」
公爵はシャルルを抱いてしれっとしている。
一晩過ごして、指一本触れられなかった。もうこれは無理ではないか。諦めるべきか。
(虚しいわね)
ふと、心の中にポツリと言葉が浮かんだ。このまま続けて、公爵は振り向いてくれるのだろうか。まだ引き返せるうちに離れてしまうのが、正解ではないのか。
「……疲れているなら」
ふと公爵の声が聞こえた。
「休んできなさい」
(あぁ……)
こういうふとした瞬間の優しさ。離れられない。どうしようもないほどに。この人を愛してしまっているのだ。
庭園のそばのテラスでブリジットと公爵は向かい合っていた。
もちろん、すぐそばにはセドリックとジェレミー。そして、ブリジットの手にはシャルルが抱かれている。
「あーぅ」
「シャルルはいい子ですね」
カランカランとおもちゃを鳴らしてあげると、両手をあげて嬉しそうにじゃれる。かわいい。
「ちちうえ!」
ジェレミーが走って戻ってきた。その後をセドリックも追いかけてくる。
「あにうえにおしえてもらってできました!」
ジェレミーの手には綺麗な花冠が。
「よくできている」
公爵は頭に手を置いて褒める。そして、その視線はセドリックへ向かった。
「手先の器用さは騎士にも重要な資質だ」
それを聞いて、セドリックも嬉しそうに笑う。
「父上は作れますか?」
ごく自然に尋ねる。
「いや、ここまで上手くはないな」
「あにうえ、ちちうえよりじょうずなの? すごいね!」
そこには、ごく当たり前の家族の姿。きっとこの親子は、このまま上手に関わっていくのだろう。ブリジットがすることなんて、もうない。
「あ……」
セドリックがブリジットを見た。
「父上、この花冠、ブリジット様にプレゼントしてもいいですか?」
「あぁ、好きにしなさい」
「では、父上からブリジット様の頭にのせてあげてください」
「……!」
これにはブリジットも驚いてしまった。
「セドリック」
「ブリジット様、いいですよね?」
父の言葉を遮って、セドリックは嬉しそうに聞いてくる。ブリジットはふっと笑った。
「もちろん。よろしくお願いします、公爵様」
両手はシャルルでふさがっている。少し頭を下げると、公爵は諦めたように立ち上がった。
セドリックから花冠を受け取り、ゆっくりと近づいてくる。
トクン、トクンと。穏やかな、でも確かに感じる心臓の音。
髪に公爵の手が触れたのがわかる。そっと頭の上に確かな重みを感じた。ゆっくりと頭をあげる。
「わぁ……!」
ジェレミーが声をあげた。
「ブリジットさま! きれいです!」
「ありがとうございます。ジェレミーとセドリックが上手に作ってくれたおかげです」
子どもたちを褒めて、公爵を見上げる。
「どうですか? 似合っていますか?」
「……あぁ」
公爵はそう頷いただけだった。そして、また椅子に戻っていく。照れているのだろうか。
「ブリジット様、シャルルを抱いてもいいですか?」
「はい。落とさないように気を付けてくださいね」
セドリックの手にシャルルを任せる。
「ジェレミー、あっちで遊ぼう」
「うん!」
セドリックは弟たちを連れて離れていった。ブリジットはそっと頭の上から花冠を取る。
「……懐かしい」
ポツリとつぶやいた。前世でも妹たちとよく作った。
「公爵様も作れるんですね」
「……戦場で騎士たちが作っていたからな」
確かに戦場では手慰みにはなるだろう。
幸せだ。今までになく。きっと、これ以上を望んではいけない。
(この幸せが、ずっと続けばいいのに)
その言葉は、心の中に閉じ込めた。