17 胃袋作戦
翌朝、ブリジットはいつもの時間に起きた。といっても、元々寝てもいなかった。
一晩中考えた頭は、今でもぐちゃぐちゃで。全く整理できない。そんな中、朝が来るのを待っていた。
もういい。プライドとか、見栄とか、体裁とか。そんなの、どうでもいい。当たって砕けろ。それは、前世の言葉だったか。およそ令嬢らしからぬ言葉に背中を押された。
「おはようございます、奥様……。奥様!?」
いつものように支度を手伝いにきたらしいヴィヴィに、
「ごめんなさい。すぐ戻るわ」
と伝え、公爵の部屋に向かう。昨日から寝ていないのだから、身支度の必要もない。
「公爵様、失礼いたします!」
返事を待たずに扉を開けた。公爵は当然のように起きていた。
「何の用だ」
「お話に参りました」
「必要ない」
「わたしにはあります」
有無を言わせない気迫で告げ、ふっと息を吐く。次にはゆっくりと息を吸い、
「公爵様、お慕い申し上げております」
一息だった。
言ってしまった。もう取り返しはつかない。
「何の冗談だ」
「冗談ではありません。本気です」
不思議と落ち着いていた。
「親子ほどの年の差がある」
「18歳差なんて、貴族の結婚では珍しくもないでしょう」
公爵の言葉なんて聞いてやるものか。そんな意地もあったかもしれない。
「本題です。わたしは公爵家を離れたくありません。公爵様のおそばも離れたくありません」
「ダメだ。家へ帰れ」
「そうおっしゃると思っていました。なので、一晩考えました」
淡々と告げる。これがきっと正解と信じて。
「3ヶ月、時間をください」
「……」
「3ヶ月経ってもまだ公爵様がわたしを好きになれないなら、大人しく実家に帰ります」
「……ダメだ」
やっぱり頑固。でも、奥の手はある。
「子どもたちにお別れをさせてください」
「今日一日で十分だろう」
「いいえ。10日あったって足りません。わたしがいなくなったら、子どもたちは泣きますよ。それでもいいんですか?」
これには公爵が黙った。やっぱり、子どもたちを愛するがゆえの迷い。
「父上!」
その時、ブリジットが閉め忘れた扉から、セドリックが飛び込んできた。
「ブリジット様がいなくなったら、悲しいです」
「……セドリック」
公爵がとがめるように低い声でうなるが、セドリックは止まらない。
「ブリジット様は、勉強を教えるのも上手だし、ジェレミーの遊び相手もしてくれます。ブリジット様がいなくなったら、ジェレミーとシャルルは絶対に泣きます。僕1人ではなだめられません」
それは確かに事実だ。容易に想像できる。
「3ヶ月の間に、公子様たちが笑顔でお別れできるように、いろんなことを教えます。それでどうですか?」
ブリジットが最後に聞いてみる。セドリックも真っ直ぐな目を公爵に向ける。
「……好きにしろ」
ついに公爵が折れた。
「シャルルを起こしにいく」
そう残して、部屋を出ていく。
「ブリジット様」
父の背中が遠くなってから、セドリックがブリジットの袖を引いた。口に手をあて、秘密の話だと察してブリジットは耳をセドリックの口元に寄せる。
「3ヶ月じゃ足りません。もっと、もっと、一緒にいてください」
「え?」
「父上に、ブリジット様が好きだって言わせましょう。僕も協力します」
なんとも心強い味方ができてしまった。というか、どこから聞いていたのだろう。
「セドリック、お願いしますね」
ブリジットもセドリックの耳にコソコソと伝える。2人はにっこり笑いあった。
ブリジットは実家に手紙を書いた。まだ帰れないこと。結婚の話はそれまで待っていてほしいこと。そして、家族を愛しているということまで。ここまで綴れば、きっと母はわかってくれる。
まずは胃袋を掴め作戦。
前世で妹が熱弁していた。男は結局胃袋。中学生が何を言っているのだろう、と思っていたが、今はそれを信じることにする。
問題はメニューだ。肉じゃがなどの家庭料理定番の和食メニュー。この国でよくみられる洋食風メニュー。それとも、目新しいもの?何が公爵の好みだろう。
「セドリック」
「はい!」
そっと協力者を呼び寄せる。
「公爵様に、今日の夕食は何を食べたいか聞いてきてもらえますか?」
「わかりました!」
シャルルを抱いてソファに座る父の元に、セドリックは意気揚々と戻っていく。
「父上、お腹が空きましたね」
「……そうか」
親子の会話が増えるのは喜ばしいことだ。なんて微笑ましく見守っていると、
「今日のお夕食は何が食べたい気分ですか?」
「……なんでもいい」
これでは何にもならない。
「僕はアップルパイが好きです! 父上は好きなものはありますか?」
(ナイス、セドリック!)
「アップルパイは夕食に食べるものではない。それから、好き嫌いせずに食べなさい」
「……はい」
違う。父親として正解の言葉を出せただけ褒めるべきだろうか。
「ブリジット様ぁ……」
セドリックが肩を落として近づいてきた。
「ありがとうございます、セドリック」
ブリジットは笑いながらその頭を撫でる。
「あとで美味しいアップルパイを焼きますね」
セドリックは悲しそうに微笑んだ。
「んー……」
倉庫で食材をあさる。成人男性に人気で、ついでに見栄えがいいもの。
「……作ってみるしか、ないか」
3ヶ月ある。どこかで当たればいいのだ。
「お、奥様……」
「ごめんなさい。これだけはわたしにやらせて」
心配そうな料理人を置いて、料理を始める。肉や野菜を調理し、メインとなる米を炊く。炊飯器がないため、鍋で炊くのは難しい。大衆食堂の娘として料理の基本を叩きこまれていてよかった。
「……っできた!」
そうして完成したのは、立派なかつ丼。
「さぁ、おまたせしました!」
テーブルセッティングもブリジットが1人で行い、ダイニングに公爵と子どもたちを招いた。
「ブリジットさま、これはなんですか?」
「かつ丼といいます。えっと……豚肉にパンの粉をつけて油で揚げて、ライスに乗せる、ボリューミーでとっても美味しい料理です!」
どんぶりという器はなかったため、できるだけ深い皿に盛りつけた。ちょっと不格好だが、かつ丼と言い張ればかつ丼だ。
「おいしい!」
「美味しいです、ブリジット様!」
ジェレミーとセドリックには大好評。問題の公爵は……
「……」
無反応。
(わかってた。わかってたことよ)
反応があるなんて思っていなかった。これでいい。と言い聞かせた。
しかし、諦めるわけにはいかない。次は朝から行動を起こした。
「公爵様、お昼をお持ちしました」
馬車で登城し、宰相の執務室に入った。
「……何の用だ」
「ですから、ランチをお持ちしました」
宰相である公爵には、城から昼食が出る。しかし、王妃に事前に許可を取っていた。
「さぁ、こちらをどうぞ」
ランチボックス、というか弁当。作ったばかりだから冷えてもいない。
「スープも作りました」
和食を中心としたおかずにライス、そして味噌汁。この国の食材で作るのは苦労した。しかし、自信はある。やっぱり洋食より和食の方が得意だ。
「オディロン、いるか?」
「え!?」
突然扉が開いて、入ってきた人物に、ブリジットはぎょっとした。あわててカーツィの姿勢を取る。
「あぁ、君は……ブリジット嬢か」
「国王陛下……」
会ったことがないとは言わないが、王妃よりも面識は少ない。
「お、なんだ? それ」
国王は公爵の前にあった弁当箱に興味を持った。
「彼女が作ったランチだそうだ」
公爵が答える。
「へぇ。いいね。珍しい料理だ。これはオムレツか? 具を入れ忘れているようだが」
「た、たまごやきと申します。具は入れずに、卵を巻いたもので……」
せっかく公爵と2人きりだったのに。残念に思っていると、
「陛下?」
王妃が姿を現した。
「こちらにいらっしゃったのですね。まだご政務が終わっておりませんわよ」
「う……っ」
「さぁ、こちらへ」
王妃は国王を連れていってしまった。
「公爵様……」
「気にしなくていい」
公爵は一言そう告げて、フォークでたまごやきを口に入れる。
「ど、どうですか……?」
甘いたまごやきを作り慣れていたが、公爵はきっと甘すぎない方がいい。砂糖の加減が難しかった。
「……おいしい、と思う」
公爵の言葉に、ブリジットはホッとした。料理を褒めてもらえるのは嬉しい。
「ありがとうございます、公爵様」
ブリジットは無邪気に笑った。