15 願い
その日、久しぶりに登城したオディロンは、長いこと任せていた調査の結果を目にした。
「お前が睨んだ通り、バックにはアングラード子爵家がいた」
国王が頭を抱える。
「厄介な令嬢を選んだものだ、あいつは……」
それを事前に教えない王家の教育に問題はないのか。そこを問い詰めたいところだが、今、彼の中にその余裕はない。これですべてが終わった。
「アングラード子爵家は暗い噂が絶えません。王太子妃としてふさわしくないという声も、既に届いています」
それでも彼は、仕事をこなそうと頭を動かす。胸の内にわきあがる暗い思いは隅に追いやって。
「どうにかしないとな」
国王ははぁっと深い息を吐いた。
「で、お前はどうするんだ?」
ふと、国王が聞いてきた。
「どうとは?」
「例の令嬢だよ。ブリジット嬢だったか」
「冤罪が証明されるまでという期限付きでしたから」
どうもなにもない。結果は決まっている。
「それでいいのか?」
国王は何を言っているのだろう。
「早く仕事をしてください」
「……げ。お前がいない間は自由だったのに」
そうだろう。7日間の仕事が全てため込まれている。これを早く処理しなければ。オディロンはそれだけを考えていた。
王家もさぞ頭が痛いことだろう。ブリジットの実家、ジェルヴェーズ伯爵家は、訴えを起こす権利もある。そうなれば、王家に勝ち目はない。
オディロンだって彼女の実家を支持する。それは、特別な感情でもなんでもなく。それが正しいことだから。アングラード子爵家もタダではいられない。そのために動くのは、オディロンなのだ。
公爵家に帰り、彼女に告げた。この日々が終わったことを。明日には荷物をまとめて実家に戻るように。
彼女はイヤだと言った。まるで子どものように。今まで子どもたちを世話してきたとは思えない、少女のようなわがまま。しかし、それに応えることは、できなかった。
彼女が幸せになるため。
若者の未来をつぶしてはいけないのだ。たとえ自分の気持ちを無視することになっても。これこそが、彼女の幸せなのだから。
彼女に好意をもたれていることは、気づいていた。いつからかはわからない。でも、気づいた時はあっさりしていた。
彼女の頑張りが認識できた時、褒めた。ごく自然に。子どもたちにするように。それで彼女が喜んでくれると思ったから。
彼女は、オディロンに子どもとの関わり方を教えてくれた。彼女の教えは、きっと無駄にはしない。
「公爵様、今まで通り、わたしをここに置いてください」
彼女は深々と頭を下げた。これが、彼女の願い。それをわかっていても、
「迷惑だ」
オディロンは首を縦には振らなかった。
「この婚約は貴女から破棄すればいい」
彼女の泣きそうな顔から目を背けたくて。自分の気持ちからも、目を背けたくて。この時の彼女の顔を、オディロンはきっと忘れられない。この胸の痛みを、きっと忘れはしない。
コンコンとノックされる。侍従だろうか。
「入れ」
一言告げて、扉が開けられた。
「父上」
入ってきたのは、長男セドリックだった。
「ブリジット様が、泣いていました」
ぐっと胸が握りつぶされる。泣かせたのは自分だというのに。
「そうか」
声は平然としていた。
「父上、ブリジット様を追い出さないでください」
息子の声は、ひどく泣きそうだった。
「ブリジット様は……素敵な人です。ジェレミーもシャルルも、懐いてます。だから……父上……」
彼女がどれだけ素敵な人かなんて、わかっている。7日間、彼女をそばで見てきた。それ以上に彼女を見てきた息子たちは、もうわかりきっていることだろう。
「就寝の時間だ」
それでもオディロンは、息子から目を背けることを選んだ。
「父上……!」
「くどい」
それでもと下がらない息子を、一言で制する。
「……っおやすみなさい……父上……」
セドリックは落胆したように声のトーンを落とし、そっと部屋を出ていった。息子の涙に濡れた声は、耳の中にこだました。
自分の感情には、頑丈な蓋を。流されず、溢れ出さず。そう教わってきた。間違っていたとは思わない。これが正しいのだ。感じたことのない感情の答えなんて、探さない。これが正解なのだ。
「公爵様」
その時、またノックされた。今度は確かに侍従の声だ。
「入れ」
「失礼いたします」
彼は銀トレイを持っていた。
「奥様にジェルヴェーズ伯爵家からお手紙が届いておりますが、いかがいたしましょう」
「直接渡せ」
「……よろしいのですか?」
ジェルヴェーズ伯爵家には、あらかじめオディロンから手紙を書いていた。このタイミングでの実家からの手紙。十中八九帰りを望むもの。彼女は伯爵家でも愛されて育ったのだから。彼女の帰りを待つ家族がいる。
「では、お持ちいたします」
オディロンの返事がないのを肯定だと受け取り、侍従は出ていった。ようやく静かになった。
公爵家も静かになる。寂しくなることなんてない。今まで通りに戻るだけだ。子どもたちは悲しむだろうか。
『公爵様はお父様なのですから』
彼女の言葉を忘れないでおこう。あの子どもたちを守れるのは、自分だけだという事実を。オディロンは窓の外を見ながらワインをあおった。




