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12 薬


 彼は弱い人だった。この国で最強、獅子とも言われる公爵なのに。


 たった一日で、ブリジットにもわかった。せっかく王妃が作ってくれたチャンスだ。それを生かさない手はない。


「公爵様! 子どもたちを起こしに行きますよ!」


 起きてすぐ、身支度を済ませてから公爵の部屋を訪れる。いつから起きているのだろうか。しっかりと身支度を済ませた彼がいた。


「……あぁ」


 彼は短く唸るように頷くだけ。それでも、彼が今までのイメージを払拭したいと思っていることは、わかっている。


「おはようございます」


 子ども部屋に入り、そっと寝室を開ける。まだ静かだ。


「公爵様はシャルルを起こしてください」


 そう言って、ブリジットはベッドの方に行く。


「セドリック、おはようございます。朝ですよ」


「ん……おはようございます……」


 セドリックが起き上がる。


「うぇええぇぇぇ……」


 シャルルの泣き声が聞こえた。


「ん、んー……」


 これで起こされたジェレミーも、泣きそうに顔を歪める。ブリジットは慌ててジェレミーを抱き起こし、彼の方を見た。ベビーベッドの中で泣くシャルルを、抱き上げずに固まっている公爵。


「公爵様、おしめを替えてあげてください」


「……わかった」


 公爵は戸惑いながらも頷いた。


「セドリック、お顔を洗ってきてください」


「えっと……父上が……」


「大丈夫。公爵様はお父様ですから、ちゃんとできますよ」


 父を心配するセドリックにはそう言って、ジェレミーを見る。さっきまで泣こうとしていたその顔は、ブリジットの温もりに包まれたおかげか穏やかだ。


「ジェレミー、朝ですよ。起きましょうね」


「……ん……」


 ゆっくり、時間をかけて。無理やり起こしたって、ジェレミーは機嫌が悪くなり、ブリジットもいい気持ちにはならない。トントンと優しくたたきながら起こしていくと、


「ぶりじっとさま……」


 ようやくジェレミーの目が開き始めた。


「起きられますか?」


「……ん」


「いい子ですね。じゃあ、お顔を洗ってきましょうか」


 ここからは世話係に任せる。そして、公爵に近づいた。


「シャルルはどうですか?」


 元気な泣き声はもう聞こえない。おしめを替えてもらってすっきりしたシャルルは、父親の腕の中で目を輝かせていた。


「シャルル、おはようございます」


「んぁ!」


「いい子ですね」


 そうシャルルの頭を撫で、公爵を見る。


「公爵様、今日の朝食は、子どもたちも一緒にどうですか?」


「……しかし」


 貴族の食事は、子どもがマナーを守れるようになるまで、親子でも別に食べるのが普通。それはブリジットもわかっている。


「家族だけの空間です。それに、シャルルもジェレミーも、いい子に食べられるんですよ」


 前世の弟たちと比べれば、なんて言葉は飲み込む。わんぱくざかりの弟たちなんて比べ物にならないくらい。


「……わかった」


 公爵は渋々といった様子で頷く。


「では、朝食の支度をしてきますね。公爵様は、子どもたちとゆっくりいらっしゃってください」


 そう告げて、ブリジットは一足先にダイニングへ向かった。キッチンに顔を出すと、


「奥様!」


 忙しそうに支度をしていた料理人たちが、気づいてパッと笑いかける。


「今日は公爵様と子どもたち、みんなで食事を摂ります。わたしも支度を手伝ってもいいですか?」


「は、はい!」


 料理人たちの了承を得て厨房に入り、料理を手伝う。ブリジットが教えた料理だから、手間取ることもない。ある程度まで手伝うと、先にキッチンを出た。使用人たちがダイニングテーブルを整えている。


 少ししてから、ダイニングの扉が開いた。


「公爵様」


 公爵と子どもたちがそろってダイニングに入ってくる。


「セドリック、ジェレミー、お席についてください」


「きょうは、ブリジットさまのごはんですか?」


「ちょっとだけ手伝いました」


「わぁ!」


 嬉しそうなジェレミーも、兄の後をついていく。怪訝そうな公爵には、


「ほとんどは料理人が作りましたよ。わたしが手伝ったのは盛り付けくらいです」


 と笑いかけ、席へ誘導した。


 シャルルを抱いていた世話係からシャルルを預かり、ブリジットの隣の椅子に座らせる。


 順に運ばれて来た料理たちに、公爵の顔がやや曇る。確かに最高級のものばかり口にする公爵には、珍しい盛り付けかもしれない。


「ブリジットさまのごはんだ!」


 これを見慣れている子どもたちには大好評だが。


「ジェレミー、静かに。ちゃんと座って」


 隣から兄に注意され、ジェレミーは大人しくなる。食事の間、セドリックはもちろんジェレミーも大人しくできる。


 息子を過小評価しがちな公爵に、この様子を見てほしかった。セドリックなんて、大人と同じくらい完璧なマナーだ。ジェレミーは、まだカトラリーの扱いがつたないながら、一生懸命食べる。シャルルにはブリジットが食べさせた。


「シャルル、おいしいですか?」


「んぁ!」


「いい子ですね~」


 ダイニングに響く声は、ブリジットとシャルルのものだけ。本当はもっと賑やかなのがいいが、公爵の前だ。仕方がない。好き嫌いもしない兄弟は、本当に優秀。公爵にもっと知ってほしい。




 食事の後、部屋に戻ると、


「ジェレミー、今日はお勉強をしましょうか」


 と声をかけた。


「えー、おべんきょう?」


「ちょっとだけ、です! それに、お勉強ができたら、お外で遊べますよ」


「おそと!」


 嫌そうだったジェレミーも外遊びでつれる。


 シャルルは公爵に任せ、セドリックとジェレミーの勉強を見てあげる。


 こういう時、王太子妃候補として教育を受けてよかったと思う。この国の貴族令嬢の教育水準よりもはるかに高い水準の知識を持っているから。子どもたちに教えることも可能なレベルだ。


 公爵の視線を痛いほど感じながら、ブリジットはいつもの笑顔で教えきった。


「ブリジットさま、おべんきょういやー!」


「あらあら、ジェレミー……。じゃあ、ここまで終わったら、少し休憩しましょうか」


「がんばる!」


 まだ4歳は単純だ。


「ブリジット様、ここは?」


「んー……ちょっと難しいですね。一緒に考えてみましょうか」


 子どもと同じ目線に立つと、子どもたちは喜ぶ。ずっと上から見下ろすより、ずっといい。


 そうして、ほんの少しの勉強時間を取った後は、遊びの時間だ。この時を待っていましたとばかりに、


「かけっこ!」


 ジェレミーが部屋を飛び出していく。


「待って、ジェレミー。廊下を走ると危ないよ」


 セドリックが弟を止めるために追いかける。


「公爵様、わたしたちも行きましょうか」


「……あぁ」


 公爵を誘い、庭に出た。


「ブリジットさま! かけっこしたいです!」


「いいですよ、ジェレミー。じゃあ、あそこのガゼボまでですね」


「きゃー!」


 さっそく走り出すジェレミーの後を追う。


 令嬢の靴は本当に走りづらい。令嬢が走るなんてもってのほかだと教えられてきたのだが。


「ブリジット様、大丈夫ですか?」


「もちろん。セドリック、はやくいかないと追い付いちゃいますよ」


「……!」


 後を追ってきたセドリックは、驚いて足を速めた。


「ブリジットさま! ぼく、いちばんです!」


「あー、負けちゃいましたね。ジェレミーは足も速くて、すごいですね」


「えへへ」


 褒められて得意気なジェレミーはかわいい。癒される。


「セドリックも早かったですね」


「ご令嬢には負けられませんから」


 これは男としての意地だろうか。


「では、次は負けませんよ!」


 そうしてまた走り出した。




 たくさん走り回った子どもたちは、お昼ご飯でお腹を膨らませて、眠ってしまった。無邪気な子どもたちの寝顔を見ながら、ブリジットは笑みをこぼす。そのそばで、公爵はゆっくりと口を開いた。


「君は、なぜここまでする?」


「なぜ、とは?」


 ブリジットが公爵を見る。


「君にはなんのメリットもないはずだ。公子がどう育とうと、君には関係ない」


「そうですね」


 関係ないと言われれば、それまで。でも、


「わたしにも、子どもが苦手だった時期がありました」


 前世のことを思い出す。


 思春期の多感な時期だったか。弟妹の世話を投げ出した時期があった。


「でも、子どもたちは無邪気で。こちらがどんなに苦手意識があって避けていても、無条件に駆け寄ってくるんです。遊んで、遊んでって。……その姿に、救われました」


 弟たちに求められている。そのことに喜びを見つけたのは、いつだったか。


「わたし、世の中の全ての子どもたちに、平等に幸せになってほしいんです」


 ゆがんだ大人になってほしくない。


 保育士を目指して短大に入学した前世。その夢を叶えることはできなかったが、今でも忘れたことはない。


「子どもたちの幸せを考えると、世の中は勝手に平和になるはずです」


 それが、ブリジットの願い。


 もちろん全ての子どもたちを幸せにすることなんて、今のブリジットにもできない。それなら、出会った子どもたちだけでも幸せになってほしい。そのために、ブリジットは動いているのだ。


 そう語ると、公爵が椅子から立ち上がった。


「公爵様……?」


 ブリジットが驚くそばで、公爵は淡々とブリジットに歩み寄り、その足元に跪く。


「……足を傷つけてまで、子どもたちと走り回る必要が?」


 ブリジットの足は傷だらけ。ヒールで走り回れば、多少の捻挫や靴擦れなんて、仕方がないものだ。


「誰にも見せませんから」


 あわててスカートの裾を下ろして隠す。しかし、公爵は片足を支えて、靴を脱がせた。


「こ、公爵様……」


 令嬢の素足を見るなんて、ご法度だ。マナーにうるさい公爵のはずなのに。


「公爵様、汚いですから……」


 ブリジットが驚いて戸惑っている間に、公爵は懐から薬を取り出し、ブリジットの足に塗った。


「え……」


 丁寧に、丁寧に。その優しい手つきは、時にくすぐったく感じてしまうほどに。右足が終われば、左足へ。


 驚きで、どうすることもできずに固まるしかなかった。最後に両足に靴を履かせ、公爵が立ち上がる。


「傷の治りを早める薬だ」


 いつの間に取り寄せたのだろう。真っ直ぐな優しさに、思わずブリジットの胸が高鳴る。


(ま、って……)


 ドクン、ドクン、と今まで感じたことのない大きな鼓動。


(待って、待って……。ない! ないから!)


 ほてる頬に両手を当てた。




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