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11 オディロンの育児


 ジェレミーが窓に張り付いている。


「今日は雨ですね。お外で遊べなくて残念です」


「おそと……」


 その隣で、彼女はシャルルを抱き、膝を折ってジェレミーに話しかける。そんな様子を、オディロンは見ていた。王妃からの命令だと言われてしまえば、彼女の言動を全て報告しなければ。彼の完璧主義も面倒なところだ。


「セドリック」


 彼女は、長男にも近づいた。机に向かい、一生懸命に本を読む姿。


「少し休憩をしませんか?」


 彼女から誘われたセドリックは、一瞬だけ父を見る。その目には、怯えが見えた。


「……大丈夫です。僕は……勉強を……」


 毎日の報告の中で、セドリックは子どもらしく遊んでいた。しかし今日は、ずっと机に向かっている。いつもはいない父親に怯えて勉強をしているのがわかる。


 せめてブリジットが子どもたちから離れてくれればいいのに。そうすれば、オディロンも息子たちから離れることができる。息子たちを怯えさせることがないのに。


「んー……」


 少し考えた彼女は、ハッとオディロンを見た。すたすたと近づいてくると、


「公爵様、シャルルをだっこしていてください」


「……は」


 オディロンが驚く暇もなく、「はい」と差し出してくる。驚いて動けなくなるオディロンの手にシャルルを抱かせると、


「うー……」


 シャルルが居心地悪そうに声をあげた。


「ほら、シャルルが嫌がってますよ」


「君が抱いていれば」


「わたしはセドリックと一緒に勉強するんです。公爵様は何もしていないでしょう?」


 そういうことなら、セドリックに教える方を自分がやりたい。が、セドリックは怯えている。親として、息子をこれ以上怯えさせたくもない。


「……」


「右手はこうして、左手はこう。あとはぽんぽんって優しく叩いてあげてください」


 迷っている間に、シャルルの居心地がいい抱き方へオディロンの手が動かされる。


「本当は笑顔を見せてあげるといいんですけどね」


 呆れるような顔は、明るかった。


「さ、セドリック、一緒に勉強しましょうか」


「え? あ、はい」


 驚いた様子でこちらを見ていたセドリックも、慌てて本を持つ。ブリジットは椅子に座り、その膝にジェレミーを座らせて、セドリックの本を覗き込む。


 勉強嫌いのはずのジェレミーも、兄が持つ本を、身を乗り出して眺めていた。


 報告は間違っていたのか。そんなはずはない。アランは優秀な侍従だ。嘘を吐く理由もない。それなら、どうして。


 自分の目で見たものしか信じない。そんな昔からの性格が、どこかで変わってしまっていたのだろうか。やはり、実際見てみなければわからないものだ。


「はい、よくできました!」


 ブリジットに頭を撫でられるセドリックの横顔は、幼い子どものように無邪気な笑顔。


 彼の笑顔なんて、何年見てないだろうか。いや、そもそも見たことがあったのか。


「セドリック、今日はここまでにしましょうか」


「え……」


「大丈夫。勉強は効率的にすることも大切です。頑張りすぎると良くないんですよ」


 セドリックの不安そうな目がオディロンに向けられる。無言で1つ頷いてあげると、ホッと安堵した微笑みに変わった。


「あにうえ! いっしょにあそびますか?」


 ブリジットの膝から飛び降りたジェレミーが、兄の手を引く。ブリジットはそんな公子を見ながら、オディロンの隣に座った。


「ジェレミー」


 楽しそうな次男に声をかけてみる。


「前に与えた本は読んだのか」


「はい!」


 ジェレミーは嬉しそうに立ち上がり、パタパタと走って本を持ってきた。


「読んでみなさい」


 父親の前で本を広げ、ゆっくりとたどたどしく読み上げていく。勉強が嫌いで大人しく机に向かうこともできないと聞いていたのに。


「えっと……」


 ところどころつまりながら、それでも自力で読み上げていく。ようやく1ページを読み終えたところで、


「わぁ、ジェレミー、とっても上手でした! いい子ですね!」


 彼女が大げさに褒めてみせた。


「公爵様も褒めてあげてください」


 小声で言われ、慌てて


「よくやった」


 と告げる。すると彼女は、オディロンの右手を持ち、ジェレミーの頭に乗せた。一瞬きょとんとしたジェレミーだったが、すぐにパッと明るく笑う。


「ブリジットさま!」


 すぐにブリジットに駆け寄り、満面の笑みを向ける。


「とってもいい子です! いい子には、ご褒美が必要ですね」


「ごほうび!?」


 目を輝かせるジェレミーに、ブリジットは考えながら言葉をつむぐ。


「クッキーとかけっこ。どっちがいいですか?」


「クッキー!」


「じゃあ、どうぞ」


 机からクッキーを取り、直接手渡す。いつもと変わらないクッキーなのに、ジェレミーはそれを両手で持ち、大切なもののように食べた。


「ブリジットさまも、どうぞ!」


「わぁ、ありがとうございます。とっても美味しいですね」


 妻が生きていたら、こんな光景があったのだろうか。ふと、そんなことを考えた。


 気高く美しい女性だった。貴族家で生まれた女性らしく、その所作までもが美しかった。きっと、ブリジットのような型破りなことはせず、まるで何かをなぞるように淡々とこなしたに違いない。それも、彼女なりの愛情だったのだろうが。


 妻と重なるところなんて、ほんの少しもないのに。ブリジットと関わる子どもたちは、オディロンの目から見ても幸せそうで。仲のいい母子のようにさえ見えた。


「あにうえ! あっちであそびましょう!」


「待って、ジェレミー」


 子どもたちが走り去っていく。


「幸せそう」


 ふと、彼女がこちらを見て言った。オディロンが彼女を見ると、


「シャルルです。とっても気持ちよさそうに眠ってますね」


 ブリジットはシャルルを見ていた。母親のような、姉のような、優しい眼差し。


「お父様の腕の中で安心したのかな~」


 小さな手を指先で撫でる彼女は、笑っていた。


「公爵様?」


 何も答えないオディロンを不思議に思ったのだろう。彼はハッとして、


「……こんなうるさい中でよく眠れるな」


 と答える。彼女を見ていたことは、知られたくない。


「ふふ、公爵様が抱いてあげているからですよ」


 彼女の目は、真っ直ぐにシャルルに向かう。


「この子たちにとって、公爵様は血がつながったお父様ですもの」


 彼女も、伯爵家でこういう風に育ってきたのだろうか。母親からも、父親からも愛されて。だから、こんなにも真っ直ぐなのだろうか。


「シャルルは、君が抱いている方がいいだろう」


 ふと、そう言っていた。彼女が目を丸くする。


「ジェレミーに字を教えたのも君だろう。セドリックの勉強も見ている」


 ここに、自分の存在は必要なのだろうか。その言葉は、ぐっと飲み込んだ。子どもたちの怯える目。無垢な子どもだからこそ、胸に刺さるものがある。自分がいない方が、子どもたちは幸せなのだ。


「シャルルは、わたしが抱いている時よりも、穏やかな顔で寝てますよ?」


 彼女の自然な声に、ハッと顔を上げた。


「ジェレミーの本を選んだのも、公爵様ではないですか。公爵様が、ジェレミーでも読みやすい本を選んでくださったんです」


 無意識だった。だが確かにあの時、勉強嫌いな次男のことを考えていた。


「だがセドリックは……」


「それは公爵様が悪いです」


 彼女の真っ直ぐな目が、オディロンの目を見据える。


「子どもの人格が形成される時期に関わっていなかったのですから。公爵様はお顔が怖いですし、子どもが怯える気持ちもわからなくはありません」


 確かに。顔が怖いのは自覚がある。戦場ではそれも利点だったが、子ども相手には不利だろう。


「でも、父親を畏れ敬う気持ちは、あってもおかしくないと思います」


 セドリックが父に向ける気持ちは、はたしてそれなのだろうか。


「せっかく王妃殿下がおやすみをくださったのです。セドリックにも、もちろんジェレミーやシャルルにも、公爵様が本当は怖くなくて優しい人だということを知ってもらいましょう!」


 なぜ彼女は、そう言い切れるのだろう。まだ出会って数ヶ月と経っていないのに。


 オディロンが優しいなど、この国の誰も言えないことだ。


 得意気な満面の笑みの彼女は、まぶしく輝いていた。




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