10 休暇宣告
それは、彼が国王と話している時だった。
当然、国王と宰相として、難しい政治の話もする。だが、大半はかつての学友として、よき友人としての他愛ない世間話をしていることも多い。
その時も、そんな時間だった。
「オディロン、例の令嬢はどうだ?」
「どうとは?」
ブリジットのことだとはすぐにわかった。しかし、そう聞かれて、答えられる言葉はない。
「仮にも婚約者だろう。何か感想はないのか?」
そう言われて、少し考えてみる。彼女が来て、公爵家が変わったことは認める。きっとそれが、彼女の魅力だろう。
「……うるさい」
それを簡潔に説明すると、この一言に尽きる。
「ははっ、令嬢だろう?」
国王は意外そうに笑った。
令嬢。そう、そのはずなのだ。なのに彼女は、いったい何者なのだろう。とてもじゃないが、令嬢には見えない。
いや、令嬢としての一端を見せることはある。言動の端々に感じる、育ちの良さ。しかし、令嬢という一言では表せない。
「楽しそうだな。公爵家に行きたいものだ」
「王が出歩くものではない」
「相変わらず堅いな、お前は」
そんな話をしている時、
「王妃殿下がいらっしゃいました」
侍従が告げた。
「ほう……。珍しいな」
基本的に政治にはノータッチの王妃が、ここまで来るのは珍しい。
「入れ」
国王の許しを得て、扉が開かれた。
「失礼いたします」
王妃はぞろぞろと連れていた侍女たちを置いて、入ってきた。オディロンはその場に立ち、まず敬意を示した。
「いいわ。わたしたちの仲じゃない」
よほどの人目がある場所でない限り、省略されやすい挨拶だ。
「それよりも、オディロン」
「……」
王妃の視線に、なんとなく嫌な予感を覚える。戦場でつちかった勘が働いた。
「あなたに10日間の休みを与えます」
「……は」
思わず思考が止まった。これは予想外。いくら優秀な勘でも、ここまでの予想はできていなかった。
「待て待て、王妃。どうした?」
これは国王が止める。
「オディロンは、ブリジットを引き受けてくれたでしょう? あなた、彼女が公爵家でどう過ごしているのか、知っているのかしら」
「……報告は受けています」
「そうじゃなくて! 報告じゃなくて、その目で! 見たことがあるの?」
王妃は熱が入った様子で訴える。
「公爵家の人間が優秀なことは知っているわ。でもそれをあなた自身の目で見ずに全て信じるのは、あなたらしくないのではなくて?」
確かに、かつてのオディロンは、部下の言葉を完全に信用することはなく、危険な戦場にも自ら赴いた。しかし、宰相となった今では、そこまでの無茶はしていない。
「これでも、彼女には申し訳ないと思っているのよ。王太子という立場を笠に着て、あのバカ息子が振り回してくれたもの」
自分の息子について言いたい放題だ。全て王家の自由主義的な教育の責任だと思うのだが。
「あ、あの子のことは気にしないで。ブリジットが支えてくれないのなら、あの子自身の力をあげるしかないと思うの。家庭教師をつけて厳しく見張っているわ」
さすが、この自由な国王と王太子をおさえつける力はある。
「そんなことよりも、オディロン」
王妃の目が、再び彼に向く。
「ブリジットがどんな生活をしているのか、10日間で確認して、私に報告しなさい。これは、王妃としての命令よ」
こう言われては、断れるわけがないではないか。
「いや、宰相がいないと、国が回らないのだが」
国王が苦笑する。
「それは陛下がどうにかなさってください」
王妃から冷たく返された。
「せめて5日だ!」
「いいえ。8日以下は認めません」
「では、7日!」
当の本人を置いて、この夫婦は何を言っているのだろう。
「わかりました。7日ですね」
オディロンはこめかみを抑えた。
「……必要ありません」
「あなたの意見は聞いていないわ。王妃としての命令です」
断る術はないらしい。
「仰せのままに」
オディロンはお辞儀をして引き受けた。
「おかえりなさいませ」
公爵家に仕える使用人たちが出迎える。
「おかえりなさいませ、公爵様」
その奥で、彼女は子どもたちと立っていた。
王妃の突然の奇行。まさか彼女が何か言ったのだろうか。
いや、そんなはずはない。彼女はただの一介の令嬢。一国の王妃を動かす程の力は持っていないはずだ。
「アラン、明日から馬車は必要ない」
「は……」
侍従が固まった。
「王妃殿下から休日をいただいた」
「……かしこまりました」
優秀な侍従だ。これだけで情報としては十分なはず。
「公爵様、ご報告を」
「いい」
いつものように留守の間の報告をしようとする侍従を止める。
これからしばらくは家から出ることもない。いつも変わらない報告など聞かなくても、これからの様子でわかるだろう。
彼の視界から外れたところで、ブリジットが小さなガッツポーズをしたことも、その様子を子どもたちが不思議そうに見ていたことも、彼は気づいていなかった。
「おはようございます、公爵様」
翌日、いつもの時間に目が覚めたオディロンは、いつものように支度を済ませていく。
「公爵様、おはようございます!」
そこへ、ブリジットが入ってきた。
「何の用だ」
「子どもたちを起こしに行こうかと」
「勝手にすればいい」
今さら彼女の行動を縛る気はない。子どもたちの存在を知られてしまった以上、彼女が子どもたちにどうかかわろうがどうでもいいのである。
「いいえ」
が、そんなオディロンの手を、ブリジットが掴んだ。
「公爵様も一緒に、です!」
そして、彼女に手を引かれて、子どもたちが眠る部屋を訪れる。
「静かにしてくださいね」
彼女は物音たてずにそっと入った。
「セドリック」
彼女が小声で呼びかけると、
「ん……ブリジット様……?」
まずは長男が起きた。
「おはようございます、セドリック。朝ですよ」
眠そうに目を擦りながら身体を起こし、そして、その目にオディロンの姿を留める。
「ち、父上!?」
一気に目が覚めたようだ。ハッと隣を見、
「ジェレミー! ジェレミー!」
と弟を起こそうとする。
「んー……」
が、まだ起きたくないのか次男は顔をしかめた。
「セドリック、大丈夫です。支度をしてきてください」
「は、はい……!」
セドリックは慌てた様子でベッドを降りた。
「ジェレミー、朝ですよー……」
次に彼女は、まだ眠り続ける次男に手を伸ばす。ベッドに座り、ゆっくり抱き上げると、背中を撫でながら起こしていく。
オディロンが小さい頃も、朝に弱かった。今でもそうだ。朝は苦手で、早くに目が覚めていても、起き上がるまでに時間がかかる。幼い頃、彼女のように優しく起こしてくれる世話係がいれば……。
そんな、考えても仕方のないことが、頭に浮かぶ。突然舞い込んできた休日のせいで、気がたるんでいるらしい。
「ジェレミー、今日は公爵様も一緒に起こしに来たんですよ」
「んー……ちちうえ……?」
情けない声だ。もっと厳しくしなければと思う半面、まだ4歳の次男にそこまでしつけるのが正しいのかと迷う。
「ジェレミー!」
そこへ、いつもより早く支度を終えたセドリックが来た。
「ジェレミー、起きて!」
ブリジットの手から弟を奪うように、手を引いて行く。
最後は三男。
「シャルルは起きていますか?」
ゆりかごから抱き上げると、シャルルは小さな口を大きく開けてあくびをした後、
「あー!」
ブリジットの顔を見て、嬉しそうな声をあげた。
「シャルルは起き方が上手なんです」
ブリジットはそう笑っていた。
「さ、公爵様。シャルルのおしめを替えましょう!」
「……なぜ私が」
「シャルルのお父様でしょう?」
貴族家の当主が、我が子とはいえ赤子のおしめを替えるなど、聞いたことがない。
「わたしがお教えしますから!」
彼女はシャルルをベビーベッドに寝かせ、オディロンの手を引いた。
彼女の実家に、弟妹がいたはずはないのに。なぜこんなことをできるのだろう。そんな疑問を問いかける暇などなかった。