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1 婚約破棄


「お前との婚約は破棄する!」


 思わず耳を疑った。


 シルヴェストル王国の王太子の婚約披露パーティー。婚約破棄されるような場では、決してない。だが、このパーティーは、最初から異例尽くしだ。


 まず王太子のエスコートは婚約者ではないリュディアーヌ・アングラード子爵令嬢。

 王太子のファーストダンスの相手も、リュディアーヌ・アングラード子爵令嬢。

 王太子のそばから片時も離れないリュディアーヌ嬢。

 まさに非常識の缶詰、荒唐無稽なパーティーだ。


 なんて、現実逃避をしている暇はない。なんといっても、このパーティー。もうひとりの主役は、彼女、ブリジットなのだから。


「殿下、理由をご説明いただけますか?」


(首が痛いんだけど……)


 遥か上のバルコニーを見上げるブリジットは、全く感情の入らない言葉で、形式的に尋ねる。


「わからないと言うか? では、ここでお前の悪行を皆に知らしめてやる!」


 リュディアーヌ・アングラード子爵令嬢をいじめたという、ありもしない罪を暴露されるのだろう。


 呆れる言葉も出てこない。




 彼女はこうなることを知っていた。なぜか。これは、彼女の妹が描いた小説の中だったから。


 彼女、冬野美月の人生は平凡だった。大衆食堂を営む両親は忙しい。その長女として生まれた美月は、店の手伝いから6人の弟妹の世話まで、なんでも引き受けた。


 中でも仲が良かった中学生の次女皐月は、小説家志望でたびたび小説を書いては美月に読んで感想をほしいとせがんでいた。仕方なく美月は、その忙しい合間をぬって、授業中にそれらに目を通して推敲してあげた。


 そして大学1年生の冬。妹と電話している時に飲酒運転の車にはねられた。




 ブリジットが前世の記憶を思い出したのは、まだ幼い10歳の時。王太子に初めて出会った時だった。


『お前、オレの婚約者にしてやる』


 金髪の美少年から出た上から目線の言葉に、当時の私は唖然とした。


(今考えると、ほんとクソ……コホンッ、クズだな)


 超絶美少年の彼を見て、全てを思い出した。妹にせがまれて描いた挿絵だ、と。彼女の好みではない。妹に言われるがままに手を加えた、妹好みのイケメン王子。それが彼、ドナシアン・シモン・シルヴェストル王太子だった。


 その場で婚約することが定められ、ブリジットは王太子妃になるための教育を受けた。当然子爵令嬢をいじめる時間などなかったし、いじめた結果がわかっているのだから、いじめるはずもない。


 しかし残念ながら、物語の強制力とでも言うべきか。リュディアーヌ令嬢がいじめられる場にブリジットが居合わせるなど、ありえない偶然が続いた。


 この後のことも、彼女は知っている。悪役令嬢ブリジットは、家族にも見捨てられ修道院に送られ、その道中に暗殺される。そして王太子とリュディアーヌは幸せに暮らしました、というハッピーエンド。


(どこがハッピーだよ、妹)


 ハッピーエンドなのは、王太子とリュディアーヌの2人だけ。ブリジットというのは、この物語で最も救われない役なのだった。


(こんなことになるなら、ブリジットがかわいそうってもっと強く言っておけばよかった……)


 さて、そんなことを考えている間に、得意げな王太子による演説、もとい断罪は終わったらしい。


「そういうわけだ、ブリジット。お前は王太子妃にふさわしくない」


「……そうですか」


 もう逆らう気など起きない。この物語は、あの頑固な妹らしく、強制力が強すぎる。


「父上、いかがでしょうか」


「……ふむ。お前がそう決めたのなら、そうしなさい」


 放任主義な国王が、息子を止めるはずもない。


「陛下のお許しも得た。では、伯爵。娘を取るか、家を取るか、選ばせてやる」


 どこまでも横暴な王太子だ。こんな人物がこの国の未来を担うなんて、絶望しかない。


「わ、私は……」


 ジェルヴェーズ伯爵、ブリジットの父の声が震えている。お人好しで権力に弱い父は、ここで娘を捨てることを選ぶ。


「……娘との縁を切ります」


 これでいい。父親としては最低でも、貴族としては大正解の答えだ。


「では、ブリジットには修道院行きを命じる!」


(最後まで得意気で……。まるで親に褒められたがる子どもみたい……)


 20歳という年齢を感じさせない少年のような王太子に、彼女は内心呆れる。ブリジットが厳しい教育を受けている間、彼は教育から逃げていたというから、それも当然だ。


(最後の悪あがきをさせてもらうわ)


 ブリジットの戦いはまだ終わっていなかった。


「お待ちください」


 静かで低く、それでいてよく響く声。国王の隣に立つ宰相のものだと、誰もが知っている。


「陛下、発言のご許可を」


「許そう」


 彼の声は、どこか呆れているようにも聞こえる。彼は、小説の中ではモブ中のモブ。悪役を救おうとしただけの存在。しかし、この世界での彼のことを、彼女は知っている。


 かつて戦場で名を馳せ、数々の敵国を従わせてきた。年齢を理由に最前線からは退いたものの、宰相としてもいかんなく才能を発揮している。その姿から、『眠れる獅子』というあだ名がつくほど。


 そんな彼が、なぜブリジットを助けるのか。その理由まではわからない。


「ブリジット嬢を、私の婚約者にしてください」


 物語通り、彼はブリジットを助ける提案をした。


「なん……っ!」


 誰もが言葉を失う。ブリジットを除いて。


「……どういうことだ? お前は結婚しないと、つい最近も聞いた気がするのだが」


 国王の声はどこか楽しそう。


「気が変わりました。彼女は私がもらいます。殿下も、それでよろしいですね?」


 宰相の厳しい目を向けられた王太子は、悔しそうに唇を噛む。


(もう王太子妃候補でもないのに……どうしてあんなクズに確認する必要があるのかしら)


 そんな時、王太子の隣にいたリュディアーヌが王太子に耳打ちする。


(おおかた、冷血漢や鬼と言われる宰相に嫁がせれば罰になる、とでも言ってるんでしょうね)


 宰相の厳しい顔つき、そして全身からあふれ出る威厳は、見る者を震え上がらせるのだ。


「……ふっ、好きにすればいいさ」


 王太子が納得した。


(あなたの許しを得る必要はないと思いますが)


 と心の中で答えた時、宰相の目がブリジットに向けられる。


「ブリジット嬢は、それでよろしいか」


(一応確認してくれるのね)


 これも小説の中の通り。ブリジットは『眠れる獅子』に嫁ぐくらいなら修道院の方がマシだと言い張る。もちろん、今のブリジットはそれを避けたいのだが。


「はい」


 と頷いた。


「わたくし、公爵様と婚約いたします」


 ブリジットは笑顔を浮かべた。




 父から縁切りを宣言されたブリジットは、もう実家に戻ることもできない。このまま公爵家にひきとられるということで、公爵家の馬車に乗せられた。


「公爵様、ありがとうございました」


 馬車の中で、ブリジットは彼に礼を言った。


「……なぜ礼を?」


 公爵からは短く疑問が返ってきた。


「わたしを助けてくださったのですから、礼を申し上げるのは当然ではありませんか?」


「助けた、だと?」


 公爵の形のいい眉が片方だけ小さく上がる。


「えぇ。王太子殿下から婚約破棄を告げられたのです。公爵様が婚約すると仰ってくださらなければ、わたしは修道院に送られて、まともな生活はできなかったでしょうし」


 修道院に送られる道中に暗殺されることも、彼女は知っている。しかし、それを言うわけにはいかない。だから、当然だといった調子で、ブリジットは答えた。


「勘違いするな」


 が、返ってきたのは冷たい答え。


「今回の件は、今後もっと詳しく調査される。貴女の名誉のために、陛下に進言しておいた。私の婚約者が関わる問題だからな」


「まぁ、公爵様の婚約者だなんて……!」


 ポッと頬に紅が差す、ふりをする。


「わからないのか?今回の件が冤罪だとはっきりすれば、この婚約は破棄される。貴女も実家に戻れるだろう。それに、王太子妃としての教育を受けた完璧な淑女であれば、嫁にと望む家も増えるだろう」


「完璧な淑女……!」


 都合のいいところだけを切り取って喜ぶふりをすると、公爵から冷やかな視線が向けられた。


(これくらいにしておこうかしら)


 もうあの王太子に気を遣う必要はないのだ。バカのふりも必要ない。


「わかっていますわ、公爵様」


 ブリジットは綺麗に笑ってみせる。


「あの場で冤罪だと信じてくださったのは、きっと公爵様だけ。だから、わたしの罪が晴れたら自由にしていいと、仰ってくださっているのでしょう?」


 誰もがブリジットの敵となり、彼女に非難の視線を向ける中。彼だけは冤罪と信じて手を差し伸べてくれたのだから。礼を述べても何もおかしいことはない。


「ご安心を。それまでの間、公爵様の婚約者としてするべきことはなんでもしてみせますわ」


「必要ない」


 公爵はブリジットから逸らした視線を、窓の外へ向けた。




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