第26話 廃材回収と再建備
コロンブス共和国最大の監査官庁公共事業部門に「数字魔術師」と呼ばれる男がいた。
ニコラス・B・シーグラム、30年以上の経歴を持ち、数百の大型建設プロジェクトの財務監査を手がけてきた伝説的な人物である。
彼の評判は業界内で二分されていた。公共部門からは「無駄を許さぬ番人」と賞賛され、一方で建設業界からは「悪魔の会計士」と恐れられていた。
しかし誰もが認めていたのは、彼の卓越した財務分析能力と、建設業界を知り尽くした深い知見だった。
バベル特区建設プロジェクトが発表されてから3週間目の夕方。
ニコラスは自宅書斎で次の査察計画を練っていた。壁には過去の巨大プロジェクトの図面が貼られ、机の上には分厚い会計帳簿が積み上げられている。
「コロンブス共和国史上最大の建設プロジェクトか...」
彼は独り言を呟いた。
「数字に違和感がある、たたけばホコリが出ると思うが……」
グラスに注いだウイスキーをちびりと飲みながら、彼は最新のデータをチラリと眺める。
「チッ、今の俺はこの件を扱えるだけの力が無い。」
彼はすでに干されており、官庁での地位も失い窓際に追いやられていた。
拡大派大企業を後ろ盾に、保守派の大企業の巨額な予算操作を指摘したことが、彼の失脚の引き金となった。
ニコラスは建設費の水増しと政界への資金の流れを白日に晒しその優秀さを証明したが、時制はバベルの動きで狂いそれが彼の官僚生命を絶った。
デスクに広げられたのは、バベル特区の公開データだけ。
「バベルを調べるなら後ろ盾と立場が必要だ」
かつてなら機密文書も閲覧できたが、今は一般公開の数字だけが彼の手元にあった。
「今はもてはやされるバベルも、大規模開発を終えてしまえば用済み、この国の大企業は新参者に優しく無い」
彼の目は鋭かった。
「今の財界のパワーバランスは?」
コロンブス経済が回復しだせば、アメリゴ連邦の好景気に乗り資金を獲得した保守派大企業が動くだろう。
「コロンブス建設株は日連続で上昇、コロンブス経済も回復し始めている。」
彼は壁に貼られた経済指標のグラフと株価のチャートを見比べながら推測を続けた。
「バベル・エデンの購入は投機目的と経営目的、だが経営目的での購入に負け始めている。そろそろ息切れ……、いやまさか加速させているのか?」
ニコラスは独自のサーバーに数字を書き込んでいく。
「やはりだ、バベルの投入金額は増大しているが大企業との競売では値段をつり上げて降りている」
土地価格は急上昇、建設資材の価格も上昇、そしてコロンブス通貨も強含み...典型的なバブル前夜の症状
「市場を加速させている。起こそうというのか一企業がバブルを……ありえん!!」
言いつつも資料を漁る手は止まらない、バベル・エデンの軍との繋がり、拡大派大企業のコロンブス首都徹底も、コロンブス共和国のアメリゴ連邦への投資の機運も……
電話が鳴った。見知らぬ番号だったが、彼は直感で重要な連絡だと感じた。
「ニコラスだ」
「お久しぶりです、シーグラム・B・ニコラス様」
女性の声は明瞭で、わずかに機械的な響きがあった。
「バベル・エデン特別人事室、レイチェル・ミラーと申します、バベルの次の大規模プロジェクトについてお話させていただければと。」
ニコラスは身を固くした。彼のような"数字魔術師"でも、この偶然は信じがたかった。
「バベル・エデン...」
彼は静かに言った。
「なぜ私に連絡した?」
「あなたの力を次の大規模プロジェクトでお借りしたい。」
翌朝、バベル特区建設現場。
ニコラスが現場事務所に到着すると、かつての同僚や見覚えのある部下たちが驚いた表情で彼を見つめた。
「まさか、ニコラスさん?」
若い監査官が目を丸くした。
「心配するな」
ニコラスは皮肉げに言った。
「君たちの帳簿を調べに来たわけじゃない」
「ニコラス様、お待ちしておりました」
振り返ると、スマートなスーツ姿の女性が立っていた。30代半ばに見える洗練された外見と、読み取りにくい表情だが電話の声と一致する。
「貴方がレイチェルさん?」
「ええ、会議室にご案内します」
特別会議室に案内され、ニコラスは部屋の設備に感嘆した。
最新のホログラフィック投影装置、複雑なデータ処理システム、そして壁面全体に広がる経済データの可視化。
「民官幅広く人材を集めたようで、私もその対象と言うわけですか?」
「時間は限られています」
レイチェルは椅子を勧めながら言った。
「本題に入りましょう」
彼女がコンソールを操作すると、部屋の中央に複雑な三次元データが投影された。
「これは何だ?」
「未来です、これからバベルが行う大規模プロジェクト、経済崩壊の加速と通貨危機の予想と買収と再編による立ち直りプランです」
コロンブス共和国の建設産業と金融セクターの詳細なフローチャート。
「自社の利益のためにアメリゴ連邦とコロンブス共和国の経済を狂わすと?」
ニコラスは鋭く問い詰めた。
「本来バベル・エデンの介入が無ければコロンブス共和国の経済回復は起きず、アメリゴ連邦は際限ない好景気の後に全てを失う事になる」
「……チッ予想できた、数字を信じるしかないか。」
「続けます、バベル本社はコロンブス通貨の信用崩壊を想定、チャートの経済指標がここに到達した時点でコロンブス共和国の政治は機能せず、流動資金を失った企業は格安で商品棚にならぶそれが『廃材回収』プロジェクト」
レイチェルは続けた。
「経済崩壊と崩壊後の再建をコントロールしコロンブス共和国経済を手に入れる」
「…狂っている。だが、美しい計画だ、だがなぜ私が必要なんだ?」
ニコラスは疑念を隠さなかった。
「崩壊前に価値ある資産…特に簿外資産を回収しコロンブス共和国経済を再生させます。貴方には監査官庁での権力を取り戻してもらいます」
「聞こう」
「保守派大企業をこの市場にさらに巻き込む、来る経済崩壊に流動的な資金を枯渇させるために、バベルの弱みを握る人間として保守派の重役に名前を売ってもらいます」
俺はバベルの手を取った。
窓の外を見れば、首都の夜景が広がる。建設ラッシュで煌々と輝く高層ビル群。しかし彼の目には違って見えた。
「この景色も砂上の街か」




