幕末「疾」風録 《沖田総司の章》
今回は屠龍の剣の番外編です。主人公は沖田総司です。よろしくお願いします。
沖田総司は、新選組のなかでも最も人気のある人物である。
その沖田総司は、江戸の町道場『試衛館』で天然理心流を学んだ。才能は抜群で、十九歳で免許皆伝を受ける。
この頃の沖田は、
「本気で立ち合ったなら師匠の近藤でもかなうまい」
と、衆評されるまでになっていた。
1863年。春。二十歳の沖田は転機をむかえる。
試衛館の道場主・近藤勇、兄弟子の土方歳三や井上源三郎と共に江戸を離れ、動乱の京都へと向かったのだ。
そして彼らは紆余曲折の末、
『京都守護職お預かり』の
身となり、京の町の治安を守る新選組を結成する(その紆余曲折の話は、また別の機会に語ろう)
沖田は明るく天真爛漫な若者であった。
彼を知る人物からは、
「よく冗談ばかり言っていて、ほとんど真面目になっているのがことがないくらいでした」
「子供好きで鬼ごっこしたり、寺の境内を駆け回ったりして遊んでいました」
と、言われているが、剣を握ると冷酷に人を斬った。
「残忍であり、無闇に人を惨殺する」
と、後に評されている。
あの時も、そうだ。
京都に来て、すぐの頃、沖田は、四条大橋で殿内義雄を暗殺した。
殿内は壬生浪士組(後の新選組)で、近藤と主導権争いをしていた人物だ。
その殿内を、近藤が酒の席に誘い出す。この帰り道を待ち伏せする、沖田。
橋の上で、
「これは殿内先生、近藤先生、お揃いで」
「ん、沖田君か」
足を止めた殿内。
次の瞬間。
バサリ。
沖田は、殿内を一刀両断に叩き斬った。
相反する二つの顔を持つ沖田。
一つの顔は、親切者で誰からも愛される若者。
もう一つの顔は冷徹な人斬り。隊の殺戮の現場には、必ず沖田の姿があったと伝えられている。
その沖田総司の生涯最大の強敵は、同じ新選組の芹沢鴨であった。
実のところ新選組は、かなり『内ゲバの多い組織』であった。その内ゲバのなかでも、最大の抗争は、結成当初に勃発した二大派閥の争いだ。
芹沢派と近藤派。
芹沢鴨。新選組の筆頭局長であり、剣は神道無念流の免許皆伝。だが、酒乱の気がある。
酒の席で近藤を、
「芋侍」
と、呼び、小バカにした。
色白の土方に対しては、
「大根剣士」
と、笑い者にする。
近藤・土方は農家出身で、芹沢は水戸藩の出だ。近藤派の連中は芹沢を苦々しく思っていたに違いない。
そして、この両派閥が激突する。
秋の日の夕刻。近藤が沖田を自室に呼んだ。部屋には土方もいる。
まず、土方が口を開いた。
「総司、近藤局長は、ついに決断したよ」
「何の決断ですか?」
「芹沢鴨を粛清する」
と、土方は言う。
こういう時、決まって近藤は無言だ。無言のまま、ドッシリと座っている。
土方は続けて、
「公には、病死と発表することにした」
沖田は、その言葉を聞き、
「それで会津藩は納得しますかね」
会津藩は新撰組の上部組織である。
「大丈夫さ。公用方の命でもある」
ニヤリと笑う、土方。
こうなれば、芹沢の粛清は決定事項である。
「わかりました。斬りましょう」
沖田は刀を手にして、立ち上がった。だが、
「待て、待て」
と、土方は止める。そして言った。
「まずは、新見からだ」
新見錦は芹沢の右腕で、新撰組の局長職でもあった。この当時の新撰組は局長三人体制で、芹沢の他に新見、近藤が局長に就いている。
新見は酒癖と女癖が悪く、京の町では、かなり評判が悪かった。その新見を、なぜか土方は異常に嫌っているのだ。
その夜、近藤と土方、沖田は、新見の遊んでいる遊郭へ向かった。
さらに同行したのが、永倉新八、斉藤一、そして槍を使う原田佐之助という、近藤派の猛者たちだ。
「なんだね近藤君、大勢で。不粋だよ」
新見は近藤を睨む。
近藤は無言のままだ。
傍らの土方が言葉を発した。
「新見先生。大事な話が」
そして芸妓を下がらせた土方は、新見の数々の悪行を糾弾する。だが、これは、ほとんど言いがかりだ。
「新見局長。ここは潔く、切腹を」
と、土方が、迫る。
「わかった。わかった」
新見は、ぶっきらぼうに言いながらも、潔く、中庭に出て切腹の支度を始めた。抵抗したところで多勢に無勢。
なぶり殺しされるだけだと、覚ったのだろう。
「介錯は沖田君に頼む」
新見は、そう言い残して切腹する。
その後、新見の切腹を知った芹沢は激怒した。
「何、新見が切腹!」
だが、彼は反撃の狼煙を上げずに、手下の平山五郎と平間重助を伴い、酒と女に溺れてる日々を送る。
その芹沢が唯一、沖田に対してだけ声をかけた。
「沖田君。君は良い男だが、土方君とは、あまり親しくしない方がいい」
「はあ」
「君の将来のためだよ。名人達人といわれる者は、やたらと人を斬ったりはしないものだ」
「でも芹沢先生は人を、お斬りになる」
「私は、ほら、君も知っての通りの未熟者だよ」
そして秋も深まった頃、いよいよ、
『暗殺の決行の日』がきた。
実行部隊は、近藤、土方、沖田、井上源三郎、試衛館出身の四人だ。
標的は芹沢と平山の二人。平間は何故か失踪して、もう屯所にはいない。
深夜。暗殺部隊は芹沢たちの寝所を襲う。
ダダッ、
真っ先に踏み込んだのは沖田である。
芹沢を布団ごと刺し貫いた。
グサリ。
だが、肩口への浅傷だ。
「ぐあっ」
と、飛び起きる芹沢。同時に枕元の刀を取る。
鞘を抜いた。
「誰かね?」
暗闇で、お互いの姿は、よく見えない。
そこへ土方が、背後から斬りつけた。
ズバッ。
血飛沫が飛ぶ。
体勢を崩す芹沢。
「後ろからか、卑怯な」
刹那。
沖田の突きが、芹沢の胴を貫いた。
ズブリ。
手応えがあった。
だが、まだ死なない。大量の血を流しながらも芹沢は、廊下へと逃げた。それを追う、沖田。
この時、すでに別室では近藤と井上が、平山を惨殺している。
結局は、近藤、土方、沖田、井上の四人ががりで、芹沢を滅多刺しにして殺害した。
表向き、芹沢と平山は、病死と発表される。新撰組では葬儀も盛大に行った。これで新選組は近藤派のものになった。
だが、沖田総司の活躍は長くは続かなかった。病を得たのである。結核であった。
新撰組の名を天下に轟かせた、池田屋事件の戦闘中に、沖田は吐血する。そして戊辰戦争が勃発した頃には、戦線を離れていた。
最後は江戸に戻り、郊外の駄ヶ谷で療養した。
そこへ、近藤と土方が見舞いに訪れる。
「笑うと、後で咳が出るので困ります」
そんなことを言いながら、沖田はニコニコと微笑んでいる。
近藤と土方は、明日、甲陽鎮撫隊を率いて甲州へ向かうことになっていた。まだまだ世の中は動乱の最中だ。
見舞いの帰り道、近藤がポツリと言葉を漏らす。
「歳よ、あんなに死に対して、悟りきった奴も珍しいな」
「近藤さん、悟ってなんかいませんよ。総司は生まれたときから、神様みたいな奴でしたから」
その後、沖田は日に日に衰弱していった。
療養している部屋の周囲は、広々した田畑で、障子いっぱいに陽があたり、時々、鳥影がさしたという。
庭には、一匹の黒猫がいる。
1868年。夏。沖田総司は静かに息を引き取った。享年25歳。
お読みいただいてありがとうございます。次回は、屠龍の剣の第五話を投稿します。