第九話
夕方になり、生徒たちはホテルに戻った。千宙と千佳はロビーのソファーに座って、ビーチフラッグスの出来事を反省していた。
「申し訳ありませんでしたお姉さま。こんな単純な罠にに引っかかってしまいって……」
「まあ所詮はお遊びだから。もう過ぎたことだし、しょうがないよ。そろそろお風呂の時間だし、一旦部屋に戻ろう。またご飯のときにね」
「はい。ではまた後ほど」
高等部1年4組の部屋にはすでに布団が敷かれており、風呂の順番が来るまで生徒たちは布団の上でカードゲームをやったり、雑談をしたりして時間を潰していた。
千宙は美都と一緒にスマホで動画を見ていた。伝説のスラッガー、下村紀香が三年生だった頃の星花女子学園ソフトボール部ベストプレイ集である。新聞部が撮影して動画サイトに上げているものだ。
「うわー、下村先輩の打球エグすぎる……ライト全然追ってないし」
美都が紀香の超特大ホームランに感嘆した。
「背丈そんなに大きくないのにどこにこんな力あるんだろ?」
「やっぱ肉食ってるからじゃない? 肉大好きらしいし。ちかちーから聞いたけど、あの人インターハイ予選祝勝会でステーキ五枚食べたらしいよ」
「いやそれさすがに盛りすぎ……いやあり得るな。ノリカスペシャルとかいう置き土産残したぐらいだし」
「あれはねえ……」
星花女子学園カフェテリアの裏メニューにはノリカスペシャルと呼ばれる豚骨醤油ラーメンがある。元々は紀香がカフェテリアに頼んで作らせた裏メニューで、麺量は通常の四倍、厚切りチャーシュー八枚入り、四人で分けて食べても麺大盛りぐらいのボリュームがある化け物ラーメンである。紀香はこれをたった一人で食べていたのだ。
「谷木キャプテンもめっちゃ食べるから力強いんだよねえ。よし、今日は食べて食べて食べまくるか!」
美都は握りこぶしを作った。
「美都、晩ごはん何が出るか知ってる?」
「ビュッフェスタイルって聞いてる。チューの好きなチーズもあるんじゃない?」
「わー、楽しみだなあ」
入浴が終わっていよいよ食事の時間だ。ビュッフェスタイルで提供されている食事は種類が豊富で、どれから手をつけていいのかわからないほどだが素材も良い。海谷漁港に水揚げされた新鮮な魚と、国産にこだわった牛、豚、鳥の肉。野菜は無農薬にこだわった旬のもので、デザートに至ってはカウンター二つ分も使ってケーキ、タルト、アイスクリーム、かき氷、ババロア、ワッフルなどなど何でも揃っていた。
もちろん、メニューの中には千宙の好きなチーズもある。漫画に出てくるような穴あきチーズを見つけて、皿にこれでもかとよそった。他に選んだのはサイコロステーキとローストチキン、魚の刺身各種とライスを少々。野菜は一切無く偏っているが、別に野菜嫌いというわけではなく、とにかく好きなものを選んでいたら乗せるスペースがなくなってしまったというだけの話だ。
千佳の姿を見つけたので、声をかけた。
「ちかちーはサラダ多めだね」
「お姉さまのお膳にサラダが見当たりませんけど?」
「えへへ、ちょっと偏っちゃった」
「もー、野菜も食べないとだめですよ? わたしとわけあいっこしましょう」
夕食の席は決まっていないが、二人は窓側の席を確保できた。窓の外にはいくつもの光の玉が浮かんでいて、その向こうには天の川のような光の筋が見える。海の漁火と沿岸の街の灯火が作り出す光のイリュージョンである。
「うわあ、綺麗ですねお姉さま!」
「うん、めっちゃ綺麗だね」
千宙はチーズを頬張りながらしゃべった。
「ええっ、もう食べちゃってる!?」
「ごめーん、お腹空いて仕方なかったんだ」
「しょうがないですねえ。じゃあ、サラダも一緒にどうぞ」
「じゃあいただきまーす……ん、何だこれ」
最初、サラダにピーナッツが入っているものと思っていたが、よく見ると形が違う。ちょうどスタッフが通りがかったので尋ねてみた。
「ひまわりの種を使用しております」
「へー、メジャーリーガーがよくベンチでおやつとして食べてるアレですよね」
「そうです」
もっとも殻は剥かれているので、一見しただけでは何の種かはわからない。
「ひまわりの種って実は栄養が豊富なんですよ」
「よし、じゃあメジャーリーガーになったつもりで栄養をがっつり取るか!」
千宙は早速、他の野菜とともにひまわりの種を口にした。独特な香りがしたが、千宙の好みに合っていた。
「これ美味い! ちかちー、食べてみてよ!」
「それじゃ」
千佳も一口食べる。
「あっ、いい香りがしますね」
「でしょ? こういう変わったのもいいよね」
千宙はもしゃもしゃと種ごと野菜を頬張る。それを見た千佳が吹き出しそうになった。
「チーズにひまわりの種、詰め込むような食べ方。前から思ってたけど、まるで……」
「ん? 何か言った?」
「いえ、何でもありません」
それから二人は食事を楽しみながら、いろんな話をした。食べざかりのスポーツ少女たちの食事量は並の生徒よりも多く、何度かおかわりをして、かつ、デザートは別腹とばかりに食べまくった。
*
二日目は山へハイキング。コースの特徴として、頂上に向かうルートが多数存在することが挙げられる。各所には四阿とベンチが設けられており、小休止を挟みながらマイペースで頂上を目指せるようになっている。この山は元々星花女子学園理事長、伊ヶ崎波奈の祖父が所有していたもので天寿社員が保養のために訪れていたが、今では主にりんりん学校で星花の生徒が利用している。
千宙は千佳と一緒に行動していたが、運動部ゆえに体力は並の生徒より高く、すいすいと山道を上がっていった。前には誰にもおらず、後ろを振り返ってももはや誰かが上がってくる姿が見えない。
「このままだと頂上に一番乗りできるかもね」
「でも、すぐに上がってしまっては味気がないと思いません? 少し休憩して山の空気をじっくり味わいましょう」
「それもそうだね。おっ、ちょうどいいところに休憩できそうなところがある」
矢印と「休憩所」という文字が書かれた古びた看板を発見した。矢印は林の方を向いていたが一応道らしい道はあり、進むとせせらぎの音が聞こえてくる。やがて四阿が見えてきた。一帯には木漏れ日が差し込んできて幻想的な風景を作りだしている。
二人は四阿に入った。林立している樹木が直射日光を遮ってくれている上、目の前を流れるせせらぎが清涼感を与えてくれる。スポーツドリンクはすっかりぬるくなってしまったが、味は格別のように感じられた。
「何だか、夢の世界みたいだね」
「そうですね。とても涼しいですし……ふぁ~……」
千佳は大きくあくびをすると、ベンチにゴロリと寝転んだ。
「すみません、実は昨晩夜更かししちゃいまして……10分経ったら起こしてくれませんか?」
千宙の返事を待たず、千佳は眠りに入ってしまった。スースー、と気持ちよさそうに寝息を立てる千佳の顔を、千宙はついまじまじと見てしまう。
(ちかちーってまつげ長いな……ほっぺたも柔らかそうだし……)
魔が差して、スマホを取り出す。
「画像撮ってあとでちかちーに見せてやろっと」
独り言を言ってクスクス笑っていたら、横でいきなり「やめとけ」と低い声がした。
「ぎゃあっ!?」
心臓が飛び出そうになった。中尾翠の仏頂面がにゅっと覗き込んできたからだ。