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第五話

 星川電鉄学園前駅から空の宮中央駅方面へ二つ隣のところにある姫沼駅。そこから徒歩三分のところ、交差点の一角にある居酒屋「くし友」は千宙の父親、千友(かずとも)が経営している。名前の通り串揚げや串焼きをメインに提供している居酒屋だが、それ以外にくし友ならではの特徴があった。


「はーい、生ビール大二つでーす!!」

「アリガトゴザイマス!」


 ラテン系の客二人が、片言の日本語でお礼を言って店員からビールを受け取る。隣の席では中国人客四人組がハイボールをあおりながら笑い声をあげ、カウンター席では黒人の男性が串揚げを美味しそうに食べながら壁掛けテレビの野球中継を見ている。


 そう、くし友は外国人に人気の居酒屋なのだ。近隣にある食品工場の外国人労働者がSNSで広めたことがきっかけで、外国人客が大勢訪れるようになったのである。


「ハーイ、ミスターコーウェン。梅酒ロックお持ちしましたー」


 店の手伝いに入っていた千宙が黒人客に梅酒を渡すと、流暢な日本語で「千宙ちゃんありがとねー!」とお礼を言って受け取った。


「千宙ちゃん、夏休みの宿題はどうだい?」

「もー、そんなこと聞かないでくださいよー」

「ソフトボールもいいけど学生さんは勉強が大事だよ? 英語の宿題でわからないことがあったらいつでも聞いてよ」


 黒人客の正体は星花女子大学文学部の教授ジム・コーウェン。日本在住歴20年超で、主に平安時代の文学作品の研究を手掛けている。彼には妻がいたが日本の風土に合わず離婚して子どもとも別れ別れになり、一人暮らしを続けている。そんな彼の楽しみは土曜日にくし友で串揚げを頬張りながら一杯やることである。


「ジムさん、まーた娘にちょっかいかけてんなあ?」


 カウンター越しに、げっ歯類を思わせる出っ歯で細いヒゲを生やした男、店主の千友がからかった。コーウェン教授はすっかり出来上がっており「かけてないよー!」と可愛らしく反論した。


「千宙、これ2番さんと3番さんとこね」

「はーい!」


 千宙が受け取った料理は、両方とも「チーズ串10本盛り合わせ」である。くし友のチーズを使った料理は外国人客の間で人気が高かった。


「おまたせしましたー、チーズ串10本盛り合わせでーす!」


 注文の品をテーブル席まで運んでいくついでに、空いているグラスや皿を下げていく。そのたびに「アリガトウ!」と声をかけられる。外国人客はみんな礼儀正しい人たちばかりだ。


 20時出勤シフトのアルバイト店員が出勤してきたところで、千友に「ご苦労さん、あがっていいぞ」と声をかけられ、厨房に戻るとこれまた出っ歯の店員に「お疲れ。晩飯できてるぞ」と言われた。彼は千宙の兄の公太郎(こうたろう)で、高校卒業と同時にくし友で修行を始めて今年で三年目になる。顔はヒゲが無いことを除けば父親そっくりで、出っ歯もしっかり遺伝している。お世辞にも美男子とはいえない風貌だが、料理の腕は確かだ。


「おっ、今日はチーズ入りチキンじゃん。やった!」

「食ったら宿題片付けとけよ」


 千宙にとって余計な一言だったため、イヤミを込めてこう返事した。


「わかりましたわ。お兄さま」

「あづっ!!」


 串焼きを調理しようとしていた公太郎は、手元が来るってうっかり熱い部分を触ってしまった。


「急に何だよ、キショいな!」

「兄貴、私のことどう思う?」

「は!? お前、熱でもあるんか?」

「違うよ。いや、実はさ……」


 公太郎は器用にも妹の話を聞いてあげながら串をひっくり返す。


「それでお姉ちゃんにされちゃったのか。何かよくわかんねえけど……」

「そ。だから『妹』にどう接してやったらいいのか、兄貴ならわかるかなーと思ってさ」

「俺も知らん」

「えーっ!? 何だよそれー」

「じゃあ逆に聞くが、お前さ、『妹』の何を知ってんのよ?」

「え、えーと……まず足が速いでしょ。それから……」


 それからの先が全く出てこない。兄に言われて初めて、千佳についてほとんど知らないことを気づかされた。


「千宙の好物はチーズ。よく聞く音楽はK-POPで得意科目は体育。苦手科目は体育以外。足がめっちゃ速くて陸上部からスカウトされたこともある。ネコが死ぬほど嫌いなところは俺と親父に似ている」


 早口でまくし立てるように言った後、「6番さんにお願いしまーす!」と、スピードメニューのキムチと冷奴をアルバイト店員に持っていかせた。


「お前とはめちゃくちゃ仲が良いわけじゃねえけど、お前について知ってることはこんだけスッと出てくるんだ。まず相手のこと知らなきゃ話になんねえよ」

「うう……全くその通りだな。ありがとう、お兄さま」

「それ、マジでキショいからやめろ。さっさと食えや」


 シッシッ、と追い払う仕草をする。千宙はクスクス笑いながら、夕食を積んだお膳を持っていき奥のドアを開けた。この先が根積家の住宅となっている。千宙が店の手伝いをした日はまかない飯が夕食だった。


「いただきまーす」


 くし友で使われているチーズの旨味は濃厚で、酒の肴だけでなくご飯のおかずにもなる。おかげで山盛りの飯がどんどん減っていく。


 兄は口こそ悪いが、毎回好物のチーズを使った料理を出してくるあたりなんだかんだで自分のことを思ってくれているらしい。突き放すような言い方をされたが、千佳に対する接し方のヒントを与えてはくれていたようだ。


「まずちかちーを知らなきゃ、だな……」


 この日は宿題には手をつけず、風呂に入ってさっさと寝た。

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