第四話
さかのぼること二ヶ月前。
「八尋さんは最近、集中力に欠けるところがあるわね」
試合でエラーを連発した千佳は、菅野教諭と一対一でお話をするはめになってしまったが、待っていたのは叱責ではなかった。
「何か悩み事でもあるのかしら? あったら聞かせてほしい」
千佳は少し間を置いてから答えた。
「実は、なかなか新しいお姉さまが見つからなくて……」
「お姉さま……?」
お嬢様学校である星花女子学園では、昔は先輩のことを「お姉さま」と呼んでいたそうである。今でも一部では憧れの先輩を「お姉さま」と呼んで慕う生徒がいるが、千佳の場合は実際に疑似的な姉妹関係を築いてた。
彼女は入学したての頃、ソフトボール部のファンだという当時高等部三年生の先輩と知り合って仲良くなり、やがて姉妹関係を結んだ。それから時間の許す限りお姉さまと行動を共にし、勉強と部活以外は全てお姉さまとの時間を当てた。
しかし姉妹の蜜月は一年で終わりを告げた。お姉さまは卒業後、海外に留学した。最初のうちはメッセージのやり取りをしていたのだがだんだんと頻度が減っていき、今では全く疎遠になってしまっている。その頃から千佳は試合で時々大ポカをやらかすようになった。
「要は心を通わせられる先輩が欲しいのね。ソフトボール部の中にはいないのかしら?」
「わたしの理想のお姉さまはですね、性格が良くて、だけど『わたしがいないとダメなんですからあ』と世話を焼きたくなるぐらい頼りなさげで、それでもイザというときにはわたしを助けてくれる人なんです」
「うーん……頼りなさげ、ね……」
菅野教諭は、条件にぴったり当てはまる部員を頭の中で必死に探したが、妥協せざるを得なかった。
「じゃあ、中尾さんはどう? ソフトボール以外だと危なっかしいところがあるからお世話してあげられそうじゃない?」
「中尾先輩は超怖いです……無口で何考えてるかわからないので」
千佳ははっきりと言った。
「まああの子はだいぶ変わってるからねえ……じゃあ、根積さんは? 先輩からいろいろ頼みごとをされてるから頼りなさげではないだろうけど、性格は良い方よ」
「根積先輩ですか。よくパシられてますよね。確かに良い人ではあるんですけど……何か違うんです」
このときの千宙は、確かに千佳のお眼鏡には適わなかったのだが。
*
「わたしも根積先輩みたいにおつかいに行かされてた最中、つまずいて転びかけたことがありました。たまたま近くにいた人に抱きとめられて助かりましたが、その人こそが最初のお姉さまだったんです。一緒におつかいに行ってくれて、それから一気に仲良くなりました」
性格は良いけど頼りなさげ。それでもイザというときに助けてくれる。性格が良い。まさしく理想のお姉さまとの出会いを恍惚とした表情で語らった。
「そして、私がファウルボール直撃から助けたことでお姉さまになる条件を達成した、ってことですか……?」
「そういうこと」
菅野教諭は大きくうなずいた。
「というわけで根積先輩。千宙お姉さまと呼ばせてください!」
「ちょっと待って! いきなりお姉さまとか妹とか言われても……」
根積よう聞け、と大輔が野太い声で呼びかけた。
「人間、生きとる間はな、腹をくくらなアカン場面が何度も出てくるんや。ワシかて何度も経験しとる。選手生命を絶たれた嫁を支えると決めたときとか、嫁との関係が学校にバレてクビになって、嫁と駆け落ちしたときとかな」
「そうそう。大ちゃんが朝から夜まで工事現場で働いとる間、うちも娘の面倒見ながら百均商品の袋詰めの内職やってな。きつかったけど一緒に生きていくんやとうちも腹くくったんや」
田辺夫妻の馴れ初めは周知の事実ではあったが、場にそぐわない重たい過去話をされた千宙は気が滅入り始めた。
「まあ結局何が言いたいかいうとね、八尋の支えになってほしいんだ。メンタルが課題だけど、根積がお姉さまになって公私に渡って面倒を見てあげることで克服できるんじゃないかと見てる。フィジカルの面は申し分ないし、メンタルが鍛えられれば中軸になれるよ」
いぶきが言った。
「でも私……」
「もしも八尋を一人前に育てられたら来年の根積のユニフォームナンバー、4で割ってあげてもいいよ?」
千宙のユニフォームナンバー40を4で割ると10。日本ソフトボール協会の規則で定められた主将の番号である。
「わ、私が!?」
「高一組の中では君が一番気配りができているからね。先輩たちから雑用を命じられても嫌な顔ひとつせず引き受けるし。後は後輩を引っ張っていく術を身に着けたら立派な主将になれるよ。その練習も兼ねてお姉さまになってあげたら?」
確かに主将は憧れの役職だが、だからといってイエスとは言えない。しかし四人の顧問・コーチ陣のはどう答えるべきかわかっているだろうなと言わんばかりの圧を放っており、隣りにいる千佳からも熱を帯びた強烈な圧を感じていた。
「わかりました……」
圧の十字砲火に耐えかねた千宙は観念した。
「それではさっそく姉妹の誓いを立てましょう!」
「誓いって、どうすんの?」
「前のお姉さまのときは宣誓文を一緒に読み上げました。『私たちは幸せなるときも、困難なるときも、健やかなるときも、病めるときも』」
「ちょ、ちょっと待って! それ結婚式で読むアレじゃん! そんなの小っ恥ずかしくてできない!」
「ダメですか?」
「そうだ、ちょっと失礼します!」
千宙は退出して、7秒で戻ってきた。
「ちかちー、差し入れのポッキリバーまだ取ってなかったよね。私の手から渡すことで姉妹契約成立、ってことにしない?」
「ええー、全然風情がないですね……物の受け渡しをするならロザリオが定番なんですけど」
「ロザリオ? ロザリオって何……?」
「え、ロザリオをご存知ない……?」
「いや知ってるけど、なんか十字架がついたネックレスか数珠みたいなやつでしょ。それが姉妹契約に要るものなの?」
「まあ、説明するとかなり長くなりますけど」
菅野教諭が「まあまあそれは後にしましょう」と言った。
「形はどうあれ、姉妹になるという証を立てることが大切よ」
千佳は少し不本意そうではあったが「わかりました」と同意した。
「それじゃあ、二つに割ったのを分け合いましょう。そっちの方がよりらしく見えますから」
「半分こでいいの?」
「お姉さまと一緒のものを食べるからいいのです」
「もうお姉さま呼ばわりなんだね……」
千宙は改めて逃げられないことを悟り、ポッキリバーを真ん中でポキっと割った。
「じゃあ……ちかちー、ぜひ、私の妹になってください……これでいい?」
片手ではあるが、半分になったポッキリバーをうやうやしく差し出す。千佳は両手で受け取った。
「よろしくお願いしますね、千宙お姉さま」
立会人となった四人の指導者は拍手した。
「よ、よろしく……」
姉妹契約成立である。