第三十話
画面の中で三人の女優が絡み合っている中、筋骨隆々の男優が仕上げとばかりに乱入してきた。
「んだよー、いきなり男が入ってきたら萎えるじゃねえかよ!」
忍は舌打ちしながらも、麗のシャツの中に手を入れる。
「そんなこと言ってこの手は何さ?」
麗もお返しとばかりに忍のシャツの中をまさぐりだした。お互い下卑た笑みを浮かべての触りっこに千宙はドン引きした。
(明日も投げるのにおっぱじめるつもり!?)
妖しい空気が部屋を包み込む。双子姉妹と二遊間コンビのスキンシップも激しくなってくる。女性どうしから男女の絡みに変わっても一向に止まる気配はない。
(うわっ、あんなことして大丈夫なのかな……)
漫画と違い、生身の人物が動いているから生々しさが違う。
「お姉さま……?」
千佳が虚ろな目で呼びかける。
「あ、ちがっ、これは……」
千宙は知らず知らずの間に、彼女の体に腕を回して引き寄せていた。千宙も千佳も空気に飲み込まれつつあった。
ヴィーン、と震動音がする。麗のスマホだった。邪魔くさそうに取り出して画面を見るなり、
「黛からだ。坂崎コーチが部屋を見回ってるって」
「何!?」
忍はすぐにチャンネルを地上波に変え、「お前ら隠れろ!」と指示を出す。数秒もしないうちに二枚看板の投手はベッドの下に、双子姉妹はクローゼットの中に、二遊間コンビは風呂場に身を潜めた。取り残された千宙と千佳はキョトンとしていた。
コンコンコン、とノックの音。
「あっ!」
千宙は玄関に先輩たちのスリッパが置きっぱなしになっているのに気がつき、ネズミのようにササッと動いてベッドの下に隠す。それから千佳がドアを開けた。
「坂崎コーチ、お疲れ様です」
「東がここに来てない?」
「いえ、見てないですけど……」
千宙はウソをついた。これで共犯だ。
「草薙に加瀬、吉川、久能姉妹もいないの。誰かの部屋にお邪魔してるのかなと思ったけど」
「部屋の中は見られました?」
「いや、オートロックだからこっちから開けられない。でも、ノックしても何の反応もない。フロントに聞いても誰も外に出てないって言うし」
「うーん……じゃあただ寝てるだけじゃないですか?」
「まだ九時にもなってないのに?」
「ほら、明日は九段女学院と試合するし、最高の状態で望みたいのかもしれませんよ」
「ふーん、そうかな……ま、こちらとしては明日に備えて早めに寝るよう監督からの釘を刺しに来ただけだから。もしもどこかであの子らを見かけたらそう言っといて」
「はい」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
ドアを閉めた途端、先輩方はゆっくりと姿を現した。
「よし、うまいことごまかしてくれたな。スリッパを隠したのはファインプレーだったぜ。お礼だ、これで何か飲みな」
忍はそう言って後輩二人にお金を握らせた。千円札だった。
「いや、そんなつもりじゃ……」
「黙って受け取っとけ。他の奴には言うなよ」
お金を押し付けると「戻るぞ!」と一声かけて、全員を引き連れて部屋を出ていった。
「じゃあ、後は二人でごゆっくり」
去り際に麗がニヤッと笑った。
「ふう……どうなることかと思った」
「お姉さま、喉乾きません?」
「うん、何か飲み物でも買おうか。あぶく銭はすぐ使えって言うしね」
同じ階の端には自販機コーナーがある。
「あ、お酒もありますね」
「ダメだよ!」
買おうにも酒類の自販機はマイナンバーカードか運転免許証が必要になっているので不可能である。
「お姉さまはお家の仕事柄、実はこっそり飲んだことあるんじゃないですか?」
「ないない! お父さんや兄貴からお前は絶対飲むなってしつこく言われてきてるし」
「そうですか。わたしも飲んだことないですけど、飲んでみたい気分なんですよね」
「なんで?」
「その、お姉さまに変なことしてもお酒のせいにしてごまかせそうだから……」
「え?」
会話が途切れてしまい、しばらくの間自販機のコンプレッサーの音だけがしていたが、千佳が声を絞り出した。
「お、お姉さまはそういうこと、したいと思ったことはありませんか……?」
トロンとした目つきが非常に蠱惑的に見える。そういう目で見てはいけないとは頭でわかっていても、本能が押し寄せてくる。千宙の中で天使と悪魔が戦いを始めた。
目線を逸らすと、その先にアイスディスペンサーがあった。千宙はおもむろに備え付けの紙コップを使って氷を取ると、その一個を千佳の首筋に押しつけた。
「ひゃんっ!」
「ちかちー、ちょっとのぼせちゃったみたいだね。冷たいの飲んで落ち着こ?」
「はい……ごめんなさい、少し調子に乗りました」
ちょうどチルタイムドリンクがあった。忍と麗が好んで飲んでいるリラクゼーションドリンクで否応にも二人の顔が浮かんでしまうが、リラックス効果は抜群である。千宙はチルタイムを氷入りの紙コップに移し替えて飲むことにして、千佳もそれに倣った。
「明日も早いし、寝ようか」
「そうですね、寝ましょう」
そう答えた千佳がどこか寂しそうに見えたが、自意識過剰だろう。そう思うことにした。