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第三話

 痛烈な二塁打を放った翠だが、表情を一切崩さない。


「中尾さんナイスバッティング! 打球エグかったよ!」

「どうも」


 ハイタッチを交わしても、全く喜ぶ素振りすら見せない。それどころかベンチに戻ってからも首をかしげながら、バットを振る仕草を繰り返している。


「あんな完璧な打撃をしても納得してないのか。さすが中尾さんだな」


 千宙は屈伸運動をしながらストイックな同級生を讃えた。


 ピッチャーズサークルに集まっていた内野陣の輪が解けて、プレー再会。打席には高等部ニ年生の美川理央が左打席に立つ。ジュージャンならぬチキンカツ弁当ジャンに負けて五千円を失ったこの選手は、確実性に欠けるが長打力がある。無死一、二塁だがバントのサインは出ていない。


 しかし、田辺大輔は左右の耳たぶを引っ張る仕草をしている。


(いきなりそう来るか~)


 千宙は集中力を高めた。


 プレー再会。麗が投球モーションに入り、ボールがリリースされた瞬間、千宙は三塁へと駆け出した。


 翠も足の速さには定評があるが、千宙の足は翠をも上回る。そのことをバッテリーは把握していたはずだが、左打者の上にいきなり盗塁は無いと決めてかかったのか全く警戒していなかった。


 送球は若干逸れて、頭から滑り込んだ千宙の手が先にベースに到達した。千佳も二塁を陥れてダブルスチール成功だ。


「よっしゃあ!! ナイスラン!!」


 大輔が手を叩いて大喜びする。白軍ベンチではその様子を見た小雪が苦笑いを浮かべた。


「見た? シンバル叩く猿のおもちゃみたいやと思わん?」


 白軍選手たちはくすくす笑うが、ピンチに陥っているので本来は笑うところではない。


「しかし足速い子二人が代走出とんのに全然警戒せんのやからなあ。ミーティングのネタができたわ」


 ぼやいていると、理央がライト方向へフライを打ち上げた。「あー、一点入ったな」と小雪はため息をついた。


 右翼手が捕球すると、千宙、千佳はそれぞれタッチアップ。千宙の足ではどうあがいても間に合わず、右翼手は中継に返すだけであった。その後がいけなかった。中継に入った二塁手が千佳ならまだ刺せるとみたのか、三塁に送球した。それがワンバウンドになり三塁手が後ろに逸らしてしまった。千佳は起き上がってホームに走り出し、滑り込むことなくホームベースを踏んだ。


「ミーティングで絞らなアカンなあ」


 小雪はまた猿のおもちゃのように手を叩いて喜んでいる夫を遠巻きに見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。試合後ミーティングは荒れること必至だろう。


「ナイスラン! 二人ともよう仕事したな!」


 二人はベンチに帰ると、大輔にグータッチで出迎えられた。そのまま自然な成り行きで隣り合ってベンチに座った。


「今の加瀬先輩の送球は余計でしたよね。わたしの足、なめられてるのかなあ」

「きっと焦ったんだと思う。とにかく2点入ったよ。さあ今度は守備につく準備しないと」


 と意気揚々だったが、スリーアウトチェンジになった後、大輔は審判を務めるマネージャーに翠と弓月のリエントリーを告げた。先発登録された選手は一旦下げられても一度だけ再出場できるという、野球にはないルールだ。


「え~、せめて中尾さんの次の打順まで守らせてくれても……」

「次の機会を待ちましょう」

「そうだね。じゃ、声出してアピールするか!」


 千宙は声もチームの中で一番大きい。紅軍投手の忍が一球投げるごとに声を張り上げる。忍の持ち味は何と言っても速球で、MAX107km/hを記録したことがあるが、これは野球の体感速度で150km/hに相当する。今日は調子が良いらしく、白軍のバットは剛速球にかすりもせず空を切っていった。


「すてきー! 抱いてー!」


 調子に乗った千宙がついそう叫ぶと、忍の鋭い目つきに睨まれて縮こまった。


「先輩、いくらなんでも品が無いです」

「愛してるー! ぐらいにしとくべきだったかな……」

「全く一緒だと思いますけど……」


 白軍の打席は高二部員の出浦最上(いでうらもがみ)。彼女も長打力があり、インターハイ予選では本塁打を放ったことがあるが、忍の速球に押されている。バットに当たりはしても前に飛ばなかった。


「おーい、前に飛ばさな意味ないぞー」


 大輔が野次という形で教え子を叱咤した。その直後、狙ったわけではないだろうがファウルボールが大輔目掛けて飛んできた。条件反射的に大輔も、ベンチにいる部員が悲鳴を上げながら避ける。


「コラ! ワシに当てても点入らんぞ!」

「すいませーん!」


 グラウンドが爆笑に包まれる。張り詰めた空気が緩んだが、忍の剛速球は衰えない。最上のパワーでも上手く弾き返せず、打球はまたもやベンチに飛んでいった。


 今度は千佳の方へ。


 しかもさっきより球足が速く、すでに眼前に白球が迫ってきていた。


「危ないっ!!」


 このとき、守備につく気満々だった千宙がグローブをはめていたままだったのが幸いした。叩き落とすつもりで千佳の顔の前にグローブを差し出したところ、うまい具合に打球を捕らえることができたのである。


「おお!?」「すごーい!」「チューやるじゃん!」


 紅軍メンバーだけでなく、白軍ベンチからも拍手喝采を浴びる千宙。しかし彼女はそれに応えるよりもまず後輩を気づかった。


「だっ、大丈夫!?」

「……」


 千佳は答えない。しかも目の色は先ほどとはあからさまに違っている。


「怖かったねー。私もびっくりしちゃったよ。あははは」


 恐怖心を取り除いてあげようと、頭を撫でた。だがこのとき、千宙は千佳の心情を誤解していた。


「ここにいた……」

「ん、何か言った?」


 千佳が答える前に歓声が上がった。忍が三振を取ったのだ。早足でベンチに戻ってチームメイトとハイタッチを交わし、千宙もグラブタッチを交わそうとしたが、頭に強くタッチされた。

 

「てめぇ、変な声援送んじゃねえよ!」

「すいません、調子乗りました!」


 試合は、犠牲フライとエラーで上げた二点で紅軍が勝利した。


 *


 ミーティングで反省点を洗い出して、本日の練習は終わりとなった。


「三石先輩からポッキリバーの差し入れでーす。一人一個ずつねー」


 高二マネージャーの金刺瑠美(かなざしるみ)がクーラーボックスを開けると、部員たちは我先にと争ってポッキリバーを取り出していった。凍らせてアイスキャンデーにしたものを容器ごと真っ二つに割って食べる、あの定番のお菓子だ。


「あれ、一個余ってるよ? 取ってない人誰?」


 瑠美がキョロキョロと見回す。


「あ、ちかちーがいないじゃん。どこ行ったの?」

「さあ、トイレじゃないですか?」


 そう答えた千宙はもうポッキリバーを食べ終えてしまっていた。「もうちょっと味わって食べなよ……」と瑠美は引き気味だ。


 甘いものを食べたからかは知らないが、この日の部員たちはやたらと甘い雰囲気を出している。


「忍、帰ったらたっぷり可愛がってあげるからね」

「は? お前、負けついてるじゃねえかよ」

「今日は被安打数で勝負するって言ったじゃない。僕は一安打で終わったけど、忍は六回に二安打されたでしょ」

「チッ、しょうがねえな……」


 などと麗と忍はちちくりあいながら会話し。


「さくら~、今日一緒の部屋で寝ていい?」

「よしよし、朝までたーっぷりと慰めてあげるからね」


 エラーで二点目を計上し敗戦の戦犯となり、ミーティングでこってり絞られた加瀬みりなは吉川さくらと頬を寄せ合い。


「佑季、やっぱり私たち一緒じゃないと力出ないよ」

「私も佐季と離れ離れになって寂しかった」


 ロッカーの隅では全く同じ顔、同じ背丈の二人が過剰な双子スキンシップを交わしている。一卵性双生児の久能姉妹で、今日は二人とも無安打で良いところ無しだった。


 どういうわけか、今年の高二組はカップルが複数できていた。しかもうち一組は同じ遺伝子を持つ姉妹という超濃厚ぶりだ。


「こいつらまーたやってる……」


 千宙は愚痴を口の中で留めたところ、急に怒鳴り声がしてすくみ上がった。


「お前ら! いちゃつくなら外でやれ!」


 主将の弓月が巨体に見合った威圧感を放ち、ロッカールーム内の空気が一気に冷えこんだ。弓月はすでに制服に着替え直している。体が大きいので特注サイズである。


「根積、菅野先生が呼んでるからすぐに行け」

「はいっ! ……?」


 勢いよく返事して、着替えを中断しユニフォーム姿のままで隣のミーティングルームに駆け出していった。


「え? 私何かやらかした……?」


 今日の練習や紅白戦で叱られるようなことをした覚えは全くない。


「失礼します!」


 ドアを開けると、菅野教諭だけでなく田辺夫妻に坂崎いぶきコーチが長机を前に一列にずらりと並んで座っていた。


 そしてその手前側には、先程から行方知れずになっていた千佳がいた。


「呼び出してごめんなさいね、そこに座って」

「は、はい……失礼します」


 ごめんなさいね、というからにはお叱りではないはず。少し気が楽になったが、なぜ千佳までもが一緒なのだろうか。


「根積さん。紅白戦では八尋さんと一緒にいい足を見せてくれたわね」

「ありがとうございます」

「実は根積さんに大事なお願いがあってね」

「何でしょうか?」

「八尋さんのお姉さまになってあげてほしいの」

「はい、お姉さまにですね」


 ツーテンポほど遅れて、千宙は「はいいい!?」と絶叫した。


「ちか……八尋さんのお姉さまに???」

「そう、お姉さま」


 千宙は自分の顔を千佳の方にゆっくりと向けた。


 今まで見せたこともない、うっとりとした笑顔がそこにあった。

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