第二十八話
宿泊所は多摩川から徒歩10分、私鉄駅近くにある何の変哲もないビジネスホテルである。周囲はアパートとマンション、他には小さな神社があるぐらいだが駅近くという立地のため人通りはそこそこ多く活気に溢れている。
チェックインを済ませたところで、マネージャーの黛弘美から部屋割りが発表されたのだが、まず謝罪の言葉から始まった。
「本当に申し訳ないのですが、ホテル側の都合で一組だけシングルベッドの部屋を使って頂きます」
その一組が、千宙と千佳の部屋であった。
「え、私がちかちーと……?」
「お姉さまと同じベッドで……?」
困惑している二人にすかさず美都が「よかったね!」とチャチャを入れてきた。
「布団は用意されているのでどちらか床で寝てもらうことになります。もちろん一緒に寝てもいいんだけど」
弘美の頬が緩んでいる。
「あのー、黛先輩……私達が割り振られた理由を教えてほしいんですけど」
「あみだくじで決めたの。不服なら変えてもいいけど、同じ階には誰もいないから気が楽よ?」
「いや、不服はありませんけど……」
「じゃ、"姉妹"で仲良く部屋を使ってちょうだい」
周囲から、何か暖かい視線を感じ取った。
チームメイトは四階と五階に分かれているが、千宙と千佳だけは二階の一人客専用部屋に入ることになった。入室すると床にはすでに布団が一枚敷かれていた。
「何か怪しいよ、これ」
千宙の疑念に対して、千佳が答える。
「イヤですか? わたしと一緒なのが」
「あ、そういう意味じゃないよ! ほら、私達疑われてるから試すつもりなのかなーって……」
「そうだとしても、わたしはお姉さまと一緒に過ごせるのが嬉しいです」
千佳は声を弾ませながらテレビをつけた。ホテルの案内表示が映る。
「あ、映画が見れるんだ」
「それ、別料金がかかるよ」
「えっちなのもありますね」
「わわっ!」
選択画面に「アダルト」の項目があるのを見つけた千宙は、慌ててリモコンを奪い取って電源を切った。
「ちかちー、ダメだって!」
「ふふっ、お姉さまったら恥ずかしがり屋さんですねー。未成年客の場合はホテル側がちゃんとえっちなのを見れないようにロックをかけてくれるんですよー」
千宙の顔が熱くなった。
「からかうんじゃないよ、まったく……」
「すみませーん」
千佳がペロッと舌を出す。
チャンネルを地上波に合わせると、夕方のニュース番組でスポーツコーナーが流れていた。内容は来週開催される野球のクライマックスシリーズファイナルステージの特集で、三位に甘んじた武蔵野レッドソックスがファーストステージを勝ち上がりリーグ覇者のドルフィンズと対戦するという。チーム最多勝のドルフィンズのエース、本郷蝶太郎と入団三年目にしてトリプルスリーを達成した仲谷侑次郎との対戦を「太郎次郎対決」と銘打って取り上げ、評論家が熱心に解説していた。
「レッドソックス、勢いあるよね。二連勝で勝ち上がったし」
「何より仲谷選手ですよ。通算4本塁打だったのが今年だけで30本ですもん。ファーストステージでも二試合連続でホームラン打ってますし」
仲谷侑二郎は元々俊足巧打タイプで入団以来一番を打っていたが、長打力が身についた今シーズンは三番打者として活躍している。パワーが増えたのは食事の見直しとウェイトトレーニングのおかげらしい。今の千佳が取り組んでいることと同じである。
仲谷侑二郎がドラフト一位で入団した年の映像が流れるが、今よりも明らかに体の線が細い。千佳も鍛え続ければ今の仲谷選手のようになるかもしれない。
「ちかちー、やっぱりホームラン打つのって気持ちいい?」
「はい、すごく気持ちいいです。芯を食った瞬間の手応えはどう言ったらいいのか、ほとんど感触が無いんですよ。でもそれがすごく気持ちいいんです」
「へー、確かに野球でもホームランバッターが同じようなこと言ってたけど、実際そうなんだ。私、中学時代に一本しかホームラン打ったことがないからわかんないや。しかもランニングホームランだったし」
「お姉さまの足ならもっと打ってても良さそうなものですけど」
「足を活かすためにゴロを打てって監督に言われてたからね。ランニングホームラン打てたのも偶然で、本当はエンドランの指示があってゴロ打たなきゃいけなかったのにたまたま上手いこと打球が上がっちゃって、前進守備の外野を抜けてったの。ツーランホームランだったけど、監督にはめっちゃ怒られた」
「おかわいそうに」
「まっ、過ぎたことだし。そうだ、今のうちにシャワー浴びようよ」
ホテルには大浴場が無いので、各々の部屋についている風呂を使うよう指示を受けていた。
「ちかちーから使っていいよ」
「いえ、せっかくですし……二人一緒に入りません?」
「え?」
「いやですか……?」
「そ、そんなことないよ! 入ろう入ろう!」
早速その場で着ているものを脱ぐ二人。りんりん学校では水着姿を見ていたし、部活でも着替えで下着姿を見ることはあった。しかし狭い部屋で二人きりでお互いの裸を見るとなるとどうしても羞恥心が湧き出てしまう。
特に胸に関しては、千佳と自分の格差がくっきりと現れていて余計に恥ずかしさを覚えた。
「お姉さまって、すっごくきれいな体してますね」
「ふぇっ!? ちかちーに比べたら貧相だよ……」
「小さくても身が引き締まっててバランスがいいです」
「それ言ったらちかちーだってここが……」
どことは言わないが、視線が胸の方にいってしまう。
「じろじろ見ないでくださいよー」
「ごめんごめん。とにかく、入ろっか」
ユニットバスなので浴槽の中でシャワーを浴びることになるが、浴槽はそこまで広くないから二人が入ると必然的に体が近くなる。
千佳が後ろを向いて体を洗っていると、うっすらと縦筋が刻まれた背中が見えた。水滴で濡れそぼり光沢を放っているそれは綺麗だと感じたが、それ以外の感情もほんのりと湧き上がってきた。
「ちかちー、ちょっと背中触っていい?」
「いいですよ」
縦筋に沿ってさする。千宙は「うわあ……」と思わず声が出た。
「あの、お姉さま。その、手つきが……」
「……あっ、ごめん!」
我に返った。いったい自分は何をしようとしていたのだろうか。
少し気まずい空気になってしまい、千宙は急いで体を洗い終え、先に出たのだった。




