第二十七話
一方、高等部の試合。
「行ったああ!!」
千宙が声を張り上げる。打球がグングン伸びてフェンスオーバーしたのだが、なんとこれが満塁ホームランとなった。
ただし、打ったのは一年生の中尾翠である。全くニコリともせずに淡々とベースを回ってきて、これまた無表情でグータッチを交わしていく。だが最後に千宙の前で謎のカクカクポーズを披露した。
「……今の何?」
「ドルフィンズの岸本選手のパフォーマンスだが?」
岸本選手がホームランを打つと腕を水平にして胸の前にかざし、そのままワイパーのように垂直に上げる独特のガッツポーズを披露するのだが、翠の動きはロボットみたいにぎこちなく、ウィーンガシャンという音が聞こえてきそうな別物の動きになってしまっている。
そもそも無骨な翠が似つかわしくないことをしているのかというと、千宙が「打ったらもう少し嬉しそうにしたらどうかな?」と助言したためである。打っても笑わないどころか泣きだすこともあり、逆に打てなくても笑い出すといったように常人には理解しがたい感性を持っているために周りから理解されず、特に千佳含めて中等部生から怖がられているから、見かねた千宙が助言したのだった。
「うーん、もうちょっと練習しよっか」
「わかった」
無機質な返事であった。本当にわかっているのかどうか怪しいところである。
攻守交代となり、千宙は翠に代わってセンターの守備に就く。遥か向こうで中等部チームがプレーしているが試合はどうなっているのだろうか。千佳は活躍できているのだろうか。
少なくともこの試合、千宙はあまり見せ場はなさそうであった。先発の草薙麗の調子が良すぎてほとんど打球が外野まで飛んでいないからだ。このイニングも内野ゴロ三つを打たせてものの数分で終わってしまった。
「何か張り合いがないな……菅野先生、もう交替していいですか?」
「あなたが決めることじゃありません」
「はーい」
麗は忍の隣に座るとじゃれ合いだした。野ざらしのベンチは一列分しかなく席数も少ないので、必然的に監督の菅野とコーチのいぶき、二年生たちが座ることになる。後輩の千宙は後ろでイチャイチャを見ているしかできず、怖いキャプテンに喝を入れてもらうのを待つしかなかった。
「こんな気の緩みようで公式戦大丈夫かな……」
「本当にね」
聞いたことがない声が後ろからした。振り返ると、青色のジャージを着た二人組が。千宙は一瞬誰かわからなかったが、一番真っ先に反応したのは麗だった。
「有原先輩!?」
みんな一斉に立ち上がり、こんちはー! と礼をした。千宙は麗に無理やり頭を下げさせられる格好になった。
有原はじめ。昨年、星花女子ソフトボール部をインターハイに導いたエースが目の前にいる。
「有原先輩、なんでここに……?」
「わたしの大学、ここから近いからロードワークついでに見に来たの。菅野先生から試合があるのを教えてもらってね。というわけで見学させてもらうね」
麗と忍は席を空けて、伝説の先輩を座らせた。
「二人とも元気してる?」
はじめが尋ねると、二人のエースは直立不動ではい、と震えた声で返事した。菅野といぶきは空気がピシッと引き締まったベンチを見て満足げだった。こうなることを見越してあえて注意しなかったのだろうか。
忍ははじめと一言二言交わした後、「肩作ります」と言って控え捕手を連れて投球練習を始めたが、まるで二人から逃げるようにも見えた。麗も千宙にキャッチボールにつきあうよう命じた。
「ねえ草薙先輩、私有原先輩と入れ違いで入学したからどんな人か知らないんですけど……怖い人ですか?」
「いや、優しいよ。だけど恐れ多い存在さ。僕も忍もあの人たちに救われたからね」
投げながら、麗は語りだした。
「僕の中学時代は素行が悪くてね。五股、いや六股だったかな……? まあ三年の頃に、とにかく大勢の部員と関係を持ったのがバレて退部したんだ」
「は、はあ……」
「星花に入学したのも可愛い子がたくさんいるからで、最初はソフトボールを続ける気はなかった。だけどたまたま学校で練習試合やってて、有原先輩が一所懸命投げてるのを見てなんかこう、くすぶってた心がまた燃え上がるのを感じたんだ。仮入部して有原先輩に球を見てもらったんだけどすごく良いよって褒めてくれてね。だけど不祥事で辞めさせられた身だし、正直に自分の過去を話した。それでも先輩は一緒に頑張ろうって受け入れてくれた」
歓声が上がる。弓月が長打を放ち、巨体を揺らしながら二塁に滑り込むのが見えた。試合は一方的な展開である。
「東先輩はどうだったんですか?」
「あいつも中三で退部させられてる。審判の判定にキレて暴力を振るったのが原因でね。複数の高校から推薦入学の誘いがあったのに全部ダメになって、なぜか星花に流れ着いた」
忍は怖い先輩で暴力的に見えないこともないが、後輩に手を上げることはない。それだけに千宙は少しショックだった。
「でもあいつ、練習で自慢の速球を下村先輩にボコボコに打たれて悔しくて泣いたんだよ」
「あの東先輩が……?」
「あ、本人に絶対に言うなよ? 言ったら……わかってるよね?」
千宙は首を縦に大きく振った。
「で、そのときに慰めてくれたのが有原先輩だった。自分もまだ弱いけど一緒に強くなっていこうって励まされて、それから忍も有原先輩の崇拝者になったのさ」
我の強いエース二人を崇拝せしめる時点で、有原はじめという先輩にはやはり一種の恐ろしさがある。
「それに、僕と忍を引き合わせてくれたのも有原先輩あってのこと。最初はどっちが先輩に気に入られるか競い合ってけど、そうしているうちにお互いのことが気になりだして、あれはちょうど去年の冬休みだったな。最後の練習の日、夜にあいつが僕の部屋にやってきて僕のことを……ルームメイトは帰省でいなかったから朝まで楽しんじゃったけど、可愛い子が好みだと思ってたのにあいつに新しい世界を教えられてさ……ふふふ」
「最後らへんの情報は要らないです」
千宙は相手に聞こえないよう小さな声で突っ込んだ。
追加点が入り、大量援護をもらった状態で麗がピッチャーズサークルに向かう。忍は相変わらず投球練習をしているが、横で美都も肩を作り出している。
イニングが始まる前に、はじめが立ち上がって声をかけてきた。
「君、新入生だよね。名前は?」
「はいっ、根積千宙です」
「土手の上からも見てたけど、根積さんって声がすっごく大きいよね。声出しで盛り上げるのもチームの大事な仕事だからね」
「はっ、はい! ありがとうございます!」
大先輩に褒められてやる気が出ない方がおかしいというもの。千宙はやる気を声に変えてどんどん腹の底から出していった。
結局、第一試合目は終始相手を圧倒してのコールド勝ちで終わった。試合後の反省会ではじめが後輩たちに訓示する。
「最初から最後まで気を抜かず、どんな状況になっても気を抜かずに自分の仕事を果たそう。そうすれば必ず結果が出るからね」
気の緩みを遠回しに戒めている、と千宙は受け取った。みんなも神妙な面持ちで聞いているあたり、自覚があったのだろう。
はじめはこの後、中等部の試合も覗いてロードワークに戻っていった。大先輩の静かなる喝が効いてか、二試合目も圧倒的なパフォーマンスを見せて大勝したのであった。