第二十六話
東京都遠征一日目である。ソフトボール部一同はバスで三時間かけ、多摩川沿いにある運動公園に向かった。広い河川敷の中に野球場が複数あり、そのうちソフトボールにも使えるのは二面で、それぞれ公園の東端と西端に位置している。高等部と中等部に分かれて試合するが、端と端なのでお互い見えない位置で試合することになる。
「お姉さまに見てもらいたかったのになあ……」
千佳は遥か彼方、東の方角を見つめてため息をついた。千佳の視力をもってしても遥か彼方にいるはずのお姉さまの姿は一切見えない。
「八尋、何をボケーっとしとんじゃ」
大輔に怒られてしまった。だが顔は笑っている。
「ほんま頼むで。今日は一番打者として起爆剤になってもらわなアカンからの」
「はい、頑張ります!」
第一試合に当たるチームは選手たちが二種類のユニフォームを身にまとっており、学校名も違っている。この時期ともなると三年生が引退して抜けた途端に人数不足になる学校が出てくるが、その場合は他所の学校と合同チームを組む。
「相手は合同チームやけど、性根入れてかかれよ」
「はいっ!」
定刻通り、正午に試合が始まった。星花女子学園はじゃんけんで先攻を取り、千佳は先頭打者として右打席に入り、改造した打撃フォームで構えた。打撃コーチの坂崎いぶきに相談し、Ytubeのソフトボール解説動画も参考にしながら作り上げた、ボールを強く叩くためのフォームである。
プレイボールがかかると、早速第一球目が投じられた。
「ストライク!」
まずは様子見で見逃したが、今の自分なら楽に打てそうな気がしていた。打撃練習では一枚も二枚も上手の投手を相手してきている。
「八尋ー! 思いっきりいこー!」
大輔の妻の小雪が声援を送る。遠征に当たって、田辺夫妻は娘を天寿が運営している保育施設に預けてきている。天寿の社員や星花女子学園の関係者であれば誰でも利用できるが、田辺夫妻もその対象者に入っていた。
小雪は何度も「おかげで心配いらんわあ」と喜んでいたが、幼い娘を置いていくのだから心残りがあるに違いない。せめてそれに見合う結果は出したかった。
フルカウントまで粘ってからの六球目、千佳は三振を恐れず思い切り振り抜いた。良い感触だった。
ライナー性の打球がセンター方向に飛び、中堅手の頭上を越した。打球はワンバウンドで簡易フェンスをまたいだ。エンタイトルツーベースだ。
「ええぞー!」
大輔が手を叩いて喜ぶ。ベンチに千佳お姉さまがいれば自分も手を叩いて喜んでいたかもしれない。試合は事後分析のために小雪がカメラで録画しているとはいえ、自分の成長の証は生で見てもらいたかった。
この日の千佳の調子は、おそらく入部して以来最高といっても言い過ぎではなかった。二打席目はシュートを詰まらされながらもサードの上を越す安打を放ち、三打席目は若干高めの球だったが真芯で捉えた打球がレフト方向へ飛び、ついにノーバウンドでフェンスを越えたのだった。対外試合では初めてのホームランである。
「ナイスバッティング!」
千佳は小雪とハイタッチを交わした。
「コーチ、今のばっちり撮ってましたか!?」
「もう完璧よ。後で根積にも見せたるからな」
お姉さまは褒めてくれるだろうか、と今から楽しみで仕方がなかった。
5回の表には早くも四打席目が回ってきた。すでに7対1と6点差にリードが広がっているが、あと1点入れば5回コールドの条件を満たす。
「おい、あとスリーベース打ったらサイクルヒットやぞ!」
「え?」
千佳は今までの打席を振り返った。ツーベース、シングル、ホームラン。確かにスリーベースを打てばサイクルヒットである。大輔に言われるまで気が付かなかったが、
「大ちゃん! 余計なこと言うたら意識してまうやん!」
小雪が怒り出した。
「いや、めったにないことやし狙わせたいやん……」
「八尋、聞かんかったことにして。ちゃんと自分のバッティングしてな」
とはいうものの簡単に記憶を消すことなどできるはずがない。
「自分のバッティング……ね」
千佳がやることはただ一つしかない。
相手投手はもう四人目にスイッチしていた。投球練習を見ても特に注意する点は見当たらない。
「よしっ」
と気合を入れて四回目の打席に立った。今までの打席では慎重に見ていたが、今回は初球から狙っていくことにした。
その初球は、打ってくださいと言わんばかりのど真ん中の棒球だった。明らかに失投だ。絶好調の千佳が見逃すはずがなく、思い切り叩いた。
「うわ、行ったんちゃうこれ!!」
大輔が立ち上がった。センターが懸命に追うが打球はもう遥か上を飛んでいる。千佳には足もあるからスリーベースは確実にいけるだろう。
しかし打球はフェンスをノーバウンドで越えたのだった。
「やった! これでお姉さまにいっぱい自慢できる!」
サイクルヒットにはならなかったが、2本塁打に合計11塁打の大暴れ。千佳は大満足の笑みでダイヤモンドを一周したのだった。