第二十四話
謝罪しようという気持ちだけはあったが、実行する勇気が出ないまま家に帰ってきてしまった。
「はあ……」
「おい千宙! 千宙!」
兄の公太郎の怒声でふと我に帰る。
「何ボーッとしてんだ、レバー串、四番さんとこに持ってけって!」
「あ、五番さんね……」
「四番!」
店の手伝いをしていてもまったく集中できておらず、小さなミスを頻発させている。兄や友達とケンカして落ち込むことは何度もあったが、千佳相手だとなおさら苦しい気持ちになるのはなぜだろうか。
「千宙、こっちこい」
とうとう公太郎に呼び出された。
「お前、もう上がれ。今日は全然使いもんになんねぇわ」
「……ごめんなさい」
「帰ってきたときから何かおかしかったんだ。学校で何があった? 正直に話してみな」
休憩室に連れていかれた千宙は、神妙な面持ちで洗いざらい話した。このときに一番頼れるのは血の繋がった身内だ。
「……なるほどな。千宙は俺と同じ失敗をやらかしたわけだ」
「兄貴も?」
「高校時代、つきあってた彼女と別れた」
「……え?」
千宙はネズミ顔をマジマジと見つめた。
「え? じゃねえよ。野球部は顔悪くてもレギュラーだとそこそこモテるんだぞ」
公太郎は近所の公立高校の野球部に所属しており、投手をやっていた。練習試合で現ドルフィンズの花岡緋馬から三振を取ったこともあると自慢していたが、今はこうして焼き鳥屋の跡取りに納まって野球は草野球チームに入ってユルユルと続けている。
「花岡って顔がいいから他校のファンも多くてさ、俺の彼女もその一人だった。だけど普段話してても花岡花岡ってうるさくてさ、ついムカついて言っちまったんだ。『お前の彼氏は俺か花岡か』って。そしたら大ゲンカになってそのまま終わったのよ」
「私とほとんど一緒じゃん……」
「だろう? 俺の前で花岡の話ばっかする方が悪いんだ、って最初は思ってた。だけどあいつは単に選手として推していただけで悪気はなかったんだ。今思うと大人気なかったなって後悔してる」
前から千佳に抱いていた違和感の正体がわかった気がした。
「私、ヤキモチ妬いてるんだ……」
「そういうこったな。じゃあ、何をしたらいいかわかるよな?」
「ちかちーに謝る」
「それと、ホームラン打ったことをちゃんと褒めてやれ。その上で千佳ちゃんがなりたいものになれるよう支えてやれ。それがお姉さまってもんじゃねえのか」
「う、ごめん……ちょっと涙出てきた。兄貴にしちゃ良いこと言うから」
「一言余計なんだよ」
公太郎は休憩室備え付けの冷蔵庫を開けた。
「とりあえず、これ食ってもう休みな。明日から仕切り直しだ」
チーズケーキだった。公太郎が勤務上がりに好んで食べるものである。
「兄貴、ありがとう」
「おう、頑張れよ」
優しさが沁みたチーズケーキはとてもなく甘く感じた。
*
翌日の朝練で、千宙は一番乗りだった。遅れて二番目にやってきたのは千佳だった。
「あっ、お姉さま……」
「ちかちーおはよー!!」
千宙は大きく元気な声で挨拶して、千佳の手を取った。
「お、お姉さま……?」
「昨日は本当にごめんなさい。私、小森さんにヤキモチ妬いちゃってたんだ。何かちかちーが取られるみたいで嫌だなって思っちゃったんだ」
「へ……?」
少し間が空いたあと、千佳はぷっと吹き出して、あはははと笑い声を上げた。
「わたしは小森さんみたいになりたいと言いましたけど、目指す選手像としてですよ。わたしのお姉さまは根積先輩ただ一人です」
「ちかちー……」
「わたし、たくさんホームランを打ってお姉さまに褒めてもらいたいです」
千佳はそう言うなり、千宙の体を包み込むように抱きしめてきた。
「ちっ、ちち、ちかちー!?」
「わたしもすみませんでした」
昨日のプレーでも感じ取った柔らかい感触がある。どうしてもその辺を意識してしまう千宙の心拍数はどんどん上がっていった。
「ちかちーの気持ちはよくわかったよ……」
と言っても千佳は離そうとしない。
「しばらくこうしていたいです。抱き心地が良すぎるので」
「う、うん。そりゃわかったけど……練習できないからいったん離れよ?」
千佳は名残惜しそうに離れたが、ふと見渡すと他の部員が大勢来ていたから二人して悲鳴を上げた。
「あんたたち、朝っぱらからグラウンドでお熱いことねえ」
美都がニタニタ顔で詰め寄ってくる。他の部員もみんなニタニタしている。
「いや、これはその……」
「お似合いじゃん。もうつきあっちゃえば?」
二人の顔が朝日に負けないほど赤く染まっていく。生徒で恋人どうしになるのは珍しいことではない星花女子においては冗談にはならなかった。
「ちょっと今日は肌寒いからぬくもってただけ! はい練習練習!」
千宙は無理やり言い訳してバッティングマシーンを用意しだしたが、信じる者は誰一人としていないだろう。
「八尋の方は、ぶっちゃけチューのことどう思ってんの?」
「それは……大事なお姉さまですよ」
「ほんとー?」
「ほ、本当です」
千佳の返答はどこか自信なさげだった。