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第二十二話

「フンッ! フンッ!」


 千佳は桜花寮の外でダンベルスクワットをしていた。ルームメイトからフンフンうるさいと苦情を言われたので仕方なく外でやっていた。


 さすがに何の知識も無いままウェイトトレーニングするわけにはいかず、副顧問の田辺大輔に相談したところ、中学生でも適切な負荷をかけて正しい姿勢でやれば問題ないと言ってくれた。それどころから手取り足取りやり方を教えてもらい、さらに理論書を貸してくれるほどの親切ぶりであった。


「よしっ」


 決めたセット数をこなした頃には汗だくになっており、地面には水たまりならぬ汗だまりができていた。失った水分はただちに補給。寮に戻り、すぐに風呂に入って汗を流す。


 風呂から上がった千佳は、姿見の前に立って濡れそぼった肉体を映しだした。


「まっ、そんなにすぐ小森さんみたいにならないよね」


 それでも元々体はピシッと引き締まっている方で、ここからさらに鋼のような肉体に変わっていくのかと思うと楽しみで仕方がなかった。


 風呂の後は夕食だ。亜矢は肉をモリモリ食べて体を作ったらしいが、大輔曰く筋肉作りには糖質も重要で、結局は三食をバランスよく食べるのがベストとのこと。よって千宙お姉さまの実家で毎日焼き鳥はさすがに控えることとなったが、そもそもよくよく考えてみると大人のための居酒屋に中学生が押しかけるのはどうなのかと疑念を抱いたのもあった。


 今日の夕飯にはサラダチキンのチーズ焼きが出ている。千宙が好みそうなメニューである。ご飯はちょっと多めによそい、頂きますと合掌してから食事開始。よく噛むことを意識しながら頂く。


 テレビでは珍しいことに野球中継が流れていた。たいがい夕食の時間帯は地上波の、大して面白くもないバラエティ番組が流れているのに今日に限ってBSの野球中継を映しているが、その理由はすぐに知れた。


『今日はゲストとしてJoKeのお二方に来て頂いておりますが、生で野球を見るのは初めてだそうです。どうですか、球場の雰囲気は?』

『うん、サイコー!』

『画面越しだと伝わらない迫力が感じられて楽しいです』


 バックネット裏のゲスト席にいる蜂谷旬(はちやじゅん)羽村馨(はねむらかおる)がそれぞれ彼女たちらしいコメントをした。中等部生の千佳が高等部三年生の二人を直で見る機会はほとんど無いが、生徒の中にもファンは少なからずいる。


 食堂にはいつもより多い寮生が集まっているが、よく見ると食事が終わっていてもそのまま居続けるのがほとんどであった。野球よりも彼女たち目当てで見ているのは明らかだった。野球に詳しい千佳は試合の方に注目する。


『さて下村さん。この回からクーガーズは茂部(もぶ)投手を投入してきました。今日一軍に上がってきたばかりですがいかかでしょうか』

『うちの母校のかわいい後輩ですからね。絶対活躍しますよ』


 解説がまったく根拠のないことを言うが、この解説はソフトボール部の偉大な先輩、下村紀香の父親の義紀である。高校時代は甲子園のスターで、プロ入り後はキャリアの大半を不人気貧乏球団で過ごしたが引退後はタレント兼解説者として活躍している。しゃべりの上手さには定評があるが解説の仕事も中身はともかくとして、聞かせるものではある。ちなみに星花祭にもバラエティ番組の取材として足を運んで来ていた。星花祭の様子は後日放送される予定だ。


『この回のドルフィンズの先頭は一番の花岡緋馬(はなおかひうま)からです。今日はいいところが全くありません』

『まあ最近調子よくないですからね。出口抜けるまでもうちょっと時間かかるでしょう』


 と言った矢先。花岡選手が初球をとらえて、打球が高い角度で上がっていった。


『レフトに上がった。レフト下がる、レフト下がる、打球は風に乗って!? ああ~っ、そのままスタンド最前列に入りました!』


 めったにホームランが出ない花岡緋馬に一発が出た。ニコニコ笑いながら自分で拍手してダイヤモンドを一周する。スタンドのドルフィンズファンの女性たちが跳ね上がって黄色い声を上げているが、花岡緋馬は童顔で可愛らしく女性人気があった。


「やっぱり、ホームランは花があるなあ」


 亜矢のような豪快なホームランではなかったが、球場を盛り上げるのには十分だった。


『茂部何やってんだよー、チッ……』

『し、下村さん。花岡選手に一発が出ましたが』

『追い風が吹いてますからねー。マグレじゃないですか』


 下村義紀解説者はあからさまに不機嫌になっている。アナウンサーは察したのかそれ以上聞かず、ゲストの方に話を振った。


『蜂谷さん、ホームランが出ましたけどいかかでしたか?』

『ん~よくわかんない。ホームベース踏んだら一点入るんでしょ? わざわざ一周しなくても直接踏んだらよくないスか?』

『ちょっとハチ……』


 音声が不自然に途切れ、アナウンサーは何もなかったかのように実況を再会した。その後スリーアウトチェンジになり、CM前にスポンサーの提供クレジットが読み上げられている最中、音声の切り替えミスがあったのか義紀の声が入ってしまった。


『何だよあの蜂谷とかいうの……』


 食堂の空気が一気に冷えた。この後の様子を想像すると千佳も身が震える思いである。


 *


 食後は宿題をささっと片付け、チルタイムに入った。同じくチルタイムという名前がついたリラクゼーションドリンクを飲みながらスマホを眺めると、案の定、Ytubeに早速「JoKeハチと下村義紀の二重放送事故wwwww」というタイトルのまとめ動画が上がっている。内容は想像できたので見ないことにした。


 動画視聴もそこそこにして、電子書籍の漫画を読みだした。


「マッスルリリー」というタイトルで、その名の通り筋トレを題材にしている。主人公は黒い前髪ぱっつんの可愛らしい顔立ちをしているが、首から下はバキバキに鍛えられている。お嬢様学校で「筋肉同好会」を立ち上げ、たちまちその大きな筋肉で下級生を魅了して入部させ筋トレの道に引きずり込んでいく……というギャグ漫画だ。


 百合要素もたっぷりあり、トレーニング中に鍛え上げられた肉体を誇示するシーンやボディタッチシーン、そして部員どうしがお互いの肉体に惚れてしまいそのまま夜の筋トレ(意味深)に直行するシーンがふんだんに盛り込まれている。その癖、筋トレの内容に関しては専門家の監修つきであり実用性もあるという代物で、百合好き兼筋トレマニアからは好評を得ていた。


 千佳は星花女子に進学してから百合漫画の存在を知った。最初に呼んだのはスール制度がある女子校もので、主人公と先輩である「お姉さま」との関係にドキドキしながらページを進めていったものだった。


 星花女子でも生徒どうしの恋愛は盛んだが、漫画のように純粋でプラトニックな恋愛はなかなか見られるものではない。最終回でようやく、卒業していく先輩とキスを交わしたがそれだけでも心臓が飛び出るほどだった。ソフトボール部には過激な関係を持つ先輩が何人もいるのに、漫画の方がドキドキする。それだけ主人公に感情移入をしていた。


 事実、最初の「お姉さま」が卒業する間近になると最終回のキスシーンで先輩を「お姉さま」に置き換えて妄想することがあり、夢にまで出てきたほどだった。もっとも卒業式当日はハグだけで終わってしまい、今や疎遠になってしまったのだが。


 以来、プラトニックな百合漫画を好んで読んでいたが、「マッスルリリー」はプラトニックとは程遠い内容である。人によっては下品な内容だととらえられるし、以前の千佳であれば見向きもしなかっただろうが、これもウェイトトレーニングに興味を持ち出したからだ。


 さて「マッスルリリー」の最新刊にはなぜか野球をする場面があった。体育の授業の場面、ムキムキの主人公がバットを一振りしたものの空振り。すっぽ抜けたバットがそのまま場外に飛び出して真っ赤な高級スポーツカーに直撃。オーナーの怖いおねーさんが殴り込んできて「弁償しろ!」と当然の要求をしてくるが、いくらお嬢様でも生徒の身で払えるはずがないので「体で払え!」と迫り……と荒唐無稽な展開が繰り広げられるが既刊でも同じような内容である。


 実はオーナーはマッドサイエンティストであり、筋肉のデータを調べるために主人公に数々の非人道的な人体実験を行うのだが、筋肉奴隷にするために高濃度の媚薬を注射して人格を破壊しようとして失敗。拘束を引きちぎった主人公は研究所を怪力で破壊したあげく、マッドサイエンティストに媚薬を注射して快楽漬けにして脱出。まったく非常に馬鹿げた内容である。


 それでも、この主人公を千佳は気に入っていた。


 鍛え上げられた肉体と人外レベルの怪力が、亜矢の姿と重なったからだ。本人にすれば迷惑千万だろうが、どうしてもそう思えてしまうのだ。


 怪力までとはいかなくても、ボールを遥か彼方まで飛ばすほどの力が欲しかった。だがそう心から願うと同時に、後ろめたさのようなものも感じていた。

蜂谷旬と羽村薫(いずれも桜ノ夜月様考案)のキャラをお借りしました。野球好きかどうか知らないけどお仕事ということで


また花岡朱兎先生(芝井流歌様考案)の双子の兄、緋馬選手もお借りしました。非ホームランバッターがここぞというときに打つホームランかせ摂取できない成分があります

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