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第十八話

 星花祭二日目。早朝の学園はさながら嵐の前の静けさといったところで人気が無い。しかしグラウンドには一番乗りではなかった。


「おはようございます、お姉さま!」


 先に石拾いをしていた千佳が作業を中断して、千宙に挨拶した。


「おはよっ、早いねえ。ちゃんと寝れた?」

「ばっちりです!」


 心身ともに元気そうで安心したところで、千宙もバケツを持ってきて石拾いを始めた。


「石ころって拾っても拾ってもどんどん出てくるよね。前から思ってたけど不思議じゃない?」

「本当に、何ででしょう」


 グラウンドは陸上部やラクロス部と兼用で、それぞれの下級生たちもこまめに石拾いをしてくれているはずだがそれでも石が出てくる。石拾いをするたびに「お金がある学校なんだし専用グラウンドを作ってくれてもいいのに」と千宙は心の中で愚痴るが、それでどうかなるわけがないので黙々と石を拾うだけである。


 千宙は外野にあたる場所に移動して石を拾っていく。どういう形かはともかく、自分の出番がきたときに不備が無いようにしなければならない。


 やがて他の部員たちがやってきたが、千宙たちを見て慌てて整備にとりかかった。そこから先はスムーズに作業が進み、開会式までには全ての準備が完了したのだった。


 *


「ただいまより、第67回星花祭二日目を開催いたします」


 生徒会長のアナウンスの後、吹奏楽部がファンファーレを奏で、花火が打ち上がった。出し物を担当する生徒たちは一斉に持ち場につき、客がスタッフの誘導を受けつつ入場してきた。二年前の星花祭で過去最高の入場者数を達成し、昨年さらに記録を更新したが今回も大勢の客入りが見込まれる。それでも入場はスムーズに進んでいるのは、スタッフが修羅場で鍛えられたおかげかもしれない。


 一方、本日立入禁止となっている東門からバスが入ってきた。九段女学院ソフトボール部を乗せたバスである。駐車場に停まり、真っ先に降りたのは小森亜矢であった。


「うお、昨日よりにぎやかだな」


 大勢の観客たちを見回すが、向こうも亜矢たちを物珍しそうに見ていた。


 九段女学院のユニフォームは上下ともに山吹色で、胸に「九段」の黒い文字をあしらっただけの、シンプルではあるが警戒色の色調が目立つ意匠となっている。これを巨体の亜矢が纏っているとなおさら目立つ。


「なんか美味しそうな匂いもするし、ちょっとつまんでこようかなっ」

「こらっ」


 袖を引っ張って注意したのは、亜矢の胸の高さにも届いていないほどかなり小柄な部員だった。


「アンタ、朝ごはんどんぶりで五杯もおかわりしてんのにこれ以上食べてどうすんの?」

「体デカイから燃費悪いんス。仕方ないでしょ」

「あたしが飼ってる犬ですら『待て』でちゃんと我慢できるのよ? アンタは人間なんだからちゃんと我慢なさいな」

「はーい……」


 大きな体が縮こまる。亜矢でも強く言えない相手は10番のユニフォームナンバーをつけている。つまり、キャプテンである。


「さあて、昨日の子たちは出てくるのかしらね」


 九段女学院ソフトボール部キャプテン、大久保朱里はウンと背伸びをすると、部員たちをゾロゾロと引き連れてグラウンドへ向かった。山吹色の集団が二列縦隊で整然と歩くのは傍から見ても圧巻だが、大半の視線は先頭にいる小さな朱里と大きな亜矢、そして一番うしろを歩く監督のローデスに向けられている。


「星花ってかわいい子たちが多くない?」

「うん、美味しそうな屋台がいっぱいだ」

「いい加減食べ物から離れなさい」

「やっぱりりんご飴は王道だな。ああ、お腹空いてきた」

「はあ……」


 大小コンビはまったく噛み合ってない会話を交わすが、朱里が一方的に疲れていた。


 ジャージ姿の星花生が駆け足で寄ってくる。昨日挨拶した折にも見かけた、星花女子学園ソフトボール部のマネージャーだ。


「おはようございます!」


 と元気よく挨拶してきたので、九段側はその倍ほど元気のいい声で「おはようございます!」と返した。


「噂には聞いていたけど、二日目だとこんなに大勢来るのね」

「文化祭での試合は私たちも初めてです。お手柔らかに頼みますね」

「あら? あの人たちは……」


 サングラスにストライプ柄スーツと、カタギとは思えないような服装をしている男性とサイドテールの生徒が、野球帽の男性を交えて何やら話し込んでいる。野球帽はともかく、残り二人は朱里がよく知っている人物であった。


「わ、下村義紀とゆりりんじゃない! バラエティ番組だとよく二人セットで出ている……」

「多分、テレビ撮影の打ち合わせをしているんでしょう」

「テレビ入るの!?」

「うちには百合葉先輩たちのような芸能人がいますからねー。下村さんは仕事ですけど、プライベートで来てる芸能人もちらほらいるって話ですよ」

「へー……」


 同じ女子校でもこれだけ格差があるのか、と朱里は絶句した。九段女学院はソフトボールの強豪校という特徴があるとはいえ、隣の芝生が青く見えるのもあるだろうが、何もかもが負けていると感じた。


 だがその感情はかえって朱里の反骨心に火をつけた。


「面白い。倒しがいがあるじゃない」


 朱里はボソッと呟いた。さらに亜矢の「あのフランクフルトうまそー!」という無邪気な大声がかき消したおかげで、マネージャーに聞かれることはなかった。


 *


「すごい人だ……」


 千宙はグラウンド前に群がる観客を見て、少々げんなりしていた。金網を掴んでサルの鳴き声のようにキャーキャーと甲高い声で騒いでいる生徒がいるが、忍か麗のどちらかのファンと思われた。二人がブルペンで投球練習を行っているのを見て騒いでいたからである。


「去年、下村先輩がいた頃のインターハイ予選決勝戦でもすごい数の客がいましたけど、そのときよりもにぎやかですね……」


 千佳が言う。今回は中高合同のチーム編成なので一緒にベンチ入りしている。


 グラウンドでは九段女学院がシートノックをしている。ローデス監督ではなくコーチが次々とボールを打っているが、選手たちは軽い身のこなしでさばいていく。


 小森亜矢は一塁でノックを受けていたが、大きな体に似合わず動作は俊敏だった。山吹色のユニフォームはパツパツで、おかげで胸の部分が強調されているが、それよりもガッシリとした体全体の方に目がいってしまう。


「小森さん、どんだけ食べて鍛えたらあんな体つきになるのかなあ」


 身長149cmの千宙はため息をついた。


「お姉さまも実家で良いものを食べていらっしゃるのに、どうしてでしょう」

「多分遺伝かなあ、父さんの。父さんの身長、160ぐらいしかないもん」

「え? それだとわたしとあんまり変わりませんけど、そんな風には見えませんでしたよ」

「と、思うじゃん? 実は厨房に踏み台置いてその上に立ってんの」

「ええっ?」

「兄貴は170越えてるんだけどねえ。あと1cm私にくれたらちょうど150cmになるんだけどなあ」

「わたしは、今のままのお姉さまがいいです。その、小動物みたいでかわいいですし……」

「しょっ、小動物!? かわいい!? 変なこと言わないでよ……」


 千宙の顔が火照る。面と向かってかわいい、と言われた記憶がないのでなおさら恥ずかしかった。


『ただいまより、両チームのスターティングメンバーを発表します。先攻、九段女学院……』


 アナウンスが流れ出した。普段の練習試合とは違って今日は放送部がアナウンスをつけることになっており、観客の入りもあってさながら公式戦のようである。


『……二番、ファースト、小森亜矢さん』


「小森さん二番だって。どんなバッティングするの?」

「さあ、ソフトボールをやっているところまでは見たことがありませんから何とも」

「でもあの体格だと当たったら飛びそうだな」


 メジャーリーグでは強打者を二番に置く打順が主流となっている。セイバーメトリクスによるとその方が得点率が高いからだが、野球と似て非なるソフトボールにも当てはまるかどうかはわからない。ただ、亜矢が典型的な二番打者と雰囲気が違うのは確かだった。


 九段女学院のスタメン発表が終わると、次は星花女子の番である。練習試合ではさまざまな打順の組み合わせを試していたが、今回は以下のオーダーで臨む。


 打順 名前(守備位置) 学年 UN 投打


  1  久能佐季(左)  高2 52 右両

  2  久能佑季(右)  高2 25 右両

  3   中尾翠(中)  高1  1  右左

  4  谷木弓月(捕)  高2 10 右右

  5  出浦最上(DP)  高2 24 右右

  6 人吉由美子(一)  高2 14 右右

  7 加瀬みりな(二)  高2  4  右左

  8 吉野さくら(遊)  高2  6  右右

  9  美川理央(三)  高2  5  右左

  FP    東忍(投)  高2 17  右右


 翠以外は全員高等部二年生だが、決して年功序列で選ばれたわけではない。みんな星花女子学園ソフトボール部の躍進に貢献した、下村紀香たちに憧れて入学した実力者たちである。中等部の千佳はともかく、千宙がこの中に割って入るにはまだ壁が高すぎる。


 しかし、今回の試合は一時間の時間制限がある。早いイニングで代走での出番がある可能性が高いので、いつでも出られるよう準備する必要がある。当初の千宙は文化祭の中での試合は乗り気ではなかったものの、大勢の観客を目の当たりにして俄然やる気が出てきた。足をアピールするいい機会だ。


『FPはピッチャー、東さん。ユニフォームナンバー17』


 忍がアナウンスされた途端、悲鳴にも似た甲高い声が上がった。この異様な光景に九段女学院の部員たちは一様に苦笑いしているが、忍はそれを面白がっていた。


「見ろよ! すげー引いてやがる!」

「忍ー、指差すのやめなよ」


 麗が手を引っ込めさせたがファンからはじゃれ合っているように見えたのか、より大きな悲鳴じみた声がした。九段女学院のノッカーは動揺しているのか、打球がちゃんとした方向に飛ばなくなった。


「こんだけファンの声援の後押しがあったら、エエ勝負ができそうやの」


 副顧問の田辺大輔がへっへっへっ、と白い歯を見せる。今日の試合では監督を務め、正顧問の菅野逸枝は離れたところから試合を見守ることになっている。大輔がやたらと上機嫌なのは、メンバー表交換でローデスと握手してもらったからそうである。この手は一生洗わんと冗談を言っていたら、コーチの田辺小雪が冷たい目で睨んでいたのが千宙にとっておかしく、笑いを堪えるのに必死だった。


 曲がりなりにもノックが終わり、午前九時半、いよいよ試合開始である。審判から集合の掛け声があり、ホームベースを挟んで両チームが整列した。


(やっぱりでかいなあ……)


 千宙の目線は否が応でも亜矢の方に向いてしまう。相対しているのは中尾翠で、彼女の身長は160半ばにも関わらず亜矢のせいでかなり小さく見える。


 一方、キャプテンの弓月と相対しているのは同じくキャプテンの大久保朱里だが、こちらも弓月の図体の大きさが際立っているせいでかなり小さく見える。実際、千宙よりも小柄だが、九段女学院の先発はこの大久保朱里だった。


 この体格でどんな球を投げるのか、全く想像ができなかった。


「礼!」


 互いに礼をして、星花女子ナインが各々の守備位置に散らばっていく。


 観客から声援が飛んでいるが、そのほとんどが忍に対するものである。千宙も負けじと大声を張り上げる。声を出すことが今の千宙にできる仕事だ。


「プレイボール!」


 主審が宣告する。忍はサイン交換を終えると投球モーションに入り、第一球目を投じた。


 ゴーッ、という音がしたわけではないが、そう聞こえる程の速球がミットに収まる。ストライクが宣告されると、観客が湧いた。


「今日の東先輩、調子良さそうですね」

「バッターも『こんな球投げんの?』って顔してるよ。ちかちー、もっと声出してあげて」

「はい!」


 声援の後押しを受けた忍は、先頭打者を三球三振でねじ伏せた。最後の球はあからさまな高めのボール球だったが、振ってしまった。


「何だ、案外大したことねえな」


 自信過剰気味の忍は、のっそりとバッターボックスに入ってきた大柄な二番打者に対しても物怖じする様子を見せなかった。

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