第十七話
「おーい、ゲスト連れてきたよー」
座敷席では大勢の女子が串料理を堪能していた。しかし一番奥の上座の席に恰幅のいい、ドレッドヘアの黒人が座っており、くし友名物メニューのひとつであるジャンボ焼き鳥を頬張っていた。
「アヤ、そのコたちダレ?」
「明日の親善試合で対戦する星花女子ソフトボール部の部員さん」
「Really?」
テーブルを囲んでいる一同からもほー、という声が漏れる。
「あの人、うちの監督さん。挨拶してあげて」
亜矢が小声で伝える。確かに威厳があって監督らしいが、外国人というのは珍しい。
千宙と千佳は恐る恐る自己紹介した。
「根積千宙です」
「八尋千佳です」
「ネヅミチヒロとヤヒロチカですネ」
監督は復唱した後に破顔した。威圧感が少し和らぐ。
「ワタシ、九段女学院ソフトボール部で監督やってるタミー・ローデスいいマス」
「……ああっ、もしかして元ソフトボールアメリカ代表のタミー・ローデス!?」
「ハイ、今年から監督デス」
千宙がびっくりするのも無理はない。かつてのソフトボール全米代表の主砲が、日本の学校でソフトボール部の監督を務めているのだ。過去のオリンピックでは打棒をいかんなく見せつけ、日本を苦しめていたことを千宙ははっきりと覚えている。ただあのときと違い、体型がスリムでなくなっていたのでひと目見ただけでローデスとはわからなかった。
「ボス、根積さんはくし友の大将の娘さんで、八尋さんは私の知り合いなんだ」
「オウ! これ、キグウというやつですネ! 二人とも、コッチにきてくだサイ」
ローデスが手招きする。部員たちがじろじろ見てくる中、二人は恐縮しつつ言われた通りにした。
「ササ、お近づきのシルシに一杯ネ」
ローデスはビール瓶を手にした。
「ノー! ノー! ウィーアーマイナー!」
千宙は身振り手振りを交えて、片言の英語で拒絶する。英語の成績は良くないが、常連客のコーウェン教授から"minor"には未成年という意味もあると教えられていたのは覚えていた。
「HAHAHA、間違ったネ!」
今度はコーラ瓶を持つ。くし友ではコーラを瓶で出している。形や色からしてビール瓶と間違えようがないので、ビールを注ごうしたのはジョークだろう。
「お、ちょうど余ってるコップが二つあるな」
亜矢がテーブルの上からコップを取って千宙たちに手渡すと、ローデスはコーラをなみなみと注いだ。
「サア、グイッとどうゾ」
「いただきます……」
千宙は周りに見られながら、元全米代表からお酌をされたものだから若干手が震えたが、千佳と同時に一気飲みした。
「オゥ、良い飲みっぷりですネ!」
ローデスが拍手すると、周りもノッて拍手した。
「ところでヤヒロさん、アヤとドンナ関係ですカ? コレですカ?」
ローデスはニタニタしながら小指を立てた。
「ちっ、違います! まあそのなんというか、小学生の頃に偶然公園で出会って話し相手になったといいますか……」
千佳は言葉を濁しているようである。周りがいる手前話しづらいことがあるのだろう。
「でもあのときの小森さん、わたしより背が小さくて髪型もベリショだったからわかりませんでしたよ」
「八尋さんもあのときは髪の毛を肩まで伸ばしてたよね。私も全然わからなかった」
今の千佳は外はねショートヘアにしている。入学したときからすでにこの髪型だったが、過去を断ち切るためという意味合いで進学を機に切ったのかなあ、と千宙は思った。
ローデスからソフトボールについていろいろ質問されたが、そこへ料理を持ってきたバイト店員が千宙を見つけて「何してんの? お母さんが心配してるよ」と耳打ちしてきた。
「すみません、私たちもご飯の途中なので」
「オゥ、ソーリー。つい話し込んちゃったネ。明日の試合、楽しみにしてますネ」
二人は元の席に戻ろうとしたが、亜矢も途中までついてきた。
「八尋さんが元気そうで本当に良かったよ」
「まさかこんな形で小森さんと会うとは思いませんでした。二年前と全く別人みたいになっちゃってますけど……」
「まっ、みっちり鍛えられたおかげだよ!」
亜矢は胸を張った。それから千宙の両肩をポン、と強く叩いた。
「根積さん。八尋さんのこと、よろしく頼むよ!」
「は、はいっ」
「じゃ、明日ね!」
さわやかな笑顔を振りまいて戻っていく亜矢。ほんの短い間に千佳の過去話、千佳の旧知との再会、元全米代表との出会いと濃密な出来事が重なったせいで千宙の中で整理がつかなくなっているが、まずは千佳の過去についてもう一度聞くことにした。
「やっと戻ってきた。お料理冷めちゃうよ」
一番テーブルの前で初夏が待っていた。
「ごめーん」
「アイスハーブティー作ったから飲んでみて。リラックスできるから」
アイスハーブティーはメニューにはない。気遣いに感謝しつつ、千宙と千佳は一服して食事を再開した。
「小森さんとはどういう経緯で知り合ったの? さっき公園がどうのと言ってたけど」
「わたしが少年野球チームを辞めて精神をやられていた頃、公園で泣いてたら声をかけられたんです」
当時の亜矢は中学ニ年生で、実家近くの区立中学校のソフトボール部に所属していた。しかし体の線が細く背も千佳より頭一つ分小さく、とても運動部には見えなかったという。それでも優しく接してくれて、千佳が自分の境遇を話しても受け止めてくれていた。それから時折公園で会っては話すようになっていた。彼女は千佳にとって唯一の味方だった。
もしも千佳が実家に残っていれば、亜矢のいる区立中学校に進学していただろう。しかし最終的には東京を出ることを選んだ。最後に挨拶に行った折に「大切な人を見つけるんだよ」と言われたことを今でも鮮明に覚えている、と千佳は言った。
「そして見つけたのが前の『お姉さま』でした。でも、今思えば小森さんが最初の『お姉さま』だったのかもしれませんね」
父と母を失って、祖父母からもあまりよく思われていない身にとっては亜矢が姉のように見えたのも道理だろう。
「ちかちーの『お姉さま』にこだわる理由がわかったよ」
「でもこうして昔のことを打ち明けたのは、千宙お姉さまが初めてです。前のお姉さまには一切話したことがありませんから」
それだけ自分が信頼されていることだろうか、と千宙は思う。お姉さまとして千佳の支えにならなくてはいけない、という使命感がにわかに湧き上がってきた。
「ちかちー!」
「は、はいっ」
大声で驚かせてしまったが、千佳の手を取って続けた。
「辛くなったら、いつでも私を頼って。まだまだお姉さまとして未熟かもしれないけど、一緒に乗り越えていこう」
「お姉さま……」
千佳は手を握り返した。熱がこもっていた。
「じゃあ、あとは食べまくろう! 明日に備えてね!」
「はい!」
明るい曲調のポップスが有線放送で流れ、陽気な笑い声に包まれている中で、姉妹はお腹いっぱいになるまで宴を楽しんだのだった。