第十五話
千宙たちは姫沼駅を降りた。九月半ばに入り日が落ちる時間はどんどん早くなっているが、気温と湿度は真夏のそれと変わらず、夕方でも蒸し風呂のようにねっとりとした熱気が体にまとわりつく。早く帰って冷房の恩恵に預かりたいところだが、自宅兼店舗は駅からすぐそこである。
「ここがくし友だよ」
千宙が指し示すと、千佳は「わー、結構大きいですね」と声をあげた。
くし友の玄関には「串焼き」「串揚げ」がと書かれた赤ちょうちんが吊るされており、「おひとりさま大歓迎!」という貼り紙がある。開店時間の午後五時をちょっと過ぎたところだが、すでに客がいるようだ。
「らっしゃっせー!!」
入店すると女性店員が大声で出迎えたが、千宙だとわかると「あっ、千宙ちゃんおかえり!」とフレンドリーな口調に切り替わった。千宙の母親の初夏である。
「母さん、後輩連れてきたよ」
「八尋です。お邪魔します」
「いやいや、お客様なんだからかしこまらなくていいですよー」
カウンター越しではあるが、父の千友と兄の公太郎も千佳に挨拶してきた。
「おー、いらっしゃい! うちの娘が世話んなってます。今日はおごりだから好きなだけ食べていいよー」
「えっ、そんな……」
「ちかちー、遠慮しなくていいから」
「そうそう、娘のバイト代から天引きしとくから」
「ええー!?」
「ハハハ、娘から金取る親がどこにいんだよ」
「もー!」
「母ちゃん、1番に案内したげてー」
あいよー、と初夏が威勢よく返事して、二人を一番奥の半個室席に通した。途中でカウンターの常連客二人連れが「千さん、俺らにもおごってくれよー」と言ったのを聞いたが、「あんたらはいい大人なんだからちゃんと払いなさい」とバッサリ断った。千友と客との軽快なやり取りはいつ見ても面白いし、千友と会話したくてやって来る客もいるほどだ。
席に着くと、初夏はメニューとおしぼりを持ってきた。
「千宙ちゃんも今日はいっぱい食べてよ。明日もあるしね」
「よーし。ちかちー、何からいこう?」
千佳の目はメニューに載っている写真に釘付けになっている。料理名は日本語以外にも英語、簡体字と繁体字、ハングルが併記されている。
「どれも美味しそうで迷いますね……」
「じゃあ、チーズ系はどう? うちは串料理がメインだけど、チーズ料理が結構人気でね、特におすすめはチーズ串10本盛り合わせ」
「それじゃ、それにします。先輩も食べられますか?」
「もちろん!」
千宙はチーズが大好物である。
「あとはチーズ生ハム巻きとカプレーゼ、とりあえずチーズづくしでいきます」
ソフトドリンクの烏龍茶も含めて、それぞれ二人分注文した。
「はーい、少々お待ちくださいねー」
初夏が戻ると、隣の席に外国人客四人連れが座った。半個室は仕切りが低いために顔がよく見える。近くの製紙工場に勤めている馴染みのベトナム人客だ。
「シンチャオー」
「アア、チヒロチャン! キョウ、オキャクサン?」
「友達が食べにきてくれてるの。フックさんは今日仕事帰り?」
「ウン。キョウ、ゲンバトラブルダラケデチカレタ! ビールビール! ヒエテルカー?」
他の三人がフックという男をベトナム語でからかう。
「変な日本語しゃべるなってツッコまれてる」
「え、わかるんですか?」
「何となくね。ウチの店、結構外国人が来るし」
そのきっかけとなったのが製紙工場に勤めている外国人労働者たちである。くし友はどの国の人の舌にも合う料理を出してくれると評判であったが、やがてSNSを通じて口コミが世界に広まっていき、今では日本観光がてらわざわざ立ち寄ってくる観光客や、日本の各地に住んでいる外国人も遠くから駆けつけて一杯飲みに来る程までになった。
「ああ、それでメニューもいろんな言語で書かれてるんですね」
「地方でこんなグローバルな居酒屋はなかなか見かけないと思うよ」
烏龍茶が先に届けられたが、届けにきたのは公太郎だった。
「烏龍茶でーす」
「おっ、兄貴じゃん。わざわざあんがとね」
「ちと時間かかるからこれでも先に食ってな」
烏龍茶と一緒に小皿が置かれる。メニューに載ってない料理だった。
「お、チーズせんべいじゃん。何か入ってるっぽいけど」
「ハーブを入れてみた。まあとりあえず食ってみ」
「わかった。そんじゃ、いただきまーす」
千宙たちは公太郎の言われた通りに食べてみた。パリッとした食感と濃厚なチーズの旨味、ハーブの爽やかな香りがうまくマッチしていた。
「うわ、何これ、めっちゃ美味しい!」
「美味しいですね!」
「おー。他のお客さんにもお通しで出してみたんだが結構評判が良いんだ」
「うん、これマジで美味い。、酒にも合いそうだし」
「お姉さま、まさお酒を飲んだことがあるのですか?」
「あるわけないでしょ。でも合いそうだなってのはわかるもん。父さんや兄貴の美味しい料理を食べて育ってきたからね」
「千宙ー、褒めても何もしてやれんぞー」
公太郎は笑った。フックがスミマセーン、と声をかけてきたので、公太郎は「じゃ、ごゆっくり」と片手をあげると、フックの席に移って注文を聞き出した。料理が来るまで二人はチーズせんべいをゆっくり楽しみながら星花祭について歓談する。男装カフェで失神者が出たとか、二日目の入場チケットがネットオークションに転売されているのを見つけて天寿に対処してもらったとか。有線放送から流れてくる懐メロと程よい感じに酔っ払っている客たちの楽しそうな声をBGMにして、二人は話を弾ませた。
「はーいお待たせしましたー」
今度は初夏が生ハム巻きとカプレーゼを運んできた。生ハム巻きはレタスとチーズを生ハムで巻いたもの、カプレーゼはトマト、チーズ、バジルを交互に盛り付けてオリーブオイルをかけたものである。それぞれ口にした二人は声にならない歓喜の叫びを上げた。
「いやもう、さすが我が家のチーズは天下一品だわ」
「どれも味が濃厚ですよね。もしかして客層のことを考えてでしょうか?」
「どういうこと?」
「さっき、工場勤めのお客さんが多いっておっしゃってたじゃないですか。肉体労働するから塩気のあるものが好まれるのかなと思いまして」
「いやー、鋭いわね八尋さん」
初夏がウンウン、とうなずく仕草をした。
「この辺は昔から製紙工場が多いでしょう? だから工員さんがお仕事を頑張った後に気軽に一杯飲みにこれる店作りを目指してきたの。ただ他にも居酒屋はあるし、みんな同じこと考えてるから競争が激しくてね。それでもこうして繁盛しているのは外国から来た工員さんたちが口コミで広めてくれたおかげなの」
フックたちの席から大きな笑い声がする。
「何だか、雰囲気が暖かくていいですね」
「でしょ? 八尋さんも自分のお家と思ってくつろいでね」
「……」
千佳は突然泣き出した。
「えっ、急にどしたのちかちー!」
本当に突然のことで、千宙はうろたえる。
「すみません……つい家のことを思い出して……」
「あー、寂しかったんだね……」
「思い出させちゃってごめんなさいね」
「いえっ、違うんです。その……」
ドシタノ、とフックが覗き込んできたので、千宙が立ち上がって「ダメダメ!」と制して座らせた。
「ちかちー、もしかして逆に、実家で嫌なことがあった、とか?」
「……」
沈黙は肯定と見ていいだろう。
「話せることなら、話して。私、ちかちーのお姉さまなんだから」
「お、お姉さま?」
初夏が不思議そうに千宙を見た。千佳と「姉妹」関係にあるのを知っているのは公太郎だけだ。
「それは後で説明するから……ねえちかちー、教えてくれるかな?」
「はい、実は……」
千佳はおしぼりで涙を拭いつつ話し始めた。