第十一話
そして夜も更け、いよいよ肝試し大会の時間である。
「悲鳴と嬌声の夜」という別名を持つイベント。今年はかの風紀の鬼軍曹、須賀野守が不在ということで二年越しに愛を深め合おうとするカップルは今か今かと待ちわびており、普通に肝試しを楽しもうとする生徒たちも今か今かと待ちわびていた。その類の生徒に千宙は分類される。
千佳はどっち側なのかまだわからない。先ほどの展望台でオオカミさんになって云々は冗談かもしれないが、ピンク色の雰囲気に飲み込まれて本当にオオカミ化してしまう懸念があった。
千宙はあくまで「姉妹」として仲を深めたいだけであり、体の繋がりを持ちたいなどとは露ほどにも思っていない。ただ、相手がその気になってしまった場合、拒絶してしまうと傷つけはしないだろうかという不安が、闇夜の中を歩く不安よりも先に出ていた。
「36番から42番までのペアは出発してくださーい」
企画委員が呼びだす。
「お姉さま、行きますよ」
「あっ、うん」
自分たちの番号が40番だというのを、千宙はすっかり失念してしまっていた。
「頑張ってこいよー」
美都が見送る。彼女は不参加である。学園を出る前に美都が「別の楽しみ方をする」と言っていたのが気になっていたが、とにかく出発した。
虫の鳴き声に包まれた夜の森。頼りになるのは懐中電灯の光だけである。分岐点に差し掛かったところでご丁寧に「お好きな道へどうぞ……」という文字がおどろおどろしい書体で書かれている看板に出くわした。
「お姉さま、どちらに行きましょう?」
「他のペアと同じところに行こう。そっちの方が安心だし」
「みんなもういませんけど」
「うぇっ!?」
気がついたら二人きりになっていた。今来た道を照らしても誰も来る気配がない。
「神隠し……? いや、まさか……」
「多分、まさかですよ」
よくこんな不気味な森の中でアレなことができるものだと、千宙はある意味感心してしまった。年頃の女子たちの欲望は恐怖に勝るらしい。
「い、行こう」
前に進もうとしたそのときだった。千宙の顔面にべちょっ、とひんやりしたものが当たったのは。
「ぎょええっ!!??」
千宙が飛び退いて、後ろの千佳にぶつかってしまった。
「な、なになになになによ!?」
「お姉さま。落ち着いてください。こんにゃくですよ。肝試し定番のものです」
千佳の懐中電灯が中空を照らすと、灰色の板状の物体が糸で木の枝から吊るされていた。まさしくこんにゃくであった。
「こっ、こんなしょーもないものに……」
妹の前で醜態を晒してしまい、羞恥心に悶そうになる。
「ドンマイですよお姉さま。ゆっくり行きましょう」
千佳は平然としている。
「ちかちーは怖くないの?」
「谷木キャプテンの方が怖いですよ」
「確かに……」
しょっちゅう怒鳴り散らしている鬼キャプテンの姿を思い浮かべる千宙。帰省のためにりんりん学校には来ていないが、来ていれば気を使わなくてはいけないところだった。
千佳に言われた通りゆっくり歩いていると、うめき声のようなものが聞こえてきた。
「ちかちー、聞いた……?」
「聞きました。右手の茂みからですね」
また声がしたが、今度はより大きく、はっきりと聞こえた。
――ナ イ デ…… イ カ ナ イ デ……
生気のない女の声。千宙は身震いした。しかし千佳は茂みへと入っていった。
「ちょっと何してんの!?」
「ははーん、やっぱり。見てくださいお姉さま」
千佳が何かを拾い上げていた。千宙が懐中電灯で照らすと、それは音楽プレーヤーだった。そこから「イカナイデ……イカナイデ……」という音声がループ再生されていたのだ。
「なぁんだ! 仕込みかあ……」
「うふふふ、お姉さまったら本当に怖がりですねえ」
「うっ……」
妹に笑われて、羞恥心かますます掻き立てられてしまう。照れ隠しで「ほら、行くよ!」と少しきつめに言ってしまったが、
「イッチャダメ……」
「え?」
千佳が真顔になる。
「違う声がしましたよね、確か」
「まだどこかに仕込みがあるんじゃないの?」
だが、先程の生気のない声とは何かしら違う。それは茂みのさらに奥側から聞こえてきたが、例によって千佳がその方向に行ったところ、突然踵を返してきた。
「どしたの?」
「お、お、おねーさま……」
うまく言葉を紡げず、暗闇の中を指差すだけである。先程まで平然としていた千佳の目は見開いて、顔に無数の汗の玉が浮かんでいる。
このとき、千宙は仕込みだと完全に決めてかかっており、仕込みに驚かされ続けた恥を雪ぐために今度は自ら正体を確かめようとして奥に向かっていった。
そして、千宙は見てしまった。
忍と麗。さくらとみりなに久能姉妹。みんな揃ってプロレスごっこ。
などという謎の五七五七七調キーワードが思い浮かんでくるほど、千宙の頭の中で大混乱の嵐が起きた。
ここでソフトボール部のカップルたちが集団で、諸事情により描写できないことをしていたのである。
しかも他に見知らぬカップルたちまでいる。漆黒の空間中、この一帯だけはピンク色に包まれていた。
ある程度耐性ができているとは思っていたが、それ以上の凄まじい光景に立ちすくむ千宙。そして不幸にも忍と目が合ってしまった。彼女は一糸まとわぬ姿で麗に組み敷かれ、普段の野獣めいた顔つきがトロントロンになっていた。
「おう、お前も混ざるか……?」
舌なめずりしながらいやらしく手招きする。しかし千宙は逃げ出してしまった。
「ひいいいお楽しみ中失礼しましたあああ!!」
「お姉さまっ!?」
千佳の手を引いて猛ダッシュで逃走。途中でお化け役らしき生徒が脅かしにきたが全く目に入らず、気がつけばゴール地点に到達していた。
「お疲れさまでした……って大丈夫ですか!?」
企画委員に心配される程、二人は汗ビショビショで息も絶え絶えになっていた。その場で麦茶をもらって水分補給したが、二人とも心ここにあらずで無言のままホテルに戻った。
「よしっ、帰ってきたー! これで取り返したぞ!」
出迎えた美都がガッツポーズをする。
「な、何……? 取り返したって……」
我に返った千宙が聞いた。
「今ね、ペアがちゃんと時間内に帰ってくるかこないかで賭けしてんの。チューとちかちーのペアは帰ってこない方に賭けるのが結構いたけど、私は逆張りしてやった。いやー、二人を信じてよかった! 今までの負けがチャラになったよ!」
「な、何て奴だ……私とちかちーがどえろ……じゃなかったどえらい目に遭ったってのに」
「ま、その様子じゃ見ちゃったみたいだね。今日はちゃんと寝れるかな? ひひひ」
「ひひひじゃないよ! 行こ、ちかちー!」
落ち着いたところで、賭け事の対象にされたことへの怒りがふつふつと沸いてきたが、冷たいものを食べて体と頭を冷やすことにした。ロビーにはアイスクリームの自販機があり、千宙は千佳にミントアイスを奢った。
「オオカミさんになっちゃうかも、なんて軽く言っちゃいましたけど、あんな集団になってアレしてたら逆に引きますね……」
「うん、見なかったことにしよう。後で風呂に入り直そ……」
「悲鳴と嬌声の夜」の恐ろしさを十分に堪能した「姉妹」であった。