第十話
「なっ、中尾さんいつの間に……!?」
「ずっと前から川のそばにいた。人の気配がしたんで四阿を見てみたら君たちがいた」
翠はロボットめいた平坦な口調で話した。手にはバットを持っている。
千佳はすっかり寝入っており、起きようとする素振りすらない。
「撮るなら私を撮れ」
「えっ、ええっ?」
部の記念撮影でも仏頂面を貫くほどだったので写真嫌いだと思っていたから、想定外のお申し出だった。
「まあ、いいけど……」
スマホを向けようとすると「私の顔じゃない」としかめっ面で言われた。
「打撃フォームの確認をしたい。動画を撮ってくれ」
果敢に次の塁を狙う勇気がある千宙でも、「りんりん学校だから部活のことなんか忘れようよ」と面と向かって言えなかった。
「わ、わかった……」
二人は千佳を置いて四阿から出た。
翠は二回ほど軽く素振りしてからバットを構えた。
「じゃあ、撮るよ」
千宙はカメラアプリの録画ボタンを押した。ピコン、と音が鳴って10秒以上経っても、翠は微動だにしない。どうしたの? と声をかけることはおろか、咳一つすら許されない空気を漂わせている。
(しかしいつ見ても綺麗な構えだなあ)
スタンスは肩幅より少し広めに取り、脇を締めて膝を軽く曲げる。基本に忠実なフォームで、そのままソフトボールに教科書に乗せても良いぐらいだ。
「フッ!」
翠は何の前触れもなくバットを鋭く振った。ピュン、と風を切る音がした。もう一度振る。全く動きに無駄がない。
「撮れたか?」
「え、もう終わり?」
千宙は録画を止めた。早速翠に動画を見せる。
「めっちゃいい……と思うけど、どう?」
「……」
翠は黙って繰り返し繰り返し自分のフォームを見直し続ける。
「あ、あのー……自分ではどう思う?」
沈黙に耐えかねた千宙が聞いた。すると翠はニタァ、と口角を上げた。
千宙は入学以来、翠の笑顔を一切見たことがない。それ故にいきなり笑みを見せられてビックリしたが、笑い方が正直気持ち悪かったので余計だった。
「ふ、ふふふ……いいぞ……理想のフォームまでもう少しだ……もっともっと地球の中心との繋がりを強くせねば……」
「ごっ、ごめん! また後にして!」
言動に危険性を感じた千宙はスマホをしまい、四阿で寝ていた千佳を起こした。
「ちかちー、行くよ!」
「うん……もう10分ですか……ってうえええっ!?」
千佳の寝ぼけ眼が一気に見開いた。翠の気色悪いニヤニヤ顔が目覚ましになってしまった。
「見ちゃダメだって。さっさと行こう」
「は、はい」
二人はバットを持ったままニヤついている翠の横を駆け出していった。後ろから襲ってくるんじゃないかと恐怖心を抱いていたが、途中で大勢の生徒たちが別ルートからやって来るのを見てようやく安堵した。
「一番乗りかと思いましたけど、みんな上るの早いですね。それにしても中尾先輩、あんな笑い方するなんて……」
「見なかったことにしよう。そうしよう」
二人は自然と大股歩きになった。
やがて山頂にある展望台に着いた。海の遠景はもちろん、日本一を誇る大霊峰の雄壮な姿もよく見える。見事な絶景ぶりに疲れが一気に吹っ飛んだ。
千宙と千佳は失った水分をスポーツドリンクでしっかり補い、息が整ったところでこの後のことについて話を始めた。
「お姉さま、今夜の肝試し大会の参加者はペアを組むのはご存知ですよね?」
「わかってる。ちかちーと一緒に参加するよ」
肝試し大会の裏の顔を知って、参加しようかどうか迷っていたが、結局参加を選んだ。
「一応聞くけど、肝試し大会のアレ、知ってるよね?」
「『悲鳴と嬌声の夜』ですよね。もちろん知っています。きっとあちこちであつーい光景が見られるんでしょうね。もしかしたらわたしもオオカミさんになってお姉さまのことを……」
千宙はスマホを取り出して、不意打ちで千佳の画像を撮った。
「えっ、急に何を?」
「ちかちー、さっきの中尾さんみたいな顔になってたよ」
撮れたての画像を見せると、千佳は軽く悲鳴を上げた。
「もー、お姉さまったらいじわる!」
ぶんむくれる千佳。その顔はオオカミからは程遠いもので、ムスッとしたウサギのようであった。




