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王者

「正義のラティヴァは君か⁉」

「ああ? ちげぇよ」


 しかし、振り返りもせずに一蹴した。

 そのあまりの堂々とした否定ぶりに青年は思わずたじろぎ、信じてしまう。


「そ、そうか……すまなかった」

「おう、気にすんな。どっか行け」

「ああ……邪魔をした」


 雑に手を仰がれて帰るように催促され、青年は申し訳なさそうにドアに手を掛ける。

 しかし、開ける直前、ん? 首を傾げ、もう一度男の方を見る。

 そして、目を剥く。


「いや! 間違いなく君だ! その容貌は聞いた話と相違いない!」

「聞いた、ね……人違いだろ。俺みたいなやつはスラムによくいるぜー—ああん?」

 

 詰め寄ってきた青年に面倒くさそうに胡乱げな目を向ける。

 その姿に一瞬、目を見開き、そして何処か疲れたように伏せた。


「……なんでお前みたいなやつがこんな場所にいる」

「認めるんだな?」

「……どうやって知った。いくら勇者サマでも簡単に調べられないと思うが?」


 そう、目の前にいる肩を怒らせ、その美しい白銀髪を逆立てる青年は勇者だった。


 正式名称、王者一族。

 世代を経るごとに力を培い、次の世代に譲る特殊な異能を持つ無限に成長する一族だ。

 天魔覇者と呼ばれる、天より舞い降り堕落した天使たちの長であり、数千年に渡り、人間との間に因縁を持つ存在を打倒すべく立ち上がり、聖者ギリフェン教の信仰の対象となっている。


 これまで天魔覇者の眷属、天魔を十体倒しきり、人々に希望と平和を与え続け、正に平和と希望の象徴。絶対的な正義なのだ。

 ——たった一人で。


「ご先祖に【嫉妬】系統に秀でた方がいらっしゃってね。お力をお借りして、教皇に尋問したんだよ」

「はっ、怖いもの知らずだな。いくら勇者サマでもちょっとまずいんじゃねぇか?」

「……彼らが僕を害することは決してない」

「……羨ましいねぇ」

 

 何処か複雑そうに言う青年に男は揶揄うように鼻で笑う。

 そんな男に青年は僅かに眉を寄せるが、気を取り直すように息を吐いた。


「君には僕のことは分からないさ。そんなことより……」

「そんなことより教皇にはどこまで聞いた」

「……君の所在だけだ。どれだけ調べても他の誰も知らなかったよ。どういうことだ」


 遮るように尋ねられ、少し不満そうに答える。


「ならいい。それで? 教皇を洗脳してまで手に入れた情報で俺に何の用だ? そもそもどうやって俺を知った?」

「その言い方は気に食わないが……これだ」


 不本意そうに勇者が胸元から取り出したのは、一枚の手紙と半ばまで焼けた記録のエンブレムだった。

 

 エンブレム。

 この世界の三大発明のうちの一つ。

 全ての種族に発現する異能力を必要としない文様ととある鉱石から絞り出した液体を用いることで特殊な効果を発揮する道具だ。

 記録のエンブレムは基礎となる文様に、記録となる文様を書き込むことで成り立つのだが、このエンブレムは半分ほど焼け落ちている。


「———」


 それを見た瞬間、酒を飲む手を男はピタリと止めた。

 縫い付けられたようにそれらから目を離さず、心ここにあらずと言ったように口を開いた。


「……どこで見つけた」

「最後の天魔、欺瞞のピジャデテの宮殿だ。あいつの寝室のベットの下にこのエンブレム、謁見室に隠すように置かれていたのが、この君宛ての手紙だ」

「……中身は」

「流石に見てないさ。君への文のようだったからね」

 

 顔に影を落とし、無感情に尋ねる男。聞く者が聞けば、その冷たさに背筋を凍えさせるだろう。しかし、勇者は意に介すこともなく、寧ろ肩の震えを激しくさせていた。

 勇者は男が質問ばかりで理解していないことについにその怒りをぶつける。


「……あいつら、ミスしやがって——」

「君は!」

「——ッ」


 勇者は何やら呟いた男の持っていた盃を奪い取り、自らの前に叩きつけるように置いた。

 中の酒が勇者の手にかかり、濡れる。

 そこまでしてようやく男の視線が勇者に向く。


「君は、自分が何をしたのか理解してないのか⁉」

「何がだ……」

「天魔宮は人類不到の禁足地だ! 王者一族である僕しか足を踏み入れることを許していない! 危険だからだ! 常人が足を踏み入れれば天魔が決して生きて返さない、そんな場所だ!」

「だから何だ。手紙があったからって俺が関わってるとは限らないだろ」


 憤り怒号を上げる勇者に感情の見えない男の言葉が降りかかる。

 その冷静で反省の色の見えない男の態度に勇者は増々青筋を立てる。


「いい加減にしろ! この手紙は尋常じゃない程の厚いフェイクが施されていたッ! 色欲系統の能力で瓦礫に変身させた上で! これほどまでしていたんだぞ⁉ 中身を見ずとも持ち主と深い関りがあったと分かる!」

「はっ……流石勇者サマだな。人の隠し事も正義のためなら暴いていいとは。感激だぜ」

「——ッ貴様!」


 勇者は嘲るように皮肉気に笑って冷やかす男に怒りを抑えきれずに掴みかかる。

 胸倉を掴み、凄まじい剣幕で歯を食いしばって顔を赤くする。


「取り消せッ。僕は世界と人々のために戦っているんだ! 君たちの行為は世界の平和と平穏を揺るがしかねない! このことが知られれば、天魔覇者の領域とのつながりを普段以上に感じることになる! そうなれば、民が安心して眠れない!」

「お前ありきの平和か。まだ早いんじゃないか? 天魔覇者は生きてるぞ? それに殺しても記憶を継いで蘇る。暢気すぎだとは思わねぇの?」

「本望さ。人々は僕を信じてくれている。僕が必ず天魔覇者を倒す未来を! 天魔覇者に泣く人々はもういなくなる!」

 

 声に乗る決意と信念。それが彼が間違いなく世を憂い、人を思う本物の勇者であることを示していた。

 男もそれを肌で感じる。勇者から放たれる覇気が否応なく。


「それでも君は、未だ己の過ちを認めないのか!」

 

 それでも男は。


「ああ、認めないね。絶対に」

 

 決して勇者の言葉を認めはしなかった。

 不敵な笑みを浮かべて、真っ直ぐに見据える隻眼が異様な眼光を放ち、勇者を怯ませる。

 その際、顏を手で覆った。

 瞬間、勇者は訝し気に眉を寄せた。


(この男が飲んでいたのは……酒、じゃなくて水……?)

 

 手にかかっていた液体の匂いを嗅いでしまい、その事実に気づく。

 ハッと男を見ると、何処か疲れたような顔を浮かべていた。


「悪いことは言わねぇ。お前が人を本気で思ってんのはわかった。だったらこのことは忘れろや。本気で隠していることだってわかるだろ?」

「——ッそれは……教皇以外、君の情報を持つ者はいなかった。それはつまり君は、いや君たちは———」

「そうだ。戸籍や記録からも正式に抹消されている」

「何故だ⁉ 教会は人種に関わらず、信者の人権を広く認めている! 本当はここにいる人々だって……ッ」


 勇者は初めて知る世界に慟哭した。

 自分がいれば人々は幸せに暮らせると本気で思い、そのために戦い続けてきた。実際、多くの面でその通りだった。

 しかし、


「お前が知らない世界があるってことさ。そしてそれはお前が知る必要のない世界だ。いや、知るべきじゃない世界だ」

「……それは、汚い現実を隠して他の大勢を守るためか」

「案外はっきり言うじゃねぇか。ま、そういうことだ」

 

 意外そうに笑う男を前に、勇者は歯を食いしばる。


 男の言うことが正しいことは、わかる。さっき自分で言ったことだ。少しでも今の現実が歪むことがあれば、それが勇者である自分に関係していたら、今の世界は保てないだろう。

 このまま見てみぬ振りをして何もなかったことにして帰ればいい。

 しかし、勇者は絞り出すように口を開いた。


「でも、それは……卑怯だ……!」

「……」

「僕は勇者だ。たった一人ででも全ての人を守り、幸せにする義務があるッ。例外はあってはいけない! だから頼む! 教えてくれないかッ!」

 

 男は、小さく頭を下げる勇者に瞠目し、そして、悲し気に目を伏せた。

 どこの誰ともしれない男に、頭を下げ、勇者としての責を全うしようとするその姿はやはりどこまでも勇者だった。

 しかし、男はそんな勇者の肩に手を乗せた。


「お前は何だ」

「それはもちろん勇者だ」


 迷いなく断言する勇者。


「だったら、お前がしなければならないことは何だ」

「は?」

「行政改革なんてお前でなくともできる。それこそお前の一言で何とでもなるさ。だったらお前がすべきことは何だ」

「それは、天魔覇者を倒すことだ。天魔覇者を倒し、人々に真の平和をもたらすことだ」

「だったらこんなとこでよくわからんやつに関わってんじゃねぇよ」


 呆れたように勇者を見る目は何処か遠い場所を見ているようで、勇者は不思議そうに片眉を上げる。


「こんな場所で水を飲んでいたことといい、君は一体……」

「ここが好きなんだ。お前には関係ないだろ」

「思い入れのある場所なのか? それはすまな——」

「はいはい、もういいだろ? 酔いがさめるだろ」


 男は訝し気な勇者に困ったように頭を掻く。

 行った行ったとばかりに出口に納得のいっていない勇者を押す男。

 勇者は強引さに動揺しながら、押されるがままに出口に向かってしまう。


「い、いやしかし! 君たちが天魔宮に行った件が……!」

「ああ、ハイハイ! もう行かないし、行かせないから! 帰れ帰れ。帰って天魔覇者をしばいてこいや」

「認めるんだな⁉ 行ったことを認めるんだな⁉」

「もうそれでいいから、もう二度とくんな」

「ま、待て! 最後にこれだけは聞かせてくれ!」


 今まさに外に放り出されそうになった時、勇者はドアにしがみついて必死な形相で男に問う。


「君たちは、何のために天魔宮に行ったんだ⁉」

「———」


 その、勇者としての問いに男は。


「愛する、家族のためだ」


 決して酔っているようには見えない、真っ直ぐで熱い隻眼を揺らしていた。

 勇者はその姿に、脳裏に閃光が弾けるような感覚を感じていた。

 脳裏に過る、一人の少年の双眸。

 ずっと幼い時の記憶。

 いつの間にか消え去っていた、勇者としての決意をするきっかけ。


「あ、あなたは……あの時の……」

「あん? ああ、教皇の記憶封印が外れちまったのか。流石勇者サマだ」

 

 呆然と呟く勇者に不思議そうにする男だが、、思い当たる節があったのかすぐに納得したように頷いた。

 一方勇者はそうはいかないようで、混乱している。


「なぜ、僕は今まで……」

「俺達は……いやそうだな。その手紙とエンブレムはお前にやるよ」

「え……? なぜ、突然……」


 先ほどとは打って変わって、真逆のことを言い出した男に勇者は増々瞠目する。

 そんな勇者に男は、少し考えるそぶりを見せて、ポンと頭に手を乗せた。


「———ッ」

「あの時のガキが……ったく」

「⁉ ⁉」

 

 突然の行為に目を回す勇者の頭を抑えつけるように男は撫でまわす。


「いいか、よく聞け。今のお前はひっじょうに危ない立場にある。知ってはいけないことを知ろうとしている。何より教皇をヤっちまってる」

「いや、ヤってはない」

「何より、俺達のことを思い出しちまったお前はもっと深くまで知ろうとしちまうだろう」

「……否定はできない。詳しくはわからないが、まさか僕以外に……」

「何を知ってもお前は王者一族だ。知らない方がよかっただろうが、もやもやしたまま負けても困る。教会が世継ぎもいない内にお前を殺すとは思えないが、今もうお前が選べ」


 勇者に突きつけられる選択肢。

 これまで通り勇者を全うするか、忠告を無視して知るか。

 吉と出るか凶と出るかは本人ですらわからない。

 知ろうと思っていたことを知れるとなると、そのリスクが過る。民に余計な不安を与えるきっかけを生むかもしれない。

 深く悩む勇者に男は背を押した。


「今なら、お前は大丈夫だ。何もせずにその手紙とエンブレムだけ読んで、知れ。そうすれば何も問題ねぇ」

「それは、どういうことだ……?」

「いいから。ぶっっちゃけ、お前に知ってほしいんだ。誰も知らないってのは寂しいから……」

 

 首に手を回し、淋しそうに笑う男の姿に勇者は目を見開いた。


「さみ、しい……」

「ああ、淋しいんだ……せめてお前だけでも覚えていてくれ」


 男は、小さく笑ってそういうと勇者ではなく、自分が店の外に出た。


「え、なにを……?」

「読むならそこで読め。そこは……もう誰も来ねぇから」


 男は悲し気に口角を上げて、背を向けた。


「ま、待ってくれ! まだ——」


 止める声を聞かずに、無計画な建物の間を進んでいってしまう。

 そして、肩越しに振り返り、不敵な笑みを浮かべた。


「お前は勇者だ。頼んだぜ、全部」

「……はい」


 その無責任ともとれる頼みを、勇者は迷いなく頷いた。

 勇者としての責任と誇り。

 決して人々に不安な思いはさせない。それが一番だから。

 男の姿が消え、伽藍堂とした店内に1人煌びやかな格好の青年が佇む。

 その手には変わらず手紙と焼けたエンブレムが残っていた。

 勇者はドアを閉め、手紙を開いた。

 そこには———


「これは、ラブレター……?」

 

『拝啓 ラティ

本当はダメなんだろうなぁ、君は怒るんだろうなーとちょっとびくびくしながら、気づけば筆を取っていました。

これから書くのは、記録でも思い出でもない、ただ私が今思うこと。

今だからこそ、何も恐れず書いちゃおうと思えることがあります。

万が一ラティ以外の誰かが読むことがあったのなら、恥ずかしいから誰にも言わないでね。

——長い、そして、とても短く幸せで、不幸で悲しくて、楽しかった人生がもうすぐ終わります。

苦しかった。辛かった。痛かった。ただ、不幸だった。

人としての権利すらも奪われて、道具のように生きてきた人生。

ただ、人のために。世界のために。

私達を裏切り、捨て、忘れ、利用してきた人類のために。

今更恨みはないけど、虚しかった。

誰に悟られず、誰にも気づかれず、誰にも褒められず、誰にも称えられず、それでも私達は世界のために戦っている。どんなに戦っても誰の記憶にも記録にも残らない、幽霊。

悲しい。

淋しい。

皆に認められたい。

皆に認められる勇者が憎い。

でもいいの、私達は私達だけが知っていて、支え合って、褒め合って、助け合って生きていければ、それでいいから。

それが幸せだから。

そう思えるようになったのは、最後の一年、貴方に出会えたからだよ。

最初はうっとおしいくらい自信に満ちてて、空気読めないなーって思ってたけど、その勇気と私達に向けてくれる不器用な愛が初めて嬉しかったよ。

まるでみんな家族みたいに……先頭切手戦って、誰よりも傷ついて、私達を守ってくれたね。

全てを失った私達が、食卓を囲んで、家族みたいに……幸せでした。

貴方のおかげで、誰よりも幸福な人生でした。そう思える最後だった。

知っての通りまどろっこしいのは嫌いなので、いきなり言っちゃうね……って全然いきなりじゃないね。悪い癖だ。また君に怒られちゃうね。

じゃあ今度こそ———貴方が好きです。大好き。

貴方がこっそり夜に私だけに作ってくれたココア……また飲みたいな。

                                 魔喰らいのベル』


———。


 全てを読み終えた勇者は。


「魔喰らいのベル……酷い、こんな人生を……もしかして、もう……」


 その予感に、勇者は体の震えを押さえることができなかった。

 その時、勇者の手からエンブレムが落ち、そして光を放った。


「———ッ」


 もう起動しないと思っていたエンブレムが、隠された秘密を映し出した。


「第二百九十九回隊、王者一族支援部隊……今日からお前達は世界の奴隷だ」



……。


 一人の隻腕の男が真っ青に晴れた青空の下、荒地に一人ポツンと立つ墓の前で花束を抱えていた。


「遅れて悪い。リンリン、お前ら」


 名を、ラティヴァという。


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