第22話 フジきゅん
俺は2部の衣装(ピンクのTシャツとジーンズ)に着替え、水分を取ったり唇をプルプル鳴らしたりしていた。
男子の中でも何人かはステージの演技やイベントに借り出されるため、その人たちは別の衣装や小物を用意している。
うーん、今更だけど自分も何かしらやっておけばよかったかも…口には出さないけどちょっと悔しいかも。
イヤイヤ言ってたわりにいざ全くステージ前に出なくなったと決まったら羨ましがる、こういう「あとから色々言う」男は嫌われるので気をつけましょう。
苦笑しながら周りを見回していると、ふとステージ用衣装の準備をしている藤原船治さんに目が行った。
チューバという大きく重たい楽器担当でありながら華奢で中性的な顔立ちの彼は、ピンク色のTシャツを着ているのもあってか一見女子のようで俺は数秒「ほぅ」と見惚れてたが、すぐに我に返り「藤原さんは男、藤原さんは男」と自分はそっちの気は無いことを自分に言い聞かせていた。
それくらい彼は中性的なのだ。
…
「…ひっ…ひっ…ひぎゃああああああああああああああああ!!!う、フジきゅんかっわうぃいいいいいいいいいい!!!」
「アヤ落ち着いて!これから第二部始まるのに指揮者が興奮してどーすんの!」
「だってぇ、ピンク色のTシャツ着てるフジきゅん、もうほぼ女子なんだもん!」
「ゲネプロん時も見てたでしょ、しかもそんな風に言ったら藤原君かわいそうでしょ!!!」
3年生徒指揮者のアヤさんはチューニングのために女子控え室に入ってきたコージさんを見て興奮し、周りに取り押さえられていた。
一方コージさんはいつものことと思いながら苦笑いしており、周りの女子からの「でもやっぱかわいいよね、ずるい」、「アヤの気持ちは多少わかる」、「はい尊い」等々のヒソヒソ話が耳に入っても特に怒ることなく楽器の準備を始めた。
こんなことになっても他の男子が嫌味のひとつでも言ってこないのはコージさんの人柄の良さなのかな?または完全にアヤさんの被害者として見ており哀れんでいるせいなのかな?
俺は正直あんなに好き好き言ってもらえるのはちょっと羨ましいw
「藤原ぁ、一回ちゃんとアヤのこと怒ってもいいと思うぞ?」
「あ、はは…でも別に悪口言われてるわけじゃないですしねぇ」
苦笑いしかしないコージに吹奏楽部部長兼低音パートリーダーの松永真奈美さんはイライラしだし、
「だーぁから悪口ではないかもしんないけど、男としてそれでいいのかって毎回言ってるでしょうが!!!!!」
「いやまぁ、ハハ」
「ちょっとマナミ!フジきゅんを怒らないでよ!あと私はフジきゅんバカにしてる気なんて全く無いんですからね!」
アヤさんとマナミさんは睨み合いその間でコージさんがアワアワしているのはいつもの光景なのだが、いくらなんでも今はタイミングが悪すぎる、あと10分で第二部開演ですから。
「おおお前らもうすぐ第二部始まるってぇのに、なーにやってんだあああああ!!!部長と3年生徒指揮がそんなんでどーすんの!!!」
シオさんが絶えかねて2人を怒鳴ると、2人とも我に帰りいそいそとチューニングの準備に戻っていった。
ちなみにこの流れはいつもどおりで、アヤさんはかわいいフジきゅんが大好き、マナミさんは低音パートの男子としてもう少しコージさんにしっかりしてほしいと思っており、しょっちゅうコージさんのことで言い争ってしまうのだ。
そしてそれを見かねてシオさんが注意するパターン、誰が部長かわかりませんね。
「はいほら、藤原君もヘラヘラしてないでチューニングの準備する!」
シオさんはコージさんのお尻をバンッと叩いて気合を入れると、コージさんは「セクハラですよ~」といいながら準備を始めた。
やれやれ、という表情でペットパートの方へ戻っていくとカナが「お母さ~ん」みたいな雰囲気を出しながらシオさんのほうに向かってくるので、キッと睨んでやると「お母さんが怒ったぁ~」みたいな雰囲気を出しながら戻ってきた。
私お母さんって言われるような歳じゃないし!
…
各パートチューニングなど終えるのを確認すると、マナミさんが手をパンパンと叩き、全員の前にアヤさんが立ち全体チューニングを始めた。
本番なのであまり細かいことはやらず、簡単な確認程度。
チューニングが終わってアヤがふぅ、と一息つくと、
「さっきは取り乱してごめんなさい。本番はちゃんとやります。さ、楽しんでやりましょう!」
さっきとは全然違う凛とした表情でそう言うと全体の雰囲気が引き締まり、第二部開演5分前の合図が鳴ると、全員スイッチが入った。
この部活スイッチ入らないとやべーヤツ多くね!?
「はい、じゃあステージ入るパートから舞台袖に向かって!舞台袖で楽しみにしてるぞ?」
第二部は指揮はアヤさんが全て担当、生徒だけで行うので、顧問の中井口生はおどけながら言った。
第二部、太河ドラマテーマ特集、吹奏楽未経験の一般のお客さんが最も親しみやすく、目でも耳でも掴みがいい(ハズの)第二部の開演だ。
…
「みなさんこんにちは!本日は我々福浦西高校吹奏楽部の定期演奏会にお越しいただき、ありがとうございます。さてこれから始まる第二部ですが、皆さんの中でも見ている方は多いのではないでしょうか?JFK(ジャパン放送協会)太河ドラマのテーマ特集をお送りします!」
「まずは「真田虫」、続きまして「龍馬、で~ん」をお聞きください」
司会担当の部員はステージ前でそうしゃべり、指揮者のアヤさんが入場して拍手が起こっている間に自分の席に戻っていった。
アヤさんが客席に向かって一礼、部員のほうを向いて指揮を振り始めると、「真田虫」のメインテーマが始まった。
大坂の陣において豊臣方の真田が、徳川方の兵たちに真田虫を寄生させて動けなくしようとする作戦を行う本作。
ゆったりと荘厳に、しかし緊張感のある旋律が心地よい曲。
ステージ前には真田、豊臣役の部員が真田虫に見立てた紐を持ちながら踊っている。
中盤暗い曲調になると状況は一変、真田虫を入れていた瓶が無くなってしまった。
「ちょ、おま、真田!お前どうすんだよ」
「あーヤバイっすねー、非常にヤバイ」
「ちゃんと管理しないと…豊臣方でパンデミックだよ、パンデミック!」
「あ!あった!掛け軸の後ろに隠してたんだったですわ」
「よかったー」
曲は最後の盛り上がり、真田は瓶を持って徳川方に走り出す。
盛り上がりにペットパートも参加し、しかし対旋律のため目立ちすぎないよう1stパートの俺は気をつける。
クライマックス、曲の盛り上がりはピークに!
「おい真田、その瓶俺の水飴の瓶!」
「ファッ!?」
曲が終わった瞬間暗転、次の曲の準備に入る。
ステージが明るくなり、アヤさんがまた指揮棒を振り上げると、二曲目「龍馬、で~ん」が始まった。
この曲は全体的に荒々しい曲だが、最初は女性ボーカルが静かな低音の上に乗る。
曲調からしてトランペットは結構活躍するので、目を合わせるわけではないが、同じ1stのミズホさんを目の端っこで捉えながら呼吸を合わせ、旋律は続いていく。
俺は自分に酔いそうになりながらも、たまに見えるアヤさんの鋭い目で我に返りながら何とか中盤まで来た。
ステージ前では龍馬役の男子部員が一心不乱に社長同盟の斡旋をしている演技。
あれが目に入ってしまうと笑ってしまいそうになるため、なるべく見ないようにしながら、クライマックスに向けて楽器を構えた。
吹く前に一瞬隣のミズホさんと目が合うと、にっこりと微笑んでくれた。
こういう掛け合いってぇのは、なんか愛の共同作業っぽくていいよね!
ミズホさんと俺、自分の音に自信を持っていないもの同士の旋律の掛け合い、もう少しで終わる、終わっちゃう。
ミズホさんとマンツーマンで練習したあの(幸せな)日々を思い出しながら、クライマックスに向けてブレス。
少し不安定な音でミズホさんが吹き始めるのを聴いて、俺はその旋律に重なろうと…シューーーんんんエエエエエーイ!!!
やってしまった、吹き始めが音にならなかったばかりかそれにびっくりして音を強引に不自然に鳴らしてしまった…。
一気に体温が上がり、イヤな汗が流れ始める。
いろんなことを考えていると目の前がグルグルと。
我を失いかけたとき、指揮者のアヤさんがこっちを見ながら「落ち着け」と口パクで言っているのが見え、どうにか我に返り、掛け合いに戻っていった。
龍馬が同盟を成立させニコニコしながら喜んでいる演技とともに曲はゆっくり終了、暗転。
暗転中息を整えていると席交代。
俺は引き続き1stで、今度はミズホさんに代わってユリが俺の隣に来た。
暗がりの中、ジト目で「落ち着け」と口パクで言っているユリを見て、苦笑い。
でもミスって落ち込んでる気分がちょっと楽になった。
再び司会が出てきて次の四曲、「き、き、麒麟がくる」「平清盛」「海老天に(レモンを)付け」、「軍師 Can Do」の曲紹介をしている。
息が整った頃には司会が終わり、もうアヤさんが指揮棒を構えていた。
「き、き、麒麟がくる」「平清盛」で俺はなんとか1stを終えると席交代、3rdの一番端っこの席に移動し、「海老天に(レモンを)付け」「軍師 Can Do」を演奏した。
そして三度司会が出てくると、
「最後の曲になりました。最後今年の太河ドラマ「幕張殿の9人」です。それではどうぞ!」
ステージ脇でマイクを持った北浄泰時役の部員が、幼馴染の女子に「あんたはおもしろくない」と言われ落ち込んでいると、もう片方の舞台袖から不敵に微笑みかけている北浄義解役のコージさんが舞台中心まで歩き、
「いいことを教えてやろう。女子というものはな、大体キノコが大好きなんだ」
思いのほか迫真の演技のコージさん。
指揮台の上には衣装を着たフジきゅんを見たい欲求を必死に抑えて唇を噛んでいるアヤさん。
苦虫噛んだような顔をしながら、指揮棒を振り上げた。
迫力のある曲が始まるとコージさんは急いで(その格好のまま)チューバの方に戻っていった。
チューバを吹くコージさんが視界に入った瞬間アヤさんの表情はパアッと明るくなり、指揮棒はより高く、滑らかに動き始めた。
テンポは壊さず、どんどん前へ躍動。
「今回の曲の中で「幕張殿の9人」が一番躍動していた、かっこよかった」演奏会終了後アンケートの中にそう書いてあったのは後の話。
…
「はぁ~~~~~、「幕張殿」の時のフジきゅん、かぁ~わいかったぁあ~~~~~」
二部が終わって女子控え室で3部の衣装に着替えながらアヤは満足げにそう言った。
「指揮のほうは危なかったけどな」
苦笑しながらマナミがそう返す。
「なによー!別にテンポぶっ壊したわけじゃないじゃん!」
「でもいつ走り出すかヒヤヒヤしたし」
「むー、走ってないし!むしろ指揮振る前私よく我慢したほうだと思わない?ホントは後ろのフジきゅん見たくてウズウズしてたんだから!あとで写真見せてね!?」
「うん、表情から滲み出てた。でも別にゲネプロで見たじゃん」
「ちがーうの!ゲネプロと本番じゃ違うの!あぁー、見たかったなぁ」
「別に見なくたって死にゃしないんだし…」
「死んじゃうもん!フジきゅんの晴れ姿見なきゃ死んじゃうもん!つーか私キノコ好きだし!マジで好きだし!フジきゅんのキノコだったr」
「下ネタはやめろ!!!」
明らかに対応がめんどくさそうな表情になってきたマナミがため息をつくと、さっきと同じようにシオリがやってきて、
「さっさと3部の準備するーーー!!!」
落ち着いたアヤは大人しく着替えの続きに取り掛かった。
マナミは心のそこから「ありがとう」という表情をシオリにして、着替えに戻っていきました。
カナが「お母さ~ん」みたいな雰囲気を出しながらこっちに向かってくるので、キッと睨んでやると「お母さんが怒ったぁ~」みたいな雰囲気を出しながらミズホのほうへ戻っていった。
王道パターン。
…
着替えや準備を終え、最後のペットパートのチューニングを終えるとシオさんが、
「さてぇ、定演もこれで最後。私とミズホにとっては本当に最後。大曲が2つも続いて疲れるけど、悔いなく無理せず最後までしっかりやりましょう。レイジも第二部の「龍馬」のミスのことは一旦忘れてね!」
と言うと、ミズホ、カナ、ナツキ、俺、ユリの表情が三度変わり、本日最後の総決算、三部に向けて集中し始めた。
「ん、いい表情!」
満足げに笑うと全体のチューニングの声がかかった。
さてさて、泣いても笑ってもこれで最後。
定期演奏会第三部が始まります。




