第21話 私のデビュー戦
ゆっくりと舞台の幕が上がる。
暗闇の中から薄っすらと客席が見えるけど、各自知人などを探してしまいたくなる気持ちを抑える。
一曲目の指揮者で今日が生徒指揮デビュー戦のカナが珍しく緊張した顔をしている。
一曲目は幕が上がったらすぐさま演奏を開始する進行のため、カナは演奏者の方を向いている。
指揮台から見下ろすみんなの顔は研ぎ澄まされ、みんな集中していた。
ふぅっと息を吐き、指揮棒を構えると部員全員が楽器を構える。
ふとシオリと目が合うと、シオリはそっとカナに微笑んでくれた。
大丈夫、みんなきっとついてきてくれる。ワタシはやれる!
第一部一曲目は去年の課題曲、「僕らのコンベンション」。
ペットパートは1stがシオとレイジ、2ndがナツキ、3rdがミズホとユリである。
曲の出だしはトランペットも入るため、カナはペットパートの方を確認した。
曲の出だしはその曲全体の印象をも変える、レイジもユリも音の出だしの練習いっぱいしたよね。
レイジは弱すぎでユリは強すぎ、何でこんな面白いくらいに両極端なのかね。
でもまぁやることやってたのは知ってるから、後は今から思い切ってやんな!
私も、思い切ってやる!
舞台の幕が上がりきるとスッと息を吸い、カナは指揮棒を振り始めた。
…
曲の出来のほとんどが決まるといってもいい初っ端、全部がそろってアクセントでシャキッとした音が出れば上出来。
カナが指揮棒を振り始める瞬間全体に視線をやる。
全員と目が合い、音が鳴った瞬間カナの表情は笑顔になった。
「(多少言いたいこともあるけども…)上出来!!!」
とカナが心の中で呟くと、カナのデビュー戦が始まった。
ティンパニを先頭に次々に音が参加して厚みを増していく。
バンッ!とインパクトのある出だしが終わると曲が落ち着きまず木管主体の旋律が始まる。
優しく、勇ましく、流れるように…指揮台に立った瞬間はもっと細かい注意点とかばかり考えていたけど、だいぶ吹っ飛んでしまった。
とにかくこの曲を成立させなくては!イメージ通りに指揮をしなくては!そして何より…指揮者がテンション上がってどんどんテンポを速めてしまうことだけは気をつけなくては!!!
木管による旋律が終わると、今度は同じ旋律に金管が参加してよりボリュームが増す。
じわじわと曲の高みを目指す演奏者全体の気持ちが伝わってくる。
みんな、ちゃんと私とこの曲に集中してくれている!
…
カナが2年生の生徒指揮者に決まったのは約10ヶ月前、カナが1年生の年の大会終了後、現3年生による新体制発足時に決まった。
その年は県大会金賞だったが、いわゆるダメ金というやつで上の大会へは進めなかった。
結果発表後のロビー、カナの目の前ではいつも笑っていて面白くて厳しくて大好きな3年生生徒指揮者兼トランペットのアミが泣いていた。
まだ5ヶ月しか一緒に部活してないのにこれで終わり?これでもう3年生とは一緒に演奏できないの?
気がつくとカナはアミに抱きついてわんわん泣いていた。
あまりに急だったのでアミがびっくりして泣き止んでしまうほどに。
アミの制服が涙で濡れようがシワになろうがお構いなし、ずっとずっとしがみついていた。
まだ離れたくないから。
アミさんみたくなりたいから、もっとそばでいろいろ教えてほしかったのに。
涙目でいい子いい子してくれたアミの顔は今でも忘れられないくらい、優しい笑顔。
「カナ、私達はこれで終わりだけど、あんた達はまだまだこれからだよ。あと2年間悔いのないようにしなよ」
「アミさんはぁ…く、悔いとかあるんでずがぁ?」
「楽しい2年半だったからねぇ~。ただ3年生生徒指揮者としてこの最後の大会がここで終わっちゃったのは悔しいかな」
「アミさぁん、アタシが下手だからぁ~」
「そうじゃないよ、カナは頑張ってやれることはやってたよ。これから2年間、今の気持ち忘れずにやったらきっともっとうまくなれるよ。たった数ヶ月だけど、いろんなこと学んだでしょ?」
向こうから井口先生と部長と副部長が賞状を持ってやってきた。
「さて、集合だよ」
「アミさん…」
「ん?何?」
「えと……」
「?」
「…アタシ生徒指揮やります!アミさんみたくなります!」
急なことでアミはポカーンとしていたが、すぐに笑顔になって、
「ん、頑張んな!」
そう言って頭をワシャワシャ撫でてくれた。
私は生徒指揮者をやって、アミさん達から学んだことの続きをするんだ。
アミさんがやってきた1年を進化させるために!
「ただ、私の真似事だけじゃダメね」
「え?」
「カナがやりたいようにやらなきゃ。真似して楽するんじゃなくて自分なりに考えたり先生と相談したりしながらバンド全体を今より成長させなきゃね!それに、その方が楽しいよ!」
「…はい!」
「いい返事。こりゃー来年の定演が楽しみだ!」
それからの10ヶ月、カナはひとつ上の生徒指揮者のアヤにいろいろ教えてもらいながら、悩んだり、怒ったり、うまくいかなくて影で泣いたりしながら今日ここまで来た。
今日のこの曲はカナのデビュー戦。
…
前半が終了し、木管の静かなメロディ部へと入った。
少し前の盛り上がりはカナもバンドも少し高めのテンションに引っ張られそうになったが、なんとか踏みとどまった。
ゆったりしたメロディーが流れ、バンドもカナも少し平常心を取り戻し始めたが、ここから後半にかけてじわじわと盛り上がっていくので注意。
合奏練習時にしょっちゅうテンポが速くなってしまい、それはカナの悩みの種だった。
しかもカナ自身もテンションが上がりやすい性格なので、本番は常に「テンポキープ」を意識していなければならないため、カナの目の前のフルスコアには大きくサインペンで「テンポキ→プ!!!」とでかでかと書いてある。
大丈夫、みんな楽譜より私を見ててくれている、私がしっかりしていれば大丈夫!
再び楽器の音が重なり始める。
ラストに向けて指揮もバンドも観客も気持ちがアツくなってくる。
カナは高ぶる気持ちを抑えつつ指揮棒を振り、rit(だんだん遅く)をかけ始める。
いやらしくネチっこくならない程度に"溜めて"、「ここだ」というタイミングで指揮棒を高く振り上げると音も指揮も全てが解き放たれた。
パアッと会場の雰囲気が明るくなり、会場全体が熱気を帯び始める。
観客を取り込んだ!と確信を得た瞬間、取り込んだ観客を今度は引きずり始めた。
走る、走る、走る、ついてこれないものは振り落とす!と言わんばかりに走る。
観客と演奏者は必死に喰らいつくが勢いはなかなか止まらないし、むしろここで一気にスピードダウンしてしまった方がおかしい。
「あぁ、今自分の指揮は走ってるんだな」と頭では理解しているが、もう戻れなかった。
できることと言ったら、このテンポをキープすること。
恐らくこの曲を知らない人や、吹奏楽に詳しくない一般の人からしたら「アツい演奏でした」と評価してくれるかもしれないが、結局楽譜に指定されているテンポよりも速い状態まで達し、勢いが収まらずに曲は終了した。
「終わった」、カナは指揮棒を下ろすと血液がドロッと体中を一気に駆け巡るのを感じ、同時に気持ちの悪いベタベタとした汗がブワッと体中から噴き出した。
心臓の鼓動がドクドクと体中に伝わり、体が重いし熱っぽい。
重い体を何とか動かし客席に向かってお辞儀、観客からは盛大に拍手をもらったがカナの耳にはあまり入っていなかった。
ボーッとしながら舞台袖へと戻ると今度は一気に体中の熱が引き、汗をかいていることもあり強烈な寒さを感じるし、体の力も一気に抜け、頭も体もフワフワしている。
ステージではもうアナウンスが始まり、今の曲紹介や次の「メガドライブ」の曲紹介をしている。
舞台袖でボーッとしていると次の曲の指揮を振る顧問の井口先生からカナのトランペットを渡され、「ほら、次の曲もあるんだからコレ持って早くステージ戻れ」と言われてちょっと我に返る。
ヤバイ、私ワキ汗すごいかいてるんだけど!!!
その後の先生の「最後ちょっと走ってたけど、デビュー戦にしては上出来だったぞ」の一言で中年でちょっとポッチャリしている先生がいつもより少しかっこよく見えてビックリするのと同時に落ち着きを取り戻し、深い深い深呼吸を数回してからカナはステージに戻っていった。
「ありがとうございまっす!!!」
…
二曲目「メガドライブ」、三曲目「マーチ「ブラック・スプリング」」、四曲目「レヴァータンス」(どれも指揮井口先生)の演奏が終わり、第一部が終了して全員がそれぞれ楽屋に戻ってきた。
カナはみんなに頭を下げると、向こうからシオリがやってきてカナの頭を小突いた。
「第二部の準備もうできたの?どう見ても着替え終わってないんですけど?」
「え、あ、まだなんも」
「さっさと準備する!15分しかないんだから!」
「は、はい!」
それを見ていた他のメンバーは苦笑いしながら第二部の準備へ戻る。
あわあわしながらもなんとなく釈然としないまま準備をしているカナを見て、3年生徒指揮のアヤがカナに近づいてきて、
「うまくいかなかったことでモヤモヤしてるのはわかるけど、それをぶちまけるのは定演が終わってからね。まだ定演自体は終わってないし、お客さんも待ってるから」
「そーそー、後でいっぱいグチ聞いてやるから」
横からヒョコッと顔を出してシオリがそういうとやっとカナは落ち着いたようで、ニコッと笑って「はい、いっぱい聞いてもらいます」といい、二部の衣装に着替え始めた。
正直あの指揮の評価を今すぐ奏者に聞いてみたかったのだが、今は一旦封印。
演奏会が終わったら感想は奏者からも聞けるし、アンケートも見れるし、OGにも…アミさんはどう見てたんだろう?
聞きたいような聞きたくないような、少しは褒めてくれるかな?
でもあの人もかなりドSだからなぁ~、ま、楽しみ半分不安半分ってことで今は取っとこう。
「あーでもカナのグチは長いからなぁ~」
「いいです、シオさんがダウンしたらミズホさんやナツキ、あとユリやレイジ、もちろんアヤさんに聞いてもらいますから!」
「え、ペットパートのメンバー以外に私も入ってんの?」
「あーヒドイ!ガッツリめんどくさそうな顔したー!アヤさんは生徒指揮の後輩がかわいくないんですか~」
徐々に声のトーンも上がっていつものカナに戻ってきた、それを確認するとシオリとアヤはアイコンタクトで「よし、これでこいつは大丈夫!」と会話をして笑った。
定期演奏会はまだ始まったばかり。




