第16話『本の売れ行きと印税計算&近所のカレー屋(合法)』
「うっうっううううー!」
「……なにを苦しそうにしてますの? パソコンの前で」
カレーちゃんが震えながらノートパソコンの前で、『ゾンビランド・曾我兄弟』の売れ行きを確かめようとしているのをドリル子は半眼でツッコミを入れた。
なにせこの少女、両手を顔に当てて目を隠しつつ、時折ササッとマウスを動かして売上ページに近づく度にうめき声を上げて苦しんでいるのだ。
売上が見たいのか、見たくないのか。
「というか売り出して最初の頃は三百冊売れたの、同人誌レベルなら壁サークルだの売上を確認しながら自慢気に言ってたじゃありませんこと」
「最初の頃はテンションも高くて売上やレビューを確認するのに抵抗は無いのじゃが、売り出してしばらく経過すると……売れ行きがまったく伸びておらんのじゃないだろうかとか、レビューで悪評が書かれておるのじゃなかろうかとか不安になって確認するのが怖くなるのじゃ……」
「心が弱すぎですわ……」
「なろうに投稿しておる昔の作品に最近付けられた新しい感想などを怖くて確認に行けぬ現象じゃな」
「そこはちゃんと確認して返信してあげなさいよ……」
誤字報告どころか感想通知すら放置気味のカレーちゃん。あまり褒められた行為ではない。悔い改めよう。
それはそうと妙な不安に駆られて中々自分の売上を確認できないカレーちゃんのPCをドリル子がカチカチと操作して、Kindle販売ページのレポートを開く。
「ひぃぃあああぁぁぁ見るなぁああ見るでないぃぃ……」
「……あら。普通に売れていますわよ。えーと……一週間で、2000ダウンロードぐらいされているのかしら」
「にせんじゃと!?」
カレーちゃんが目を覆っていた手をどけて画面を凝視した。
初日から3日ぐらいは300冊前後売れ、それから100冊程度の売上グラフが続いている。累計で2000冊を越えている販売数にはなっているようだ。
2000冊である!
同人サークルがコミケで売れたら結構なレベルであり、それが同人小説即売会だったらちょっとした事件ぐらいの部数だ。
カレーちゃんはガクガクと身を震わせて、テーブルに置いてある紙とペンを手にとって計算を始める。
「おおおお落ち着くのじゃ。え、えーと……発生するロイヤリティが1冊あたり300円の70%じゃから191円……191×2000で38万2000円の収入……!?」
「まあ。かなりのものですわね」
「あうあうあうあー」
「カレーちゃんの知性が溶け落ちましたわ!?」
突然うつ伏せになってビクンビクンと痙攣しながら知能がなさそうなうめき声を上げるカレーちゃんである。
急激な小説による収入によって理性を失ったのだ。理性を失ったカレーちゃんは生まれたてのチスイコウモリ程度の思考力に低下してしまう。
38万円である!
カレーちゃんのこれまでの年収の三分の一に匹敵する(微妙にそう考えると物哀しい)金額が入ってきたのだ。驚きもするだろう。
なおこれの前に配信の投げ銭で500万円以上稼いだのだが、そこまで行くと額が大きすぎて実感も沸かないし、なにかしら自分の仕事が認められて金を得たわけでもないし、そもそもドリル子のチャンネルなのでカレーちゃんはピンと来ていない。投げ銭の使い道も自分やドリル子を守るための防犯設備に使われるとなれば金を得たという気分にもならなかった。
ところが今は38万円の収入!
カレーちゃんがよく食べる、スーパーやドラッグストアなどで売っている4つ入りの複数パックレトルトカレーがだいたい380円で売られている(セール時260円)。
複数パックレトルトカレー1000個分!
4つ入りなので4000食!
カレーちゃんは頭の中で、銀色のレトルトカレーパウチが次々に降ってきて自分を埋め尽くす光景を幻視していた。
「す、凄いのじゃ……! まさか、たかが一週間で38万も稼ぐとは……儂、凄い!」
「まあ……正確に言えば製作期間も合わせて一ヶ月と一週間ぐらいですけれど」
「2000冊分じゃぞ! 電子書籍が物理書籍の十分の一売上説を採用すると、発売一週間で2万部売れたってことなのじゃ! ハァー! 見てみいボツった出版社め! 売れるではないか儂の作品! うきょきょきょ!!」
「カレーちゃんが聞いたことのないチュパカブラみたいな鳴き声を上げていますわ……」
「満たされるのじゃー! なんかこう、欲求が満たされるのじゃー! 2万部じゃー! アニメ化決定じゃー!」
喜びながら転げ回るカレーちゃんである。ドリル子は気味悪そうに同居人の姿を見る。
確かに「小説家で食っていける者は全体のランクで言うとAAAランク以上」とかそんなことをカレーちゃんも言っていたが、少なくともこの短期間に置いては製作期間と収入の釣り合い的に、小説家業で純粋に並の労働以上には儲けているだろう。後が続くかどうかはともかく、短期のバイトとしては中々に稼いでいる。
ちなみにカレーちゃんの中華料理屋でのバイトは一日三時間のランチタイム勤務、時給800円、週五日通って月4万8000円のバイト代である。
中華料理屋のバイト8ヶ月分に相当する額を稼いだのだ。
「良かったですわね。カレーちゃんの小説、実際面白かったですわ。まあ……手に取りやすい価格だったから売れたってのもあると思いますけれども」
ドリル子がそう指摘してみる。『ゾン曾我』の値段は300円。ジュース二本分である。カレーちゃんの配信にお金を突っ込む人が多いことを考えれば、300円ぐらいご祝儀で買ってくれた人も多いのではないだろうか。
「はっ……! もし儂がゾン曾我を1000円で売り出しておったら……2000冊売れたときの印税は140万円じゃった……!?」
「同人小説で1000円は強気すぎですわよ……」
「いや実際な、儂も色々調べてみたのじゃが……同人小説のネット販売してるのを見ると値段は200円から990円ぐらいでバラついておって、コレって基準が無さげなのじゃなー。くそっ1000円で売れとる個人出版が憎い……!」
しかしながらカレーちゃんとしても、自分が1000円で個人の出した電子書籍を買うかと聞かれたらかなり微妙なので1000円を付ける勇気は無いのだが。
「ま、まあとにかく大売れなのは間違いない! 売上グラフを見るに売出し初期ブーストは切れておるようじゃが……地道にあと1000は売れる可能性もある!」
こういったダウンロード作品でも新着作品として取り上げられる、売り出してすぐのときが大抵一番売れるものだ。
カレーちゃんの作品でもここ数日は日に100~150ダウンロードぐらいが続いている。それでもそのまま推移すれば10日後にはプラス1000冊売れることになるが、また徐々に売上は減っていくだろう。
電子書籍で小説の、しかも個人出版のものを買おうという読者の数は限られているのだ。多少ネットでバズったからといって、ネット配信を見て盛り上がる層とはまた別である。ドリル子のドリル工具の売れ行きも以前に比べれば伸びたがまだ登録者数からすれば大したこと無いようなもので。
だがあと1000冊売れたら、プラス19万1000円。
現在のと合わせれば『ゾン曾我』だけで57万3000円のロイヤリティ収入となる。
これはカレーちゃんの物理書籍『明治なのである』単巻あたりの印税が80円×8000冊で64万円であることを考えれば、Kindle Unlimitedの無料読書でも入る『ゾン曾我』のロイヤリティも合わせるとほぼ同じぐらい儲けていることになる。
わずか300円の本でも3000冊売れるものを出せば物理書籍化と変わらない報酬が得られるのである。(ただし打ち切り作家基準の収入だが)
「ほらカレーちゃん、Amazonの販売ページでも高評価レビューが10件も付いていますわよ」
「うーみゅ、レビューの文体がよく儂の小説の感想欄に書いてくる読者に似ておる気がするが、とにかく良し!じゃ」
「しかもKindleで歴史ジャンル小説での売れ筋ランキングが冲方丁と並んでいますわ」
「なぬ!? い、いやそれは行き過ぎじゃないか!? どうなっとるんじゃゾン曾我!?」
検索ページの並び順を変更したら、カレーちゃんの作った手抜き表紙の作品が超有名作家の小説と並んで「今売れている」とアピールされていたから驚きだ。
どうしてこのようなFランなろう作家の自作歴史小説がそんな上位ランクに上がっているのだろうか。誰かの陰謀か。カレーちゃんは疑心暗鬼に陥りそうになる。
「……歴史ジャンルの電子書籍って、ひょっとして市場全体で売れておらんのではなかろうか」
「……歴史小説を好きな人ってなんとなく物理書籍で読んでそうなイメージありますわね」
「小説家になろうのランキングで、ジャンルがファンタジーじゃと『それお前本当に一日でついたポイントなの?』みたいなレベルで激しい争いなのに、ジャンル歴史とかジャンルヒューマンドラマとかじゃと一位こそ結構なものじゃが後はのんびりしたポイントで順位がついておるみたいな感じじゃろう。たぶん」
真の理由は不明だが、とにかくこの瞬間においてはカレーちゃんのゾン曾我はKindleの歴史小説ではトップセラーの一つになっているようだった。
売れ筋商品としてピックアップされ商品棚で目立つようになれば、カレーちゃんの存在を知らなかった読者が購入を試みることもある。あるいはカレーちゃんのことを動画で知っているだけだったり、なろうの無料作品は読むが有料にまでは手を出せなかったたりした層が「そんなに売れているのなら買ってみようか」となる可能性もあるだろう。
売れる→人気が高くなる→より売れるの黄金パターンである。
まあ……ただ電子書籍歴史小説の市場規模が小さい場合はそこまで上手くいかないものだが。
「大丈夫ですわ。カレーちゃんのそんな喜ぶ反応を見れば、ご祝儀で皆さんも更に買ってくれますわ」
「……んん!? おい待てドリル子さんや!? またなんかどっかで盗撮録画しておるじゃろ!?」
「だ、大丈夫ですわよ。カレーちゃんの可愛いところだけ動画にしてますもの」
「怖いのじゃが!」
なにせカレーちゃんは自分のなろう作品のページですらめったにチェックしない程だ。ドリル子のチャンネルもあまり見ていないため、隠し撮りでどんな動画が上がっているか把握していない。
動画投稿にて登録者数を増やすのはこまめな投稿である。ドリル販売コマーシャル以外にカレーちゃんの日常も短い動画としてアップしている。
というのもドリル子とほぼ同居するというのは、自然ドリル家具を利用して生活するということでもある。
ドリル歯ブラシで歯を磨き、ドリルヘアブラシで髪の毛を整え、ドリルドライヤーで温め、自動で混ぜ混ぜするドリルマグカップに入れたドリルミルで挽いて淹れたドリルコーヒーを飲み、ドリル制作会社の作ったドリルゲームをプレイする。そんな日常の映像でも注釈を入れて商品の説明もやればドリルの宣伝になるのだ。
ドリルに囲まれた生活。いつの間にかカレーちゃんの肌着も『I LOVE Drill』と書かれているTシャツが紛れ込んでいたりする。侵略されているのだ。
「……まあ、動画はともかく。しっかり売れたのならお祝いをせねばな!」
「ちょっとお高いレトルトカレーを食べますの?」
カレーちゃんの場合、贅沢といってもせいぜい『中村屋』とか『カリードマルシェ』や『銀座カレー』など200~300円クラスのレトルトカレーなのであるが。
「いや! ここは手伝ってくれた若人にお礼としてご馳走の一つでもせねばなるまい。お店で奢るのじゃ! ……もちろんドリル子さんもな」
「えええ!? カレーちゃんがお店で奢るんですの!? お金は!?」
「ふふーん! 実はオメガ軒で出前しとったら、出前先の婆さんから地域限定食事クーポンを貰ったのじゃ。1万円分もな!」
カレーちゃんが財布から取り出したのは十枚束になったクーポンを取り出した。
この町の商工会が地域振興のために発行した、飲食店でのみ使うことができるお得なクーポンである。1万円で1万3000円分のクーポンが購入できる。
「そろそろ使用期限なのじゃが、そこの婆さんはクーポンを買ったはいいもののあんまり使えんかったからどうせならということでくれたのじゃよ」
「まあ……代わり映えしない飲食店しかありませんものね。田舎ですから」
「期限も近いし、儂とドリル子さん、それに槍鎮に悪堕ちインテリ兄妹の五人でパーッと飲み食いして使おうかの!」
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カレーちゃん達の住む田舎町には飲食店が少ない。なにせ人口が少ないのでこれ以上飲食店が増えても、少ないパイの奪い合いで潰れる店が出る程度に低い水準で飽和している。
十年に一度ぐらいは移住者あたりが新しい店を開くのだが、どうやっても大繁盛とはいかない土地なので開業資金のダメージを回復しきれずに潰れるパターンが繰り返される。
そんな中で、フェニックスのように死にかけては復活するある意味伝説の、この町にしては個性的な店があった。
それがカリー&カクテル『ヒンドゥー・ハッピー』略してヒッピーの店である。
「……また蘇っていたんですの、ここ」
呆れた様子で店を軽トラックの窓から見るドリル子。助手席に座っているカレーちゃんは「うむ」と頷いた。
「この前近くを通ったら新装オープンしておった様子じゃからな。またヒッピーみたいなのがどっかからやってきたみたいじゃぞ」
「前の店主は大麻の不法所持で捕まりましたものね」
そうここは田舎にある自然派っぽい雰囲気のカレー屋なのだ。
実はもう十年以上前から店を出しているのだが、店主が裏山を使って大麻やケシ・違法キノコの栽培をしたことで既に5人は捕まっている曰く付きの物件である。
不思議なことに店主が捕まって一時的に店が潰れるのだが、数ヶ月もしないうちに店主の知り合いを名乗る別のヒッピー(南米系の外国人であることが多い)が現れて店を再オープンさせる。そして暫くしたらまた捕まる。更にまたヒッピーネットワークで繋がった新たな店主が現れる……というサイクルで、この田舎にハッピーな雰囲気のカレーを提供していた。
いくら店の敷地内で違法性のある植物を栽培したからといって、行政に店を解体する権利もなければ後から入った別人が店を再開させるのを止めることもできない。風評被害もなんのその、同好の士が集まる怪しいカレー屋として立派にこの田舎で存続しているのだ。
「……純真な高校生を連れてくる店じゃありませんわよ。多分。絶対。わたくしも来たこと無いですけれど」
「むしろレアな体験でええじゃろ。絶対親御さんとか連れてきてくれんじゃろうし……」
「その連れてこない理由が問題ですわ」
言いながらも軽トラックを無駄に広い店の駐車場に入れる。おおよそ裏に小さな山一つ抱えて隣接する建物も無い立地なので、客入りは少ないが土地だけは余ってそうである。
トラックを駐車すると、幌を被せた荷台から学生服姿の三人が降りてきた。田舎育ちなので軽トラの荷台に乗っての移動は三人とも慣れている。
「うわー、俺マジ来たことねっすよココ。なんすかアングラな感じで」
槍鎮の生まれた離島はカレー屋すら存在しないほどの田舎だったので物珍しげに眺める。或いはヒッピー風の店が珍しいのか。
「──御符箱沢。なにか先生たちに危険が及びそうだと思ったらお前が犠牲になるんだぞ。得意だろう」
「得意じゃねえっすけど!?」
「経験者だから大丈夫だ」
「経験はしたけど!」
「……いやまあ、儂も前に一度来たが普通のカレー屋じゃから安心しておけ」
カレーちゃんも一応はカレーマニア。うらぶれた中華料理屋だろうが、パキスタン人の経営するインドカレーだろうが、喫茶店のカレーだろうが、学園祭のカレーだろうがとりあえずはチェックするタイプだ。
「わあ……なんかお店の煙突とか窓からモクモク煙が出ててファンシーですね」
「異臭がしますわ。不安ですわ。黒スーツにサングラスの二人組が店を外から見張ってますわ」
若干ヒいたような声で店の感想を言う鷹子と、訝しむドリル子。見張っているのは警察だろうか。怪しげな薬物常習犯のアジトだと思われているのかもしれない。
店から出る煙に混じっているのかなんとも言えない刺激臭が空気に漂っている。
「スパイスを焙煎とかしておるのじゃろ。多分。本格インドカレーの店じゃからな」
「インド! 俺マジインドカレーとか食ったこと無いっすよ楽しみ~。俺の住んでた島だとまずスーパーが無くて雑貨屋なんすけどボンカレーしか売ってないっすからね」
「カレー砂漠じゃのう。まあ今どきは通販でも箱買いでレアなレトルトカレーも頼めるが……」
「それより早くお店に入りましょう。店を見張っている黒服の人たちの視線が痛いですわ」
と、ドリル子が急かすので五人は店の中に入る。
店内は清浄感溢れるぐらい緑色のカエデかモミジみたいな葉っぱがついた観葉植物がたくさん生い茂り、よく植物が育ちそうなオレンジ色の照明が灯されて自然派な雰囲気であった。
薄っすらと甘い香水に猫の排泄物を混ぜたような独特の臭いが店内に染み付いているように漂っていて、木製で揃えたカウンターバーとテーブルが並んでいる。敷地は広いが店内はそこまで広くなく、客はカレーちゃんたちだけのようだ。
カレー&BARの名前通り、カウンターバーの後ろにはラベルの付いていない、薬草みたいなものを漬け込んだ酒瓶が並んでいる。
「イラシャイ!」
出迎えたのは快楽堕ちしたチェ・ゲバラみたいな冒涜的印象を見た目から感じる、日焼けしたラテン系の男だった。サイケデリックなぐらい明るい色合いのオーガニックな絞り染めの服を着ており、頭や手首などにアフリカ民族めいたアクセサリを巻いている。
カレーちゃん達は一様に頷いた。それっぽい雰囲気の店主だ。
「テーブルニドーゾ! 私、ホセ! 店主アンドコックデス!」
「コロンビア人かの? 店のメニュー変わっておらんよな?」
カレーちゃんが相手の容姿から推察して聞いた。彼女は南米人を見分ける能力に長けている。
「ハイ! カリーノ本場デスネ! オ店ノ料理ダイジョブ! レシピ残シテタカラ!」
「本場ですの……? っていうかヒンドゥーハッピーって店名じゃありませんこと……? コロンビア人がインド料理って」
「オーウ……」
ホセは大きく肩をすくめるジェスチャーをして、その後で金歯が光る笑顔で親指を立てて気にするなと言わんばかりであった。
日本人が本格インドカレーの店を出しても文句を言われないように、コロンビア人がやっても問題ないのだろう。
「……ところでこのお店って撮影OKかしら?」
「ノー! 撮影ダメ! キンジラレテル! 絶対ダメ!!」
「す、凄い剣幕で断られましたわ……」
どうせ飲み食いするなら撮影して動画にアップでもしようかと思っていたドリル子だが、まるでやましいことでもあるかのようなホセの様子に気圧されるのであった。
とりあえず一同はテーブルに座る。カレーちゃんはメニュー表を持って全員に告げた。
「儂が適当に注文していいかえ? というかメニュー見てもどんなのかわからんと思うのでの」
「そうですの?」
カレーちゃんの提案に皆がメニュー表を眺めると、そこには字面から内容が想像できないものが並んでいた。
『古代インドプラーナカレー』『ハッピースパイスカレー』『ガンキーマカレー』『もつのハーブ煮込みサグカレー』の独特なカレー四種。
『ナン』『モモ』『ライタ』『プラオ』『パパド』『ドーサ』などインド・ネパール系でよく見るサイドメニュー。
『キク科植物を漬け込んだリキュール』などなにか妙にボカしたドリンク。
「ほら! カレーちゃん! 子供たちがまるで法事で出てきたあんまり美味しくない精進料理を目の前にしたみたいな微妙な表情をしていますわよ!」
「ええい、大丈夫じゃ! ノンアルのコカ・コーラも出すからこの店。それに一応カレーは全種食ったが、ハッピースパイスカレーとガンキーマカレーは普通に日本人向けで美味いのじゃ!」
槍鎮が若干引きつった笑みを浮かべながら言う。
「この並びで普通にあるコーラが逆に怖いっすよね……」
「一応警察も見張っている状況だから違法性のある料理を出すわけではないと思うが」
「カレーちゃん先生、他のカレーはどうなんです?」
「……まあ、食べてのお楽しみというか」
鷹子の質問にカレーちゃんは遠い顔をした。変わりモノ系カレーを言語化して説明するのは非常に難しいのだ。
とりあえずシェアしつつ余ったらカレーちゃんが食べるのでカレー全種を一皿ずつ注文、更に日本人向けで普通に誰が食べても美味しいドーサやモモなどを注文。カレーちゃんだけキク科植物を漬け込んだ怪しげな酒を頼み、他の全員はコーラを飲み物にした。
「乾杯じゃー! 儂の電子書籍出版を記念して~!」
「カンパーイ!」
ヨモギによく似た草の入った酒の並々と注がれたグラスと、コーラのグラスが四つ分合わせられる。ぐいっと飲むとアルコールに溶け込んだキク科植物の僅かなハッカ臭とエグ味がカレーちゃんの口に広がる。
「ぷはー。まずい! 薬品の味がする!」
「……」
「うん? どうしたのじゃお主ら」
「いえ……なぜかこのコーラが異様に美味でして……明らかに市販のコーラより美味しく感じて逆に怖いですね……」
「ちょっとお兄。これ持って帰って成分分析頼んだ方がいいんじゃないかな……」
「疑いすぎじゃぞ。単に味の素とか入っとるんじゃろ。多分」
適当に言いながらまずい酒のお代わりを頼むと、料理と一緒に持って来られた。四種類のカレー皿に、小さめな肉まんであるモモ。ドーサは米と豆の粉で燒いたクレープで様々な形態があるがここのものはそのクレープでマッシュポテトを包んだようなものだ。そのままでもカレーにディップしてでもいい。
「うわぁー珍しいカレーっす……ねえ。……パイセン、そっちの緑の任せるっす」
「押し付けるな。妹よ、この妙な油が浮いているスープみたいなのはお前にやろう」
「まだ緑の方が私はいけそうなんだけど」
「カレーちゃん、解説」
「引きつっておるのう……そのやたら緑なのは法蓮草カレーの一種じゃな。ほうれん草ペーストが入っておるから緑緑しているだけじゃ。さあ食って感想を聞かせるのじゃ」
カレーちゃんがナンを勧めて、皆が恐る恐る緑色のドロドロして豚モツがところどころ溶けかけているようなカレーをナンにつけて食べてみた。
もぐもぐもぐ。
「はい槍鎮、高雄、鷹子、ドリル子さんの順番で味の評価!」
全員一口食べて動きが止まっていたのだが、ボソボソとつらそうな声でそれぞれコメントをする。
「俺……俺、辛さとかしょっぱさとか感じないで苦いカレーって初めて食ったっすよ……」
「野生な……草というか……父が趣味で作ったチンキ剤より苦いですね……」
「私の書いた夢小説でいうと葉巻狂いの吉田茂とキスしたときこんな感じの味でしょうか……」
「吉田茂の夢小説書いてますの!? 総理大臣の!? ……まあなんというか、お刺身に付いてくる食用菊を口いっぱいに頬張ったらこんな味になるかしら」
「うーみゅ、慣れておらんとこんなもんじゃろ」
並のサグカレーよりかなり苦いとはいえ、サグカレーに慣れているカレーちゃんからすれば中々美味いのだが。
実際、普段食べ慣れていないカレーは経験値が物を言う世界でもある。現代となっては物珍しくもなく多くの人が食べている『いなばのタイカレー』系のタイカレーや、世界で一番美味いとされたマッサマンカレーなどは、日本人のカレー経験値がまだ低かった30~40年前に持っていったとすれば恐らく拒絶反応を起こされていたであろう。
中村屋のカレーだって最初はインド人が本格カレーを作っていたのに「薬臭い」と言われて不人気、日本ライズして売り出すことにしたという経歴もあったぐらいだ。
「この苦いサグカレーを美味しく食べられるようになるとカレー中級者じゃと思うのじゃが」
「これで中級者ですの?」
「うみゅ。こっちの上級者向け古代インドカレーは中々じゃぞ。古代には使われておらんかったから唐辛子とターメリックパウダー不使用じゃ」
簡単に出来そうなものではあるが、ターメリックを粉末状に加工しだしたのは中国が先で、古代のインドでは長く煮汁を使っていた。
「唐辛子を使ってないってことは辛くないんすかね」
「とりあえず苦味を払拭したい……」
次は古代インドカレーを全員が千切ったナンに漬けて食べた瞬間全員咳き込んだ。コーラで口を冷やして涙目になる。
「辛ァー!!」
「私の書いた夢小説で言うとダルシムとキスした感じで口が焼けます!」
「ダルシムとの夢小説書いておるのか!? 唐辛子は入っておらんが、アホみたいな量の生姜、それに辛子の種を絞ったオイルが使われておるから胃がびっくりするじゃろ。唐辛子が伝わる以前からインド料理は激辛で外国人が食えないと評判じゃったからのう」
「なんかこう、普段唐辛子とかの辛さには慣れているのですけれど、まったく知らない方向の辛さでぶん殴られている気分ですわ」
これも刺激の異様に強い上に、漢方薬を汁に溶かして味付けしつつ激辛仕様にしたみたいなカレーであったが、カレーちゃんは美味い美味いと食べるので皆は次第に、単にこの少女の味覚がヤバいだけなのでは?と疑うようになった。
最初に強烈な個性のカレー二種と食べた後だったからか、残り二つのカレーは四人にも普通に美味しく感じられ、特にマッシュポテト入りクレープのドーサはかなり旨かった。更にコーラがまるで習慣性でもあるかのように後を引いて、皆も二杯はお代わりをした。カレーちゃんもキク科植物酒とセリ科植物酒のカクテルなども頼んだ。凄い酩酊感が来る味であった。
本格カレーはかなり一般人にキツイが、ノーマルっぽいカレーやサイドメニューの味は良いのでカレー屋としての腕はいいのだろう。店主はコロコロ変わるが。
「あー食った食ったのーう」
「カレーちゃん一人であの苦いのと辛いのバクバク食べてドーサのお代わりもしてましたものね」
「久しぶりに本格カレーじゃからのう。自分で作るにもスパイスとか無いからできんものがあるし」
田舎には外国の輸入スパイスを売っている店など存在しない。通販で買うことはできるが。
雰囲気が若干スレスレなところがあるのを除けば、この田舎で食べるには十二分にカレーの名店といえる店であろう。このヒンドゥー・ハッピーは。
ただカレー経験値の観点で見ると、現代日本国内でも田舎よりも都会の方がカレー経験値が高く、珍しいカレー屋でも都会なら客が来るのではあるがこの田舎では槍鎮達のように食べ慣れていないつらい味のカレーとしか見られないので、店はまったく流行っていないようだった。
しかしながらヒッピーめいた仲間や旅行客が店に来ては交流したりハーブの類いを買っていくのでどうにか潰れずにやっていけている。店主は逮捕されても。
「それにしてもカレーちゃん先生。本、かなり人気が出ているようですね」
「そうなんすか? 俺もスマホにアプリ入れて買ったっすけど」
「フ……僕は一日10回はAmazonの売れ筋ランキングをチェックしてゾン曾我の売れ行きを見張っている」
「やめろのじゃ怖いから!」
「そして実際売れ筋ランキングにゾン曾我は出続け、レビューも増え、Kindle本を紹介するまとめブログなどでも一部取り上げられています。カレーちゃん先生、おめでとうございます」
「ま、まあ……一週間で2000冊は結構売れておるレベルみたいじゃな」
ちなみに新発売の人気コミックスでも、Kindleでは一ヶ月で1000冊売れればかなり売れ筋だと言われるぐらいなので、カレーちゃんのゾン曾我は安いのもあるがかなり売れているといえる。
「これは来ますね……アニメ化!」
「ゾン曾我を!?」
「人気が出るとなると私も流れに乗って夢小説を書かないと……源範頼の!」
「毒盛られてケロイド顔になったやつの!?」
「カレーちゃん先生マジパネェー! テレビとか出るんじゃねっすかマジ」
「テレビ出たらまた狙われそうで怖いのう」
若干陰った笑みでカレーちゃんが言うと、高校生組が渋面を作って「むう」と呻いた。
以前の襲撃に関して、槍鎮は大怪我をしたものの同時に申し訳無さも感じている。なにせ襲ってきたストーカー妄想犯は、どこでトチ狂ったものか彼が連れてきた国語教師ヤバ先であったのだ。
槍鎮が添削の手伝いを頼んでからカレーちゃんの存在を知り、どういうわけか彼女の作品にドハマリしてそのうち皮を剥いで成り代わろうと考えてしまった。
言ってみれば身内の狂気に気づかずに接点を作ってしまった槍鎮と、それを防げなかった高雄はなんともカレーちゃんが襲われたことに関して、責任を感じている。
「……よし! 決めました。ドリル子さんのアパートに僕も引っ越しましょう」
「ええ!?」
「カレーちゃん先生は注目を集めている作家なのですから、普段から危険が迫らないとも限りません。良からぬ考えを持って入居してくる輩もいるでしょう。微力ながら僕が住むことで助けになるかもしれません」
「俺が住んでるんすけど」
「お前一人では限度がある。それにバイトで居ないこともあるだろう」
「……それはいい考えですわね!」
「ドリル子さん?」
「是非入居なさいな。ええ、今日連帯保証人の書類を持って帰るといいですわ。ご両親の説得は必要でしょうけれど」
ドリル子がニコニコと話を進める。
せっかくアパートを改築したのだが、現在ドリル子のアパートは入居希望者で身元がしっかりしない者を何人も断っている状態であった。
なにせ動画で有名になってしまったカレーちゃんとドリル子だ。ドリル子がアパート経営をしているところまでネットでは特定されており、熱心なファンや下心だらけの者がアパートに入ろうとやってきていた。そんな輩を入れては事件が起こってしまう。
一方で高雄は地元でも名医と名高い医者の息子であり身元はしっかりしている。カレーちゃんとドリル子が担ぎ込まれたのもその病院だった。言ってみれば親とも顔見知りなわけで、おかしなことは起こりにくいだろう。ついでに金持ちでもある。是非入居してほしい人材であった。
「ああっお兄ズルい!? 自分だけ一人暮らししようとしてる! 私もやる!」
「ダメだダメだ! 中学生が一人暮らしなんて! ラノベの主人公でも一人暮らしは高校からと相場が決まっている!」
「私も来年から高校生だし! 一人暮らしすると堂々と部屋に武田信玄のおっぱいマウスパッド(胸毛を練り込んだ不動明王像付き)が飾れるし!」
「武田信玄のおっぱいマウスパッドがありますの!?」
※胸毛がもじゃもじゃしている。ちなみに不動明王像は実際に信玄が胸毛入りを作ったもののレプリカである。
「ハッ……そうだ。私が一人暮らしをするという提案に、同じアパートにお兄も住んでいるからという条件ならパパママも了解しやすいかも」
「僕をダシにしようとするんじゃあない」
「まあまあ。まずはご両親と話し合って決めるべきですわ。それに今は防犯もオートロックの扉でバッチリ、女子の一人暮らしでも安心ですわよ。引っ越しのお手伝いもしますし」
ニコニコしながらドリル子がさり気なく勧める。二人が別々の部屋に入居すれば家賃収入はプラス8万円。月に8万円の追加収入はデカイ。
「……離れた学校に通わせるでもなし、子供二人を近所のアパートに一人暮らしさせるメリットが果たして親御さんにあるのかのう」
「しっ! いいんですのよお金持ちなのだから!」
「木っ端小説家の儂がワナビの小説家を夢見る子供らを騙してサロン的に引き込んで搾取しようとしておるとか見られんじゃろうか」
「人間不信にも程がありますわ」
「いや実際聞いた覚えがあるのじゃ。なろうのランキング上位なAランクなろう作家が、その取り巻き的なファンネルなろう作家たちとオフ会をして勉強会と称して金銭を得ていたとかなんとか」
「そんな闇のなろう作家が居ますの……? カレーちゃんはそんな行動力無いと皆から思われているから大丈夫ですわよ」
どう考えてもカレーちゃんの被害妄想と陰謀論的なやつにしか思えないのだが。
どちらにせよご近所さんになったからといってカレーちゃんが積極的に勉強会など開くはずもないので気にすべきことではない。それよりドリル子の安定収入である。とはいえ、学生の入居は長くて三年で出ていくことが多いのだが、それにしたって2~3年も経過すればカレーちゃんがバズって襲撃された噂も薄まり、怪しげな入居希望者も減るだろう。
「まードリル子さんの仕事じゃからあまり口出しはせんが。よし、最後にお酒お代わり──」
「あわわ、カレーちゃん先生もう止めた方がいいっすよ! 顔真っ赤だし、なんか全身からハーブ臭が漂ってるっすよ!」
セリ科植物の漬けこまれた酒を何杯も飲んだカレーちゃんは、薬効的に聞いてくる酩酊感に顔を緩めながらも常習性があるかのごとく再度頼もうとしたので槍鎮に止められた。
彼女がひたすら酔ったら厄介な性格になるのは槍鎮も知っていたからだ。
「そうかの? じゃあお会計するのじゃー。ふんふんふふん」
ヨロヨロと立ち上がって期限良さそうにレジへと向かう。LEDライトを近距離から当てて照らされている観葉植物にアンプルを注入していたホセがやってきて会計をした。
「この商品券で頼むのじゃ!」
ドサッと商品券の束を出す。
「オー……ウチ、ソノクーポン、ヤッテナイデース」
「……」
地域商品券は対応していない店もあるから注意が必要だ!
特にこういう、余所からの移住者が建てた怪しげで協調性のない店などは商工会などに属していないことも多いため、使えないパターンがある。
カレーちゃんは財布を覗いた。残り400円。
くるっと振り向いて四人へと向き直った。
「お。お金無いのじゃ~……立て替えてほしいのじゃ~……」
「凄いダメさですわねこの珍獣!?」
カレーちゃんの尊厳は大いに低下し、ファンの中高生たちの目線はとても憧れの作家様というものではなく、微笑ましくだらしない少女を見る目になっていたという。
風邪引いてた!
支出の計算は気分が重くなるが収入の計算は楽しいよね




