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背負うもの  作者: ボールペン
第九話 ようこそ、異世界へ
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生還


 夕飯を食べた後で、元の世界へと送り返してやるとの話になった。


「伊琉・・・。

 その、またここに来ることっちできるか――――?」


 多くの疑問が蔓延る中、彼にはどうしても気になって仕方のないものがいくつかあった。しかし、とにかく今だけは一旦自分の知る世界へと帰り、心を落ち着ける時間が欲しかったのだ。


「うん、できるよ。

 僕か、有利砂お姉ちゃ――――まあ、僕に言ってくれればいつでも」


 伊琉は朗らかに快諾した。


「・・・悪いが、近い内にまた来させてくれんか?

 色々と、気になることが多すぎてな」


「・・・それはいいけど。

 ただ、三つだけ約束してくれる?」


 ふと、伊琉は無表情になった。いつも笑っていた印象があったばかりに、彼の無表情には妙な迫力を感じた。


「・・・なに?」


「ひとつは、一連の件について、口外しないでほしいんだ。有利砂お姉ちゃんがしたことの重大さは分かるけれど、どうかワースでのお姉ちゃんの居場所を奪うようなことはしないであげて・・・?」


 伊琉は、朗らかな彼には似合わない、哀しそうな表情を浮かべて訴えかけた。恐らく、よほどの理由があるのだろう。どのみち言ったところで悟史の方が信じてもらえないような気もしたが、彼は無言で頷いた。


「それと・・・、ふたつめ。

 ルデリックに来れるのはさと兄だけだから、他の人は連れて行こうとしないで。本来ワースの人間はルデリックには来てはいけないから、押し付けるようで悪いんだけどその辺りのルールは守ってほしいかな」


「わかった」


 これも、彼は初めから誰かを連れて行こうなどとは考えていなかった。ルデリックでは魔術の使用が許されていたり、戦士(ウォーリア)などという職業があったりと、彼の住む環境に比べて随分と物騒なようだったため、わざわざそんなところへ連れて行こうなどとは思うはずもなかった。


「ありがとう」


 そう言って、伊琉は再び以前の笑顔を取り戻した。その様子を見て、彼にはやはり笑顔が一番似合うと、ぼんやりと悟史は考えていた。


「それで、みっつめなんだけど・・・・」


 言いかけて、伊琉はふと顎に手を当て、考え始めてしまった。


「どうした?」


「・・・・ううん、やっぱいいや。みっつめは無し!

 さっき言ったふたつだけ、お願いね!」


「・・・・おう」


 そう念を押して、伊琉は悟史の小指に自らの小指を絡ませた。




 真っ白な部屋を出ると、長い廊下が続き、部屋も小分けにされて数多く配置されていた。右手側の壁には窓がいくつも並んでおり、そこからは月明かりに照らされ美しく輝く白い石畳に、ところどころに佇む整えられた芝の像が陰影濃く映り、ひとつの芸術のような中庭を望むことができた。


 どうやら、そこそこ大きな西洋風の屋敷らしい。伊琉の話では彼と空野と、さきほどの老人の三人で暮らしているようであったが、それとは別に家政婦などが住み込みで雇われていても不思議ではなかった。


「足元、気をつけてね」


 彼らは一階にいたようだったが、なぜだか伊琉は下りの階段へと悟史を導いた。


「あ? 外に出るんやないんか?」


「まあ、世界を移動するわけだからね」


 そう言われればそうかと、我知らず悟史は周囲で起こり続けている超常現象に思考まで毒されていた。

 屋敷の地下は基本的に物置として使われているようで、異常な数のコンテナやら樽などが所狭しと並んでいた。壁も床も天井も石造りで、敷き詰められたブロックの数々は外界の光を完全に遮断してしまっていた。見たところ灯明も電灯も無く、明かりとなるものは一切無かった。


 しかし、本来なら漆黒の闇に包まれているはずの地下室は、明るいとまではいかないが、薄暗さを感じる程度には光が注がれていた。


「こっちこっち」


 若干空気が淀んでいるような気もしたが、伊琉は躊躇いなど一切無くずんずんと進んで行った。


 廊下のつきあたりの部屋が、どうやら今回のゴールらしい。途中幾つか曲がり角があったことからも、地下階は思っていたよりも広いらしい。どの部屋も、廊下に溢れているくらいだから物で埋まっているのだろうが、石造りで薄暗いという点ではちょっとしたダンジョンのようで、少しだけ悟史は胸を躍らせていた。


 ゴールの部屋は、木でできた扉を開けてもやはり廊下と同様コンテナや樽などで埋まってしまっており、部屋の奥に入るにはいくつかコンテナの上によじ登り越えていかなければならなかった。


「ごめんね、いつか整理しようと思ってるんだけど・・・」


 そう言って、伊琉はコンテナに囲まれた部屋の中心に辿り着くなり、床一面に散らばったガラクタを雑にのけた。


「・・・お前ら、割と細目に行き来してんじゃねえの?

 なしてこんなに・・・」


 ガラクタをのけた下には、石畳の上にでかでかと珍妙な模様が描かれていた。どうやら魔法陣のようで、その見た目の禍々しさはマンガなどでよく見るそれと酷似していた。


「この式陣は、今じゃほとんど使われてないんだよ。

 これはワースの人が帰る時に使ってたものだからね」


 疲れ故に悟史は彼の言葉を右から左に流していた。ともかく、今は安全に、無事に家へと帰れさえすれば良いのである。細かい事情などはどうだって良かった。


「さて、と。

 じゃあ、準備はいい?」


 しゃがみこみ陣の上で指を滑らせていた伊琉は、少しして振り返った。


「・・・ああ。

 早う帰しとくれ」


「おっけー!

 ――――ほいっ」


 笑顔で返事するなり、伊琉は陣を軽くなぞり、立ち上がって何やらブツブツと唱え始めた。すると、少しずつ陣は光を帯びていき、やがては薄暗かった室内を満月の如く照らし始め、心なしか床から風さえも生じ始めた。


「お――――」


 光は見る見るうちに部屋を満たしていき、床を、壁を、天井を、荷物の限りを、そして伊琉、悟史をも包んでいき、やがて視界は眩い真っ白な光によって全てを染め上げられてしまった。


 何も見えない。何も聴こえない。五感が全て失われた彼は、もはや上下左右の方向すらも分からなくなり、地に足を着けているのかも分からなくなった。そうしている内に意識は思考を超越し、安らかな気持ちで充たされていった。




 次の瞬間、彼は一軒の民家の玄関先に立っていた。




「――――あ?」


「へえ、ここがさと兄の家かぁ!」


 思わず隣を見ると、伊琉も一緒に立っていた。辺りはすっかり夜の闇に呑まれており、時が止まったかのような静寂に包まれていた。


「帰ってきたよ、ワースに!」


 そう言われ、夢うつつな心持ちで目の前に佇む民家を呆と眺めると、確かに自分が生まれ育ってきた家に違いなかった。


「・・・・ああ」


 疲れと安心が一斉に押し寄せたのか、悟史は貧血を起こしたかのように立ち眩みに遭った。


「大丈夫?」


「・・・ああ。すまん、ちょいと、疲れただけや・・・」


 そう返すと伊琉はにこっと笑った。


「そっか。じゃあ、ゆっくり休んでね!

 僕はもう行くから!」


「え・・・?」


 玄関口を眺めていた悟史が彼の方を振り向いた時には、そこには既に見目麗しい朗らかな美少年の姿は無く、代わりに幾度となく目にしてきた安心の象徴たる光景のみが広がっていた。


「・・・・」


 何もかもが、現実とは思えない一日だった。スマホの示す日付は4月30日であり、深夜三時を回っていたため実際は昼休みから学校を離れ、十二時間ほどしかルデリックにいなかったらしい。つまり、あの瀕死の大怪我もやはり数時間で完治したということである。


「・・・・はは」


 全てが、夢のようだった。事実怪我は全く残っておらず、空野に襲われた証拠も、伊琉と出会った証拠も無い。学校がどうなっているのかだけは気になるが、僅かに残る記憶では、確か何ごとも起きなかったかのような平常を保っていたような気もする。


 しかし、夢であったと思おうとする悟史に警告するかのように、彼が身に纏っていた服は制服ではない、着心地も今までに感じたことの無いほど滑らかで軽く、柔らかな素材でできた真っ黒な半袖のシャツと真っ白なスキニーパンツだった。




――――ここは“ルデリック”っていう世界で、さと兄のいた世界とは違う世界なんだ!




 黒髪の少年が発した言葉を思い出す。まさか、と鼻で笑いながらも、悟史は溢れ出んとする複雑な思いを胸に無理やりにしまい込み、自室のベッドに力無く倒れ込んだ。


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