残された日常
「失踪?」
「そ。なぁんの連絡も無しに、よ」
昼休み以降、教室に戻ってこない悟史に若干の不安を覚えつつも特に心配はしていなかった梨花だったが、放課後になっても彼女のもとにやって来ないというのは些かおかしいと思った。しかしそれでも、元々猫のように自由奔放な性格なためこんな日もあるかと、あまり気にはかけていなかった。
だが、夕飯の時間になっても悟史が帰ってこないと優の方から申し出てきたため、流石の梨花も少しだけ心配になってきていたのである。
「じゃあ、どこにいるのか分からないの?」
「そーよ。ったく、どこに行ったんだか」
中学二年生の頃はよくある話だった。大体家にいるときはお腹が空いて、それ以上に動く原動力のない日だけであり、むしろ家にいないことの方が断然多かったくらいである。
「危ない目に遭ってないといいけど・・・」
「アイツは刺しても死なないくらいタフやけん、まあ心配はそんなしとらんけどねぇ」
二年前もそれだけ放浪していた彼だったが、彼自身が大怪我を負ったり、命の危険に晒されたりといったことは遂に一度も無かった。
「そういえば、今朝からなんだか気難しい顔してたかも」
ふと、優がそんなことを口にした。
「あ――――、そういや、そうやったかも」
朝、玄関先で顔を合わせた時。確かに悟史の様子に何か違和感があった。しかし、この日はそもそも朝起きた瞬間から、何か形容のし難い妙な感じがしていたのだ。しかもそれは彼女だけではなく、級友たちも口を揃えて語っていた。
気がついた頃にはそんな違和感も消え去り、割といつも通りの一日だったのだが、何か関係があるのだろうか。
「ねえ、梨花。
華菜さんと蒼さんは?」
「――――え?」
考え事をしている内に、いつの間にか話題は転換してしまっていた。
「あ、ああ・・・。あの二人はデートで小旅行に行ってるわよ。
お姉ちゃんが、大学の授業が休講になったとかでね」
「ふぅん・・・」
肉親というか、やはり共に暮らしていると性格も似てくるのだろうか。自ら提供した話題であったにも関わらず、梨花が答える頃には既に優は興味無さげであった。
「嘘やん・・・」
「そういや、学校はどうなん?」
「ん~、遠いかな」
「いや、もうちょい色々あるでしょ」
笹ヶ原家も福富家も、互いに今夜は一人であったため優は福富家に泊まることにした。そうした中で湯浴みを終え、リビングでのんびり二人してアイスキャンディーを頬張りながら、他愛のない会話を交わしていた。
「もうちょい・・・?」
「ほら、なんか気になる奴がおるとかさ」
「ぁ――――」
あくまで一例として出したのだが、思った以上に優の反応は大きかった。風呂上りにしてもやたらに頬を紅潮させた彼女は、同性でありながらもどこか思うところがあった。
「・・・・まだ好きなん?」
「・・・・悟史には内緒だよ?」
優の通う“奈艶高校”は、県内トップの偏差値を誇る公立高校で、毎年一流の国公立大学への進学者を異常なほど輩出しており、選りすぐりの生徒が通う超エリート校だった。それ故に入学試験の合格の壁も高くそびえ立っており、彼らの通っていた南仏中学校からは創立以来一人も進学者がいなかったのだ。
しかしながら優は非常に頭が良く成績も非の付け所の無いほど優秀で、また彼女が転校してくるまでは梨花が学年トップの座を揺るぎなくキープしていた。それほどまでにポテンシャルの高い二人だったものだから、奈艶高校の受験も許されたのである。
だが、彼女ら二人の他にも一人、奈艶高を目指して必死に努力していた男子がいた。彼はこれといって目立つ特技や特徴のある生徒ではなかったのだが、それだけに彼の努力の様子というのは皆が認めていた。
結果、三人とも受験に受かり、中学側からしてもこれ以上ないほどの快挙となった。しかし、残念ながら梨花は悟史の更生の監督を買って出たが故に、せっかく受かった奈艶を蹴って黒坂に入学したのだった。
実はこのもう一人の奈艶の合格者に、優は密かに想いを寄せていた。
「も~可愛いなあ!
いつ告白すんのよ⁉」
「こっ告白なんて、そんな・・・‼」
思わず優を抱き締めながら、梨花は彼女のせっかく整えた美しい黒髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように、乱暴にその頭を撫でまわした。
「もう・・・、梨花っ!」
「なぁによぉ! ええやんけこんくらい!
なに、登下校とか一緒にしてんの?」
テンションの昂った彼女の質問に、優は真っ赤に染め上げた美貌を俯かせ、小さくかぶりを振った。
「え、なんや別々なんか」
「・・・だって、私学級委員長だから帰るのが遅れちゃって・・・」
「相手は部活には?」
重ねて出した問いにも、彼女はかぶりを振り続けた。
「えぇ~、じゃあまだチャンスあんじゃん」
「でもまだ四月だし・・・。
もしかしたら入るかもしれないから・・・」
優とその想い人の二人は、元々陸上部の同期であった。優は三年生からの転入生であったうえ種目も違ったため部内でのあまり関わりは無かったのだが、高校では彼女は家からの距離が離れすぎているなどの理由から、部活に所属する気は無かった。
「・・・もしあっちが入ったら、優も入んの?」
「・・・悟史に迷惑かけちゃうから」
ふと顔を上げ、そう言って優は微笑みかけた。少し儚げな、薄幸なその相貌に梨花は何とも言えない嗜虐心を我知らず覚えた。
「いや、アイツも現にどっか行っとるし気にせんでええやろ」
「・・・でも、部活には入らないかな。
やるならきちんと取り組みたいし、不純な気持ちじゃ続かないだろうから」
梨花は、思わず優を先程よりも強く抱きしめた。
優は、中学時に全国大会にも出場したほどの実力者なのだ。それ故のストイックさと、恋心とに揺れているのがあまりに尊く感じ、抱き締めずにはいられなかった。
「そかそか。
優はええ子やなぁ」
「・・・どうしたの、梨花?」
笑いながら、優もまた梨花の背中に手を回した。
「ま、頑張りいや!
全力で応援するけんね!」
「・・・うん、ありがとう」
いつもと変わらない、ありふれた日常の一コマ。静かな夜に女二人で語り合う色恋沙汰。そんな絶対的な平和さに包まれて、彼女らは少し早めに床に就いた。




