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背負うもの  作者: ボールペン
第八話 さらば、日常
30/35

とどめの一撃は無へと帰す

 同じ棟、同じ階。十ある教室の内のひとつに、悟史は身を潜めた。もうこれ以上の部屋移動は望めそうになかったため、悟史はもはや教室の中で物陰に隠れることもなく、廊下とは反対側の窓際にぐったりと背を預けて座り込んでいた。


 コツコツと、悪魔のスタッカートが鳴り響く。もはや見つかることは明白であり、今更緊張もしなかった。ぼんやりとしたまま、漫然と空野の訪れを待つだけである。


「ひとつ、訊きたいのだけれど」


 悟史のいる教室の前で立ち止まり、すりガラス越しに彼女は口を開いた。


「『どうして殺すのか』とか、気にならないわけ?」


「――――」


 彼女のシルエットは、やはり何度見ても美しかった。その姿を呆と眺めながら、悟史は口を開けずにいた。


「・・・私は、アンタを殺そうとしている。

 確かな殺意を以て、一撃で殺せるにも関わらず苦しみを長引かせながら殺そうと、ね。


 ――――ふつうは、命乞いのひとつでもすると思うけれど?」


 空野はそっと、教室のガラスに手を添えた。


「――――して、なにか変わるのか・・・・?」


「別に。アンタが何をしたところで私の気は変わらないけど」


 絞り出すように発した声は、想像以上に掠れた弱々しいものだった。それでも、やはり彼女は視覚も聴覚もなんらかの補正が入っているのか、彼の言葉を正確に掬い上げた。


「何も語られず、何も断りも無く、日常の中で突然生命を奪われる。

 それに、なんの疑問をぶつけることもなく甘んじるというのが、私には理解できないわ。


 家族がいないからって、自暴自棄にでもなっているの?」


「――――――――あ?」


 ふと朦朧とした頭に、まるで曇り空に陽が差したかのように、彼女の言葉が鋭利に刺さった。その瞬間から、身体を覆っていた苦痛の限りも、脳内を支配していた靄も一斉に晴れ、同時にとてつもない勢いの激情が湧き上がってきた。


「アンタが死ぬのは免れようのない話だけれど、こんなに苦しい思いをさせられていることに関しては自らの父親を憎みなさい」


「なにを、言って――――」


 彼女の言っていることは、やはり悟史には理解できなかった。しかし、何故彼女の口から彼の父の話が出てきたのであろうか。謎が謎を呼ぶばかりで、困惑は熾烈を極めた。


「さあ、選択の時間よ。

 どちらか選びなさい」


 そんな混乱する悟史をよそに、空野は彼の最期を宣告した。


「焼かれて死ぬか、潰されて死ぬか。




 ――――――――どっちがいい?」




「・・・・・」


 悟史は何も答えないまま、ゆっくりと立ち上がった。これだけの大怪我を負いながらまだ動けることに内心驚きながらも、彼は真っ直ぐにすりガラス越しに彼女のシルエットを見据えた。


「無腸な男ね、貴方は。

 この期に及んで、まだ覚悟が定まっていないとでも?」


 空野は、呆れたような口調で嘲笑した。


「・・・・俺は、死ねない」


 よもやこのようなセリフを吐くときが来るとは思いもしなかった。それでも、本心から出たその言葉のとおり彼は一つの覚悟を決めていた。


「――――――――そう。




 なら、せいぜい足掻きなさい」




 彼女の言葉を契機として、一斉に廊下側のガラスが甲高い音をがなり立てて粉砕した。それと同時、恐らく他の教室から飛んできたのであろう、無数の机や椅子や、およそ教室に配備されているであろう備品のその全てが彼を目掛けて、所狭しと襲い掛かってきた。


「――――っ」


 しかし、覚悟は決めていた。彼はガラスが粉砕すると同時に背後の窓を勢いよく開け放ち、その窓枠に足を掛けた。三階の高さからのコンクリートへのダイブがどれほどのリスクを負うのかは知らない。しかし、少しでも生き残る可能性の高い方へと彼はその生命そのものを賭けたのだ。


「ぅおっ」


 そのまま振り返ることもなく、悟史は思い切り外の世界へと身を投げ出した。そしてそのまま、無重力感に苛まれながら落下する――――――――はずだった。




「残念でした」




 背後から微かに聴こえた彼女の含みのある声と共に、勢いよく窓の外へと投げ出された彼の身体は、得体のしれない強弾性の見えない壁によって思い切り跳ね返され、教室の中へと吹き飛ばされてしまった。


「ぁ」


 その瞬間、悟史は生き残る可能性が完全に閉ざされてしまったことを悟り、全てを諦めた。すると不思議なことに、彼の視界に映るその全てがとてつもなくスローモーションになってしまった。床に叩きつけられた衝撃を背中に感じる頃には、彼を襲う備品の嵐の最先端が目と鼻の先にまで切迫し、悟史はいよいよ死を受け入れた。


 しかし。




「一ノ形‼‼」




 彼に触れるか否か、その寸前にまで差し迫ったその瞬間、悟史でもない空野でもない、聴いたことのない叫び声が彼の鼓膜を揺さぶり、同時に床に仰向けに倒れた彼を跳び越えるように、何者かが教室内へと乱入してきた。


 それも彼がたった今出られなかった窓の外から、頭からダイブするように突っこんで来たのだ。そしてそのままその人物は、空中で一回転すると、悟史と、彼に肉薄した備品との間目掛けて着地がてら、手に持っていた何かは分からない細長い棒状の武器を縦一文字に振りぬいた。


 刹那、非常に澄んだ心地よい切断音と共に、悟史へと向かっていたはずの備品の嵐は、彼を庇うように彼の前に仁王立ちする謎の人物を避けるように、左右へとその列は割け広がり、後方の窓ガラスを片端から粉砕しつつ校舎外へと落ちていった。


「――――な」


 呆気にとられる悟史をよそに、その謎の人物は空野の方をまっすぐに見据えていた。


「お姉ちゃん!

 殺してはいけないって、おじいちゃんに言われたでしょ!」


 その人物の声は、ずいぶんと幼かった。果たして男なのか女なのか、性別すらもよく分からないような絶妙な声色、声質で、彼の視界からぼんやりと映るそのすらりと伸びた脚も、随分と細く、むしろ華奢なくらいだった。


「・・・・なに、邪魔するの?」


 謎の人物にお姉ちゃん、と呼ばれた空野は、今までに見たことのないくらい不機嫌そうなくらい面持ちで、初めて聞くドスの利いた低い声を発した。


「お姉ちゃんがこれ以上虐めるつもりなら、僕は何が何でも止めるつもりだよ!」


 そういった人物が手に持っていた武器らしき棒状の細長い物体。完全なる死を覚悟した直後にそれを免れすっかり気の抜けてしまった彼の、朦朧とする意識の中で映し出されたそれは、どうやら長物のようであった。


「・・・わかっているの、伊琉?

 その男は、殺されるべきなのにも関わらず、のうのうと今まで生きてきたのよ。

 どれだけのリスクを孕んでいるのかも知らずに・・・」


 終始余裕を保っていた空野の声が、僅かに震えているような気がした。イル、と呼ばれた助っ人は、そんな空野に向けて下ろしていた長物を構えた。


「・・・この人自身に、罪は無いよ」


「――――ふぅん」


 伊琉の構えた長物は、どうやら刀のようであった。刃部は青白い光を発しているようで、薄暗い教室内をも明るく照らし出していた。


 しかし、そんな刀の剣先を向けられて尚空野は高圧的な態度を崩さなかった。


「・・・言っておくけれど、アンタがいくら邪魔しようと容赦しないわよ」


 彼女の眼光は鋭く、机ですら真っ二つに分断した刀を以て中段に構えた伊琉をも意に介さない勢いであった。しかし、伊琉の方も一切引き下がる気配が無かった。


 彼女の足下周辺に散らばったガラス片が、まとめて中空に浮遊し、漂い始める。それらはゆっくりと彼女を中心とする台風のように彼女の周りを、少しずつ速度を上げながら旋回していった。


 やがて、ガラス片ひとつひとつが肉眼では捉えられないくらいにまで加速すると、彼女はただ一度、パチンッと指を鳴らした。


 その瞬間。今まで悟史を襲ってきた氷の槍や食器や、先程の備品の数々など比較にならない程の速度を以て、一瞬にして二人の下へとガラス片の嵐は肉薄した。襲い掛かってきたガラス片の群はまるで龍のようにうねりながら、二人を飲み込まんとばかりに大口を広げて迫った。


 悟史は朦朧としながらも、それが確実に命を仕留めに来ていることを理解した。しかし、それに対して反応することすら許さないほどの速度であったため、たとえ心身が万全の状態であったとしてもどうにもならなかったであろう。ここに来て初めて悟史は、空野がどれほど手を抜いて彼を襲っていたか、少しだけ実感した。


 しかし。




「――――零ノ形」




 呟きと同時、伊琉は構えていた刀を真一文字に、一切の無駄を取り払った洗練された動きで振るった。その軌道を青白い光がなぞり、されどまるで時が止まったかのように、その一連の動きには“音”が無かった。


 そして彼の空を斬った斬撃の後、彼らを飲み込まんとしていたガラス片の龍は、まるで掃除機に吸い込まれるが如く刃が生んだ軌道の上に引き寄せられ、集約され、そして消え去って行った。


「・・・・・・」


 空野が凄まじいスピードでぶつけた攻撃は、伊琉の技によって完全に無効化されてしまった。その様子を眺め、空野は僅かに目を細めた。


 直後、その刃の軌道を中心に空間に亀裂が広がり始めた。しかし空野は一切慌てるそぶりも無く、再び指を鳴らした。


 すると、一瞬の内に辺りの景色はC棟の屋上へと転変し、更に今まで失われていた風の音や人々の喧騒などの環境音も、一斉に取り戻された。まるで、夢から目が覚めたかのように、現実に引き戻されたような錯覚と共に。


「零ノ形――――。

 こっちでそんな大技、お披露目してもよくって?」


「背に腹は代えられないよ・・・。

 それに、・・・魔術自体使用禁止でしょ」


 伊琉の先程の技はどうやらかなりの大技だったらしく、伊琉はいつの間にやら肩で息をしていた。悟史は、消え入りそうな意識のまま起き上がることすらできなかったにも関わらず、次々に起こる超常的な光景に何度も目を見開かされていた。


「あ~あ、結界ごと消しちゃうし、ほんっとイライラする」


「・・・ごめん」


 空野の怒りはかなり昂っていたようだったが、反してもはや彼女には戦意も殺意ものこっていなかった。伊琉もその様子を窺い、抜き身だった刀を鞘に納めつつ、しょんぼりとした口調で謝っていた。


「・・・お姉ちゃん。

 その、治療、してあげたいんだけど・・・・」


「私がするとでも? 馬鹿なこと言わないで。

 したいのなら貴方が勝手にしなさい。私は一切関わらないから」


 まるで親と子供のような会話を交わしていた。薄れゆく意識の中で、悟史は昔弱った捨て猫を拾ってきた梨花が、動物嫌いな華菜に同じようなことを言われていたのをふと思い出した。


「・・・・・わかった」


 伊琉が拗ねたように俯きながら頷くと、空野は再三、風に吹かれたろうそくの灯火の如く音も無く一瞬にしてその姿を消した。


 どうやら、本格的にこの伊琉という人物は味方らしい。何者なのかは全く分からないが、とりあえず目下最大の敵であった空野がこの場から完全に離脱したことに安堵したのか、悟史は見ず知らずの伊琉の腕の中で、ギリギリしがみついて離さなかった意識をいとも易く放り出してしまった。


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