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背負うもの  作者: ボールペン
第六話 雨の日の思い出
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クソみたいな世界のクソみたいな人生

 母はいない。記憶にある最後の姿は、町中で若い男と歩いている姿だった。離婚するきっかけとなったのは、父の酒癖と女癖の悪さだった。仕事のストレスから暴飲暴食を繰り返し、酒をたらふく飲んでは完全に酔っぱらった状態で帰宅し、母と息子に暴力をはたらいていた。また、度重なる浮気は度を越したもので、一時は愛人を四人も抱えていたくらいだった。


 父曰く、自分で稼いだ金で女を買って何が悪い、と。母は専業主婦であったため、そんな父に文句ひとつ言わず家を守ってくれていた。どれだけ浮気されようと、暴力を振るわれようと、涙ひとつ見せようともせずに献身的に暮らしていた。


 しかし、当然ながら限界はいずれ訪れるものである。愛人に貢ぐ金額が多すぎるがために、息子の学費がいよいよ賄えなくなったのである。それゆえ、今まで一切父に意見してこなかった母はその時初めて提言した。しかし、当然荒れていた父が聞き入れるはずもなく、それどころか烈火のごとく怒り狂い、母はその際の暴力によっていくつか消えない傷痕を残すことになってしまった。


 それが、最終的な引き金となった。完全に愛想を切らした母は、何の予告もなく突然家からいなくなってしまったのだ。前日まで普段通り何の変化もなく過ごしていたのが、翌朝起きたら荷物も何もかも消え、置手紙すら残さずに失踪してしまったのである。


 当然、父は怒り心頭し残された息子にひたすら暴力を振るってストレスを解消しようとした。しかし、そんなことをしても母が帰ってくることがないことは、本人もよく分かっていたのだ。それ故か、その日を境に父は愛人関係を全て断ち切り、仕事もそつなくこなし、酒癖の悪さは相変わらずであったが、以前ほど暴力も激しくはなくなった。


 しかし、今更変わったところで彼のそれまでの所業を、息子が許すはずが無かった。中学生になった彼はあくる日、いつものように暴力を振るってきた父の横っ面を思い切り殴り飛ばした。もんどりうち、血を吐き出しながら倒れ込む父を見下ろしながら、彼は居ても立ってもいられなくなり家を飛び出したのである。


 しばらくして後帰宅しても、父は何も言わなかった。その代わりか、それ以来父からの養育に関する支援は一切なくなり、言葉も二度と交わさなくなった。三度の食事も、風呂も、トイレも何もかも自分でこしらえるようになり、実家には“寝かせてもらっているだけ”の状態となったのだ。


 暴力も、それ以来一度も受けていない。ただ同じ屋根の下で寝泊まりしているだけの、赤の他人のような生活だった。


 そしてそれは、今も同じ――――――――。




「・・・・・」


 雨に打たれながら、ふと目を覚ますとすっかり日が沈んでしまっていることに気が付いた。ただでさえ人通りの少ない路地裏である。いくら都会の一角とはいえ、一日中誰の目にも止まらず寝ていることも無くはない。


 身体は完全に冷え切っていた。前日の夜からほぼ一日中雨ざらしなのだから、無理もない。体勢も恐らく、一度も変わっていないのだろう。痛覚はとっくに麻痺してしまっていたが、それとは関係なく動きそうにもなかった。筋肉が固まってしまっているのだろうか。


「・・・・はぁ」


 溜め息をつくのが精々、といったところだった。それ以上もそれ以下も望めない今、本気で死すらも身近に感じていた。


 初めて父を殴って家を飛び出したあの日も、町中で母を久々に見かけたあの日も、いつも雨が降っていた。それも今日のような、しとしとと静かな、激しさのない涙雨が。


「はっ、ははは・・・・」


 この世界は、クソだ。こんなにも報われない人生など、何の意味があるというのだろうか。せめて自分の不幸によって誰かが幸福を噛み締めているというのならば価値の見出しようもあるのだが、とても誰かの役に立てているとも思えなかった。


 十五歳など、人生を一日に例えるとまだ朝の六時くらいなものらしい。そんな朝も早くから、これから始まろうという一日をああだこうだと決めつけてしまうな、と。そんなことを言う人間も少なからず存在する。


 だが、先のことなど知ったことではない。いくらこの先が長く続こうとも、今という瞬間は、今までの十五年間という人生の最後に位置する。その今、歩んできた道を振り返って、それが最悪だと言っているのだ。これから先何が起ころうが知ったことではないのである。


「はははははははは」


 最低の気分だった。それがなんだか、救いようが無さ過ぎて。気が付けば石崎は腹を痙攣させて笑っていた。血を流しすぎたからか、栄養不足か水分不足か頭痛がかなり酷く伴ったが、そんなことは些細な問題だった。


 ある意味、ケンカしている時が一番生きがいを感じる。自分のその時一番強い感情を、欲望を、前面に出せている、そんな実感があるような気がしたのだ。




 その時。そんな彼の笑い声を聞きつけてか、数人の警察がようやく彼を発見した。




 すぐさま病院に運ばれ、点滴を刺され、幾多もの診察を受けた。どうやら全身で十カ所にも上る骨折があったらしい。幸い内臓には影響がなかったものの、如何せん発見が遅く、また長時間雨ざらしに遭っていたのも含めかなり危なかったのだそうな。


 色々と事情聴取やら何やら受けさせられるものだとばかり呑気に考えていたのだが、どうやら本人が思っていた以上に重体だったらしい。病室の入り口には面会謝絶の札を下げられてしまい、絶対安静を強いられることとなった。


「・・・・・・」


 いっそのこと半殺しではなく、止めまで刺してくれればよかったのに。入院費や診察費、その他諸々の出費を考えると、せっかくアルバイトを重ねて溜めてきた貯金のほとんどが水泡と帰してしまうような気がしてならなかった。しかも、火曜日は夕方からシフトが入っていたため、連絡も無しにサボったことになっているのだろう。


「・・・あ~」


 身体の状態は見ての通りだったが、むしろ精神の方が病みそうであった。その肩にのしかかる様々な責任問題があまりにも高い山をつくってしまっており、考えるのも億劫になりそうだった。


「――――寝よう」


 雨ざらしに遭っていたせいか病室の布団がとても温かく、悩みも何もかも溶かしてしまいそうなくらいに心地よかった。その温もりは、一日前の圧倒的な暴力とは違う、包み込むような優しさに溢れており、彼の瞼は否応なしに閉じられるところとなった。


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