天才とは
4月21日。この日は雲一つない快晴で、かつ日差しもそこまで強くなく、非常に過ごしやすい日となっていた。普段好んで外に出ようとしない悟史だったが、この日は何となく室内よりも屋外にいたい気分だった。
昼休み。優の分も兼ねて作った弁当を手に、本来は禁止されていることも忘れ、悟史は本能の赴くままに屋上へと繰り出た。しかし存外にも屋上には誰もおらず、しんと静まり返っていた。
一人になる時には静寂を求めがちな彼としては、嬉しい誤算だった。聴こえてくるのは遠く離れたグラウンドの喧騒と、自然の織り成す調律のみ。桜は花の代わりに葉が増え、少しずつ夏が迫ってきているのを五感で感じられる、そんな環境だった。
しかし。
屋上の出入り口の屋根上には、たった一人、先客が寝そべっていた。
「お・・・」
「あら、笹ヶ原君。
こんにちは」
随分と美しい先客だった。何故彼女が屋上にいるのかは分からないが、特に何をするわけでもなく寝ていたらしい。
「なにしてるんですか」
「特に何も。ただ、いい天気だなって思ったから」
空野はそう言うと、コンクリートの上に何も敷くこともなく、そのまま再び寝そべってしまった。
「・・・汚いとか、思った?」
「えっ」
「ふふ。貴方もやってみたら?」
悟史の方を一瞥もすることなく、彼女は彼が少しだけ考えたことを正確に撃ち抜いた。
「・・・・」
平常の彼ならば、そう誘われたところで有無を言わさず断っておしまいなのだが、不思議とこの時はそんな気にならなかった。気候の心地よさにやられたのか、言われるがままに彼は弁当箱を端に置き、彼女同様寝そべった。
「――――ぁ」
「どう?
気持ちいいでしょ?」
沢山日差しを浴びていたにも関わらず、背中に触れたのはひんやりとした、快適な触感だった。
「・・・えぇ、まあ」
「私、ここが入学したころからずっとお気に入りの場所でね。
高さも他のどの棟の屋上よりも高いから、他人に見下ろされることも監視されることもないし」
監視などという物騒な単語が出てくるあたり、やはり学校一の人気者は大変なのだろう。しかしそれもそのはず、女子生徒に対して一切そういった意識をしたことのなかった悟史ですら、空野に対しては若干の緊張を抱いているほどである。健全な男子高校生ならば、学校の閑静な屋上で、絶世の美女と二人きりというシチュエーションなど、とても耐えられるものではないのであろう。
「・・・」
「・・・お腹、空いたでしょう?
私に構わず食べて」
この女は読心術でも身につけているのか。先程から、悟史がふと頭に浮かべたことを的確に当ててくるのは、一体どういうことなのだろうか。
「ここ、いいでしょう?
案外静かだし、人もあまり近づかないし」
「・・・俺、邪魔ですか?」
「別に構わないわ。
私のものというわけでもないから、使用はご自由に」
弁当箱を広げつつ尋ねる悟史に、空野は寝転がったまま微笑みかけた。不覚にも、それがあまりに唐突で刺激が強く、思わず彼は目を逸らしてしまった。
「・・・知識として知っているからって、実際に試そうとしないのは勿体ないわね。
せっかくの人生だし、私は一回きりならできるだけ沢山のことを識りたいと思うのだけれど」
「え?」
「貴方は、どう思う?」
彼女の言動、行動は、どうしても予測不能であった。天然だったり馬鹿だったりで何を考えているのか分からない人間は何人かいたが、空野のように何か彼の理解の及ばない、もっと高尚な世界で生きている人間とは、あまり関わってこなかったのだ。
「・・・まあ、人それぞれじゃないですか?」
「そうね。だって、自分の人生だものね」
彼女はそう言って、再び空を仰ぎ見た。流石A組に配属されているだけあって、どうやら悟史には分からない、高次元の中で生活をしているらしい。
しかしそんなことも気にならなくなる程には、彼女は美しかった。微笑んだ顔ももちろんだが、こうして隣で寝転がり、空をぼんやりと眺めている横顔もまた格別の代物だった。同じ高校生とは思えない程まぶしく、何時間でも見惚れていられそうであった。
「ねぇ、笹ヶ原くん」
「はい」
そんなことを考えているとふと、空野は悟史の方を振り返った。慌てて目を逸らす悟史をじっと見つめ、彼女は少しだけ口角を吊った。
「天才と馬鹿の違いって、なんだと思う?」
「え――――」
唐突な質問に、思わず彼は箸を止め彼女の方を振り返った。空野はうっすらと目を細め、微笑を浮かべていた。
「よく言われることだけれど、『天才と馬鹿は紙一重』って。
じゃあ、その紙一重の違いって何だと思う?」
そう言って彼女は、ゆっくりと上体を起こし、手慣れた様子で乱れた髪をかき上げた。
「・・・さあ、考えたことないです」
「じゃあ、ちょうどいい機会ね。
ちょっとだけ考えてみて?」
にこっと、彼女は笑った。その笑顔が悟史には眩すぎて、彼は弁当の残りを咀嚼もせずかき込んだ。
「・・・天才は何らかの発明が出来て、馬鹿は何の役にも立たないってことじゃ?」
「――――なるほどね」
とりあえず、パッと浮かんだ考えを彼女にぶつけてみた。緊張のせいで彼女の方を向くことは出来なかったが、答えを聞いた彼女は顎に手を当てているようだった。
「天才は、人々の役に立つものを作るけれど、馬鹿にはそれができない、と?」
「まあ、そうですね」
「・・・そうね、きっとそれも一つの答えだと思うわ。
天才っていうのは、何も発明家に限るものではないけれどね」
そう言われて、悟史は若干納得した。だが、その反面自分が一体何をしているのかよく分からなくもなってきていた。
「天才は、人の役に立つことができる。
馬鹿は、それができない。
――――ですか?」
「うん、それならもっと多くのジャンルの天才を包括出来るわね。
論としても、単純明快で悪くない」
悟史は普段、このようなアカデミックな思考をしないため、かなり不思議な気持ちだった。
「ということは、笹ヶ原君にとって天才とは、『人の役に立つことができる人』ということで合っているかしら?」
「・・・・まあ、そうじゃないですか?
役に立たない天才とか聞いたことないですし」
天才と呼ばれる人間も馬鹿と呼ばれる人間も、どちらも凡人とは異なる思考回路を持ちがちである。常人にはおよそ分かり得ない、特殊な考えを持っていることが多い。だが、天才と呼ばれる人間というのは往々にして何らかの形で人々に認められるような実績を残している。残しているからこそ天才とされるのかもしれないが。
「天才だとか馬鹿だとか、そういった称号というのは基本的に第三者が決めるものよね。
だとすれば、確かにそれは間違いではないわ」
「そうですか」
それこそ、天才のみが集うA組に所属している空野がそういうのであれば間違いはない。悟史は、案外自分がまともな思考をできるのだとむしろ驚いていた。
しかし。
「私はね。
天才とは『他を考えない人』だと思っているわ」
空野の考えは、やはり理解の及ばないものだった。
「・・・は?
え、じゃあ馬鹿は・・・?」
思わず訊き返すと、彼女は女神のようであった優しい微笑みから一転、小悪魔のような、少し含みのある微笑みへと表情を変えた。
「馬鹿とは、『他を考えられない人』のことよ」
「・・・・??」
少なくとも、彼女は天才なのだろう。理解は及ばないが、言葉を交わしていて少なくとも馬鹿ではないと感覚では感じられた。
「天才はいつだって、時代を動かしてきたわ。でも、時代が動くときには必ず犠牲が伴うものよ。その犠牲を厭わない者こそが、天才だと私は思っているわ」
「・・・すんません、もうちょい分かりやすくお願いします」
「そうね・・・。
例えば、革命者。彼らはいつだって、数えきれないほどの骸の上を歩んで来たわ。幾多もの犠牲の上をね。革命に犠牲は付き物だから、避けては通れない道よ。
そんな血にまみれた道を歩むほどの精神力の持ち主。それこそが天才たる証拠よ。」
空野は、滔々とそう語った。しかし、やはり悟史の頭ではその話自体の理解はできるものの、そこから先程の結論につなげることは出来なかった。
「『他を考えない』というのは、犠牲を何とも思わないって意味ではなくてね。あらゆる可能性の中から、確実に正しく、且つ最もマシな選択肢を選び抜くことができるってことよ。だから、最良の選択肢でさえ払わざるを得ない犠牲に関しては躊躇を無くすことができる人こそが天才だと思うの。
ここまで言えば、馬鹿がどんな人かわかるでしょう?」
空野の話は、如何にも頭の良さげな無駄のない語り方で展開され、収束した。『他を考えない』の“他”とは、他者はもちろん他の選択肢という意味も含まれているらしい。つまり、馬鹿な人間というのは最適な選択肢を選ぶこともできなければ、そのために犠牲となるものにまで思慮を広げられない者のことを指すのだろう。
「・・・・で、それがなんですか?」
「うん、すこし天才って何だろうって考えていてね」
弁当箱を片付けながら、悟史は半分ほどしか理解できないまま空野を見た。彼女は制服の皴を伸ばしながら、再び空を座ったまま見上げていた。
「結論が見つかったから聞いて欲しかったんですか」
「いいや? 私は単に貴方に私の考えというのを知ってほしかっただけよ」
やはり、彼女が何を考えているのか全く分からなかった。果たして自分の頭が悪いせいなのか、それとも彼女があまりに高度な思考回路をしているのか。悟史は彼女の美しすぎる容貌に魅了されていた反面、内面を、会話を通して垣間見て、深淵を覗き込んだ気がした。
「・・・教室に戻ります」
「笹ヶ原くん」
「はい・・・?」
色々なものに堪え難くなり、思わず立ち上がると、ふと学ランの袖を引かれた。
「私、貴方をずっと待っていたのよ」
「――――え?」
目を細め、悪魔的な笑みを零しながら、彼女は不可解な一言を放った。それが、理解できないにも関わらずあまりに蠱惑に満ち足りていて。
刹那、チャイムが彼の鼓膜を打ち付け、思わず空野から目を逸らし、他の棟の方を振り返った。
「あっ、ほら・・・、もう昼休みは――――」
そう言いかけて彼が再度彼女の方へと振り返った時。
そこには、誰もいない屋上が広がっていた。




