笹ヶ原家
悟史に家族はいない。優を除いて、肉親と呼べる者も、今となってはいなかった。
彼には、二つ下の妹と、五つ下の弟がいた。それぞれ名は“恵那”、“大和”といい、彼は面倒見の良い長男として振る舞っていた。というのも、母は一番下の弟の出産後に離婚してしまったらしく、当時五歳だった彼も母の記憶はほとんど残っていない程で、彼ら三兄弟は父の、男手一つで育てられたのである。
なぜ離婚したのかは、父は最期まで教えてくれなかったが、どんな理由であれ三人の子を放って蒸発するということは、おおかたろくでもない女だったのだろう。父もまた馬鹿がつくほど正直で素直な、お人好しな性格であったため、今考えればきっと騙されてしまっていたに違いない。
父はとても勤勉な人で、仕事も欠かさず、且つ三人の子守も不器用ながらにこなしていた。だが、その疲労は当時小学生だった悟史にも感じ取れるほどで、自然と悟史は父に負担をかけないよう、自分はもちろん兄弟の面倒も積極的に見るようになった。
だがそれとは別に、父の旧友である福富孝也が、忙殺され、みるみる痩せていく父に救いの手を差し伸べた。福富は学生時代からの父の親友で、今でこそ世界進出するほどの大企業の社長として、不自由の無い暮らしをしているが、学生時代から起業時にかけてはとにかく父に世話になったのだという。
また、孝也の妻である梨菜も、父とは夫よりも古くからの付き合いで、彼女も父には随分と助けられた過去があるという。そのため、苦しんでいた父を助けることに一切の躊躇もなかった。
当時はまだ彼らも日本におり、また二人の娘がいたため、都合を合わせては彼らを会わせ、もはや三人の子であるかのように、五人の幼子を育てていた。特に梨花と悟史に至っては誕生日も一日違いで、病室も同じであり、そこから保育園、小学校も同じであったため、姉弟どころか双子のような扱いだった。
父の離婚後は、父を福富夫妻が社員として雇用し、それからようやく生活が安定し始めた。常にやつれていた父も血色良くなり、次第に元気も取り戻していったため、休日にはよく五人を連れて色んな所に連れて行くことも多々あった。
その頃は、本当に幸せだった。思い出ひとつひとつを正確に覚えているわけではないが、とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。家族はもちろん、福富家とも当然仲が良く、また学校生活も仲の良い級友がたくさんいて、非常に充実していた。
しかし、幸せはいつか終わるもの。
悟史が中学二年生に上がろうかという頃に、事件は起こった。
父が有休をとって、春休みに旅行に行こうと言っていた。小中学校の春休みは三月の後半からだから、それまで学校に行くのがとても億劫だったのをよく憶えている。それでもなんとか修了式を三人とも終え、ようやく春休みとなったため、父もよほど楽しみにしていたのか、ずいぶんと前に作ったのであろう旅行計画を綴ったノートを引っ張り出して、家族四人で談笑したものだった。
しかし、出発当日。悟史がどこからか貰って来たインフルエンザにかかってしまった。少しばかり時期を外れていたために余計に悔しかったが、父に心配と迷惑を掛けたくなかった悟史は、福富家に看病してもらうからと、三人で旅行に行くよう促した。父は随分と迷った様子だったが、恵那と大和もその旅行をずっと楽しみにしていたため、やむなく福富華菜に看病を頼み込み、出かけて行った。
福富夫妻は、その頃は既に海外支社に滞在を始めており、福富家は当時高校三年生だった華菜と、悟史と同様中学一年生だった梨花の二人暮らしだった。そのため、両親からは惜しみの無い経済援助のみで、面倒見は笹ヶ原で行うこととなっていたのだ。
だが、出かけて行ったその日の夕方。高熱で意識も朦朧とする中ふと目が覚めた悟史は、ふらふらとした足取りでトイレに行こうとする途中、リビングで震えながら涙を流す姉妹の姿を見かけた。
あの時、振り返った彼女らの顔は未だに鮮明に脳裏に焼き付いている。目を見開き、身体は小刻みに震え、肩には力が入り、鼻水も涙も涎もぐちゃぐちゃに混じってしまっていた。頬は紅潮し、髪は乱れ、悟史を見るなり、声も出せずにかぶりを振っていた。
どうした、と、彼が力なく尋ねると、梨花は悟史を力強く抱き寄せ、むせび泣いた。訳も分からないまま、彼は俯く華菜を尻目にふとテレビの画面を目にした。
そこには、とある事故の報道が映っていた。どうやら、大規模な交通事故が起こったらしい。家族連れの乗用車が、大型トラックと電車とに挟まれ、更には近くの通行人をも巻き込んだ大惨事であったようだった。
だが、そんなことはどうだって良かった。なぜなら悟史もまた、その画面の下に流れるテロップに釘付けにされていたからである。
死傷者の名には、笹ヶ原崇秀(41)とその子供の恵那(11)、大和(8)の文字が連なっていた。
高熱で朦朧としていた意識は急激に冴えはじめ、それと反比例するように思考は急速にそのはたらきを失っていった。何が起きたのか、認識はしながらも理解が追い付かず、ただ呆然と号泣する梨花と、ソファに腰を下ろしたまま俯いてすすり泣く華菜と、淡泊な声でニュース記事を読み上げてられていく報道画面とを交互に見ていた。
家族が、死んだ。その事実を突如押し付けられ、感情的になる余裕すらなく、漠然を受け取った。しかし、当然ながら取りこぼしてしまった。何度拾おうとも、それはまるできめ細かな流砂の如く手の内から流れ出で、遂には掴み取ることも叶わなかった。
それでも身体というのは正直である。いくら心で受け止めきれなかろうと、我知らず身体が動いてしまうことはよくある話だ。事実は受け止められていないはずなのにも関わらず、頬を冷たいものが走り抜けていった。
どれくらいの時間、その場に佇んでいたのか。テレビはとっくに他のニュースへと転換しており、どこを見ても件の情報はやって来ないというのに、悟史は高熱が出ていることも、便意すらも忘れてただただ放心していた。




