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妖しと仏(下)

 

(6)

「駆け寄ったわたくしがそこで見たものはーー胸を竹槍で貫かれ、すでに生き絶えた義宗と・・・その義宗を犯す、わたくしの師でございました」


 両手を強く握りしめた孝宗は、目を閉じ、長く、大きく息を吐いた。

 隣で耳を傾けていた霊仙も共に目を閉じた。

 霊仙は風を感じていた。それは、草が靡なびくかどうか、羽虫が煽られるかどうかの、そんな頼りないほどの風であった。

 大気がゆっくりと動いているのだ。と、霊仙は、そう捉えている。

 こんな夜はどうにも落ち着かない気持ちになる。しかし、それもまた心地良いものだと、楽しんでいる風でもあった。


「翌朝です。師が即身仏となることを告げられ、その後、ここに安置することとし、村を守っておられるのです」


 霊仙は孝宗の言葉で、我に返った。

 即身仏ーー己の身をもって、仏となる行である。


「噂は広まり、多くの拝観がありました。中には、あの日、村を襲った野盗の1人だという男もおりました。命を捧げる覚悟であったようです。しかし、あれから数年経っていたこともあるのでしょう、村の人たちは男にそれを求めませんでした。今では、村の1人として、過ごしておりますよ」


 孝宗は、隣に座る霊仙へと顔を向けた。霊仙の横顔には笑みが浮かんでいるように見えた。


「ようございましたね」


 と、そう言ってきそうな表情である。しかし、霊仙の口から出てきた言葉は予想しているものとは違っていた。


「それで、ですかーー中に居られる仏様の御心が・・・」

「・・・心が?」

「辛いとーーそう嘆かれております」

「ーーなんと」


 孝宗は、霊仙に向けていた目を、大きく見開いた。


「我が師が、辛いと、そう申しておるのか?」

「いえ、聞いたわけではありません。そういった心持ちであられる。ということです」

「なぜわかるのか」


 孝宗の言葉が、先までの丁寧なものではなくなっていた。

 即身仏とは、修行の中で最も過酷なものである。

 食物を断ち、水を断つ。更には、漆を飲んで吐くことで、身体の水分を絞るように出し尽くす。

 そして、最期は土中に潜り、読経もしくは瞑想状態のまま絶命に至る。それでミイラ化したものが、即身仏と呼ばれることになるのだ。

 想像を絶する、荒行である。それを成し遂げた仁宗を、誇っていた。

 即身仏とは、己の悟りを開くことが本来の目的である。しかしーー


「盗賊に全てを奪われ、悲しみに打ち拉がれた人々を救うために、己の身体と引き換えに救済を祈念され、往生されたのだ。それが、辛いと?」

「残された人のために、または無慈悲にも命を奪われた人のためにも、そういった慈しむ想いはございましょう」

「ならば、辛いことなどあるはずがない。今の村の様子を見られるといい。ここに師が居られるというだけで、皆が心安らかに過ごしているのだ」


 孝宗は激していた。身振りは大きく、声も荒げている。霊仙に、今にも掴みかかりそうな勢いであった。


「ではーー」


 言うと、霊仙は立ち上がった。

 表情は先までと変わらず、笑みが浮かんでいるようであったが、声の調子が違っている。低い声だ。


「ご自身の目で見られたらいかがでしょう」


 と、霊仙は堂の扉に手を掛け、引いた。

 錠のされていない扉は、抵抗もなく開いた。霊仙は、間をおかずに足を中に踏み入れ、そのまま須弥壇の前まで進んだ。


「さあ」


 霊仙が振り返り、孝宗を促した。しかし、孝宗は階の上から動いていなかった。

 その表情は険しいままであり、腰を上げることすらもできていない。

 そんな孝宗に対し、霊仙は再び声をかける。


「どうかされましたか?」


 穏やかな口調である。

 霊仙の前には、高さ5尺(約150㎝)を超える須弥壇がある。その前面には両開きの扉があり、こちらも錠は付いていない。

 つまり、誰でも堂に入り、須弥壇の中に安置されてある仏の姿を見ることができるのだ。


「わたくしは・・・いい」


 孝宗は俯き、霊仙に背を向けた。


「ーーそうですか。では」


 霊仙は静かに両手を胸の前で合わせ、ポツリと何かを呟いた。

 小さな指を扉にかけ、ゆっくりと開けた。

 重たい扉であった。


「錠はされておりませんが、須弥壇の作りを見るとわかります。安置されてある仏様は、生前に人々から愛され、即身仏となった今でも変わらずに大切にされている人なのだと」


 扉が開くと、たちまち異様な匂いが部屋中に立ち込める。目を凝らすと、小さな羽虫のようなものが飛び回っている。


「きっと孝宗殿は拝観されたことがないのでしょう」


 霊仙は、視線を中に注いだままで訊ねた。


「馬鹿なーー」


 孝宗は顔を上げ、答えた。


「では、孝宗殿にお訊ねしますが」

「ああ」

「最後にお祈りされたのはいつですか?」

「・・・最後、に」

「ーー何日毎に、こちらへ足を運ばれていますか?」

「・・・足を運んだのは」

「ーーこちらの御堂を建立されたのは?」

「・・・この堂は」

「そもそもーー」


 気づけば霊仙は、蹲り頭を抱える孝宗の側に膝をつき、その表情を覗いていた。


「孝宗殿。あの即身仏はあなたなのですよ」

「・・・わたくし? あれが、わたくしだと? 一体なにをーー」

「道中、あなたが私に声をかけ、今、こちらに戻られるまでどちらに?」

「たしか・・・村へ行き」

「なぜ、先程は森の中から現れたのですか? 獣道のようではありましたが、その道を外れ闇の中、歩けるような森ではありませんでしたよ」

「では、わたくしは、今までどこに・・・?」

 孝宗は両手で顔を覆うと、声を上げた。


 おおう・・・


 おおう・・・


 孝宗の身体の内から響いてくるような、そんな唸り声であった。


(7)

「そうだ。あの日、胸を貫かれた義宗を穢す師を見て・・・憎らしやと、忌まわしやと」

「あやめたのですね」

「ああーー年老いたといっても、なかなか死なぬものよ」


 言いながら、孝宗の身体が震えだした。


「初めは首を絞めたのだ。しかし、思うように力が出ずに、近くにあった燭台で打った」


 孝宗の身体が、熱を持ち、膨れ上がっている。


「背を打ち、首を打ち、頭を打った」


 孝宗の拳に力が込められている。その拳を振り上げると、勢いよく板敷に叩きつける。

 何度も、何度も、叩きつける。


「このようにな・・・こうして・・・こうしてな・・・打ちつけた」


 孝宗の顔は先までとは違い、醜いものへと変じていた。

 目を見開き、大きく笑みを浮かべた口からは、2本の犬歯が見てわかるほどに伸びている。

 紅潮させた表情は異様であり、人が見せるようなものではなかった。


「ああーー口惜しや。久々の童と思うたが・・・」


 孝宗の身体の震えが止まっていた。先までと比べ、僧衣が裂けそうなほどに背が異様に膨れ上がっている。


「ーー孝宗殿ではありませんね」

「・・・おぬしが奴を(たぶら)かさなんだら、ワシが出ずとも済んだのさ」

「この山では人が消える。そう、噂を聞きました」

「おう。ワシが原因よ」


 顔を、ゆっくりと霊仙に向け、にやりと笑った。

 黄色く光った鋭い双眸が、霊仙を見据える。

 横に大きく裂けた口の、その隙間にある2本の犬歯からは涎が垂れている。

 立ち上がったそれは、音もなく、須弥壇の前まで足を進めた。


「不思議であったのさ。即身仏となった男が、未だにこの地を彷徨っておるのがな」

「人の心は複雑なのですよ」

「ふふ・・・可笑しいよなあ。己の姿が見えるものにだけ近寄り、この堂へと案内する。だが奴は知らぬのさ。そうやって堂へと足を踏み入れたものを、全て己が喰らっていることをな」

「あなたが、でしょう?」

「ふふ・・・。記憶を違えるほどに、欲に塗れた師を尊び、己がすでに死んでいることも、人を喰っていることも知らぬまま、永劫を送るのさ。可笑しな男よ」


 孝宗だったものは、須弥壇の中にいるミイラとなった孝宗に向かい、高笑いを上げた。


「ーーふむ。それにしても・・・」


 孝宗だったものは、黄色く光る目を、霊仙に向けて唸った。


「おぬしは童らしくない。ワシの姿を見たものは皆、恐れ逃げるか、慄き平伏すものであった」

「言ったでしょう。噂を聞いたと」

「人が消える、か」

「人が人を・・・ということもありましょう。しかし、あまりにも忽然として消息が途絶える。そして、それが続いているのです。これは人ではないものの仕業であろうと、そう思っておりました」


 涼しい顔で語る霊仙を、異形の姿をした男が黄色に光る目で見ている。

 堂の中までは月の光は届いていないのだが、その目だけは闇の中であっても不気味に光っている。

 その目を見据え、霊仙は続けた。


「道中、お声を下さった孝宗殿を見て、それが(あや)しのものであることがわかりました」

「ふん。そこまでわかっておきながら、よくここに独りで来れたものよ」

「それがお勤めですので。それとーー」

「なんだ」


 霊仙は振り返り、夜の空の低いところへと目を向けた。


「独りではありません」

「・・・ふふ。それでも構わぬ。それだけ、ワシの腹が満たされるだけよ」


 低く唸り、滴る涎を拭い、妖しの目が薄く笑った。霊仙は顔を戻し、


「私を喰らいますか?」


 涼しげな表情で、そう訊ねた。


「ああ。そのために出て来たのだからな」

「そうですかーー」


 呟くと、霊仙は手で印を結び、低い声で呪を唱えた。


「オン マユ キラテイ ソワカ」


 孔雀明王の真言であった。


「・・・まさか」


 闇の中で、黄色の双眸が見開かれた。


「おい、おぬしの名はーー」

「霊仙と申します」

「霊仙! おぬしがあの霊仙か!」

「・・・はい」


 霊仙が頷いた途端、


「かあっ!」


 と、大呼するや、妖しが飛ぶように迫って来た。

 霊仙との距離は4間(約7m)はある。

 それを一息の間で、その異様な相貌が月明かりに照らされるほどにまで接近していた。


「おぬしは、殺す!」


 振り上げた腕も、身体同様に膨れ上がっていた。指先の鋭い爪が、今にも霊仙の上に振り下ろされようとしている。


 ーーごうっ


 と、霊仙の背後から、ひと塊りの影が突風の如く、妖しへと向かい飛んでいった。

 その直後であった。


「ぎゃっ!」


 霊仙の眼前にまで迫っていた妖しが、顔を手で覆い倒れている。


「・・・ええい、誰ぞ! おぬしの手の者か!」


 起き上がり、周囲に視線を巡らす。

 猛る妖しの顔面は、鼻から右頬にかけて、ざっくりと裂けている。


「どこにおる! 臆さず姿を見せい!」

「あなたの後ろにいるではありませんか」

「なに!」


 薄っすらと笑みを浮かべた霊仙が、妖しの後方、闇の宙空に向けて指を指した。

 闇に視線を向けた妖しは、一歩踏み出し、尖った爪を剥き出しに、

 ーー右へ、

 ーー左へ、

 何度も振り回した。


「須弥壇の上におりますよ」

「上だと?」


 霊仙の言葉に妖しは、黄色く光る目を凝らした。


「・・・ぬう」


 妖しが頷く。


「人ではない。あれはーー」


 妖しの目が、須弥壇の上に向けられている。

 姿ははっきりと見えていないが、その鋭い視線は壇上にいるものへと、確かに注がれている。

 その背に視線を送ったまま、霊仙は再び印を結び、


「慈悲の明王、摩訶摩瑜利(まかまゆり)の御名において、三毒滅し、功徳を施し給えよ」


 と、唱えた。

 すると、妖しの足元に突然光が漏れ出てきた。小さな光の粒は、すぐに妖しをすっぽりと包んでしまうほどの眩い光の柱となった。


「霊仙! おぬし、いつの間に呪を・・・」

「始めにそこに立った時、天上世界との道を繋げ、そして先ほどその扉を作っておいたのですよ」

「・・・三蔵を名乗るだけのことはある」

「名乗るつもりはありません。当時の私とは違うのですから」


 妖しを包んでいる光の柱が、徐々に細くなっていく。

 先まで、ふた回りほども膨れていた妖しの身体も、今ではすっかり肉が削げ落ちたようになっている。


「ワシを滅したとて、あの男は救われぬ。師を殺したのだからな。行き着くのは地獄さ」


 そう言うと、妖しは霊仙へと向き直り、笑った。

 地の底から湧き上がってくるような、低い笑い声であった。


「あなたを滅しようとは思っておりません」

「ーー何だと?」


 霊仙の、しみじみとした声に、妖しが首を捻った。


「あなたをお救いします」

「・・・馬鹿な!」

「孔雀明王は慈悲の明王。あなたの悪を全てお許しになられることでしょう。心、安らかに去るとよい」

「やめろ・・・・・・」


 光は最後に糸となり、天に昇っていくかのようにして消えた。

 再び、堂の中は闇となった。

 そこに、妖しの姿はない。

 先までの光の余韻であろうか、静かな闇の中に、いくつか光の粒のようなものが宙にひらひらと舞っている。しかし、それも次第に闇に溶け、堂の中は先までと同じ、闇となった。

 霊仙は足を進め、須弥壇の前に立った。胸の前で手を合わせ、静かに扉を閉じた。


(8)

 霊仙は夜の空を見上げている。

 孝宗の即身仏が眠る堂の板敷に、腰を下ろし、どの星を見るともなく見上げていた。

 堂の屋根には一羽の鳥が羽を休めている。

 先ほど、迫り来る妖しの顔に深い切り傷を負わせ、霊仙を救ったのはこの鳥である。

 羽を広げると7尺(約210cm)はあろうかというほどの大鷲であった。


「ーー千羽(ちはね)


 霊仙が呟く。と、鷲が左右の翼を広げ、羽ばたいた。

 ーー2度、ーー3度と羽を動かす。

 ふわりと宙に浮いたと思えば、そのまま霊仙の許へ舞い降りていった。


「ーーはい」


 霊仙の前に降り立ったのは、女性であった。

 白の袴に、黒の僧衣を重ねた僧侶の姿である。


「・・・千羽、此度もやはり違う妖物でありました」

「・・・はい」


 千羽と呼ばれた女は、小さく頷いた。

 階の下に立ち、霊仙へと向けた表情は、笑みを浮かべているようにも見える。

 白い肌に、長く伸ばした黒い髪。切れ長の瞳を今は細めている。

 その白い肌は、月明かりに照らされ、今にも光の中に溶けてしまいそうであった。


「千羽よ・・・」


 そう呼びながらも、霊仙の視線は夜の空へと向けられたままである。


「・・・はい」


 霊仙の言葉に、千羽も頷くだけであった。


 ーーと、ふいに霊仙の横に影が現れた。

 初めは煙の塊のように不確かであったその影は、次第に形を整え、人の姿となった。


「・・・孝宗殿」

「やあ、これは霊仙様。三蔵様と知らず、無礼な物言いの数々・・・申し訳もございません」


 居ずまいを正し、霊仙に向かった孝宗は、深く上体を折り曲げた。

 孝宗の身体は先までと異なり、霞がかかっているように見えている。

 それを、孝宗自身も理解している様子であった。

 孝宗は上体を起こすと、顔を千羽に向け、首を横に振った。


「ーー夢か現の中で、全てを見て、聞いておりました」

「申し訳ございません。孝宗殿も、朝日と共に・・・」


 孝宗の横顔を見つめ、霊仙が呟くように言った。

 孝宗の精神に入り込んでいた妖物を、天上世界へと送ったことは、同時に孝宗をも送ったことになる。

 このまま、なにもしなくとも朝日と共に孝宗は送られる。

 そう、霊仙は言っているのだ。


「・・・わたくしの中で、ああーーやはりそうであったか、と得心するものでした」


 孝宗は千羽に目を向けたままで、頷いた。

 千羽もまた、孝宗の視線を真っ直ぐに受けとめていた。


「師をあやめた後、呆然となっておりました。そこへ村の人々が様子を見に来られたのです。義宗と師の姿を見た時の皆さんの顔が、全てわたくしに向けられているかのように思え・・・言ってしまったのです」

「ーー殺されてしまっていた、と?」

「はい。それからの日々は辛く、苦しいものでした。いつの時でも思い出すのです。師を打ちつけている音と、わたくしの醜い心を・・・」


 孝宗の目から、涙が溢れていた。


「わたくしは、逃げたのです。あのまま生きていくことから逃げたかったのです。即身仏の行を決心したのは、せめてもの罪滅ぼしでございます。辛いものでした。しかし・・・これで全てから解き放たれるという思いがあればこそ、成し得ることができたのだと・・・」


 孝宗は流れる涙を拭うこともせず、


「わたくしは、大変な咎人(とがにん)でございます」


 震える声を抑えようともせずに、言った。


 霊仙も千羽も、口を閉ざしたままであった。

 静かな夜である。

 蜩の鳴き声も、時折吹く風に揺らされていた梢の音も、今はない。

 ただ、孝宗の咽び泣く声だけが、夜の森に響いている。


 それからどれほどの時が過ぎただろうか。

 先までは堂の真上にあった月が、今ではその光でできた影が、地に長く写るようになっていた。

 口を開いたのは孝宗であった。


「霊仙様。わたくしを送ってくださいませんか?」

「ーーはい」

「地獄へ・・・行きたいのです」


 孝宗は立ち上がり、階を降り、霊仙と向かい合った。


「師も、地獄に行かれていることでしょう。ーー会いたいのです」


 孝宗の視線を受け、霊仙は首を横に振った。


「それを決めるのは私ではありません。天上世界におられる神々が決められることです。私にできることは、生前の行を悔い改めさせ、己と向かい合う機を与えるだけです」

「・・・十分でございます。此度、霊仙様にお会いしなければ、わたくしは妖しと共に悪行を積み重ねていくだけでございました」


 孝宗は手を合わせ、深く祈った。

 それを受け、霊仙は立ち上がった。

 右手は顔の前で印を組み、左手は孝宗へと向けている。

 小さく呪を唱えると、孝宗の身体が光の柱に包まれた。


「ーー孝宗殿。この御堂を見れば、あなたが村の人々に慕われ、心の拠り所となっていると、誰もが認めることでしょう」


 霊仙が言い終えたと同時に、孝宗を包んでいた光は天に昇って行くように、消えた。

 宙を舞う光の粒が、ぽつり、ぽつりと消えていく。


 9)

「ーーなんとも切ないものですね」


 千羽は夜の空を見つめ、言った。

 その言葉に、霊仙はわずかに笑みを浮かべるだけであった。


「最後の言葉、孝宗様へ届いていたでしょうか」

「ーーおそらく」


 千羽の問いに、霊仙はそう前置きすると、


「届いていなくとも、きっとわかっていたのですよ。自身がどういう人であり、どういう人であることを求められているかを」


 そう言った。

 その言葉に、千羽は首を傾げた。


「・・・それは、なんとも」

「窮屈ではないか、そう言いたいのですよね?」

「はい」

「周りに流される人、己の意思を死ぬまで貫く人、他人に(すが)ることで生を全うできる人。それぞれなのです」


 霊仙の言葉に、千羽はどことなく得心できるところがあるのか、唇に当てた手を、胸の前でポンと叩いた。


「わたくしと霊仙様、同じでございますね」

「はい」


 霊仙は頷いた。

 それに、千羽は笑みを浮かべた。


「もうじき夜が明けます。京まで、あと3日ほどだそうです」

「はい。空から、お供いたします」


 2人は天を見上げた。

 またたく星が振ってくるような、そんな夜であった。

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