第3節
「エリアル、何か分かったか?」
「身元不明の男性は、彼女を調査していたんだと思う」
「何だって?」
「殺された彼は、たぶん、探偵かそれに近い職業だ」
スラスラとランドルに推理を語るエリアルは、柔らかい口調で続ける。
「そして彼を殺害したのは、ここに住んでいた女性」
「どうしてそう思う?」
黙っているつもりだったが、ついに口を挟んでしまった。デリックはエリアルの推理に少々苛立つ。一人は死んでいて、一人は行方不明。行方不明の人物を疑うのは一般的な推理かもしれないが。
「もしかしたら、彼女も危険な目に遭ってるかもしれないだろ? 誘拐とか」
「女性は、自分の意思で、ここから出たんだ」
「だからどうしてそう言い切れる?」
デリックがうっかり口から出した声には、隠し切れない怒気が含まれていた。
「この部屋に争った跡はないし、財布や携帯もない。家探しされた様子もない。女性が自ら、必要なものだけを手にして家を出たからだ」
「憶測だろ」
「憶測かもな。キャリーバッグがないのは事実だが」
デリックの言葉尻を奪うように話したランドルが、キャリーバッグの消失を告げた。ランドル曰く、寝室のクローゼットにキャリーバッグが収納されていたスペースはあったが、バッグそのものは無かったらしい。
「寝室に置いてあった写真を何枚か見たが、旅行のときはそれを持って行くようだった。誘拐犯がわざわざキャリーバッグを持って行かせるか?」
「……分かった、でも、彼女が自分で逃げたからって、殺人犯かどうかは分からないだろ」
「だが重要参考人だな」
温度を感じさせない口調でランドルが断言した。
「女性がもし犯人じゃなかったとしても、殺害した場所はここからだ」
エリアルが、柔らかな口調のままで告げた言葉にデリックは閉口した。ここから、と彼が示したのは外に面する窓だ。
「こんな場所から突き落としたとでも言うつもりかよ?」
窓は大の男が通るには窮屈なサイズで、被害者を突き落せるとは思えない。
「突き落したわけじゃない。ここから、投げ捨てたんだ」
「投げ捨て――何を?」
ランドルが険しい顔でエリアルに問う。会話しながら一歩ずつ後退していたデリックは、ついに部屋の扉の前まで来ていた。二人が窓の外に注目している今であれば、逃げ出せる。
しかし、駆け出そうとしたデリックの足元に、身に覚えがありすぎる感触が蘇った。巻き付いた尾と、わんという鳴き声。スコットだ。最悪のタイミングで戻って来た。
「オマエ――」
「スコット。ありがとう」
尾に捕まったことよりも、目下の探偵犬が銜えていたものを見咎めて、デリックは瞠目した。動揺がスコールのように身構える隙を与えずに押し寄せる。
エリアルはスコットの前に膝をついて、銜えていたものを受け取った。彼がスコットに頼んだことが何だったのか、そこでようやく理解する。エリアルの言葉に惑わされて、逃げ出すチャンスをふいにした自分を呪うしかない。
「それは?」
ランドルが訝しむそれは、デリックの大切な物――スコットに盗まれた物だ。
「スコットがランチタイムの前に持って帰ってきたんだ」
「……そういうことか」
「スコットは昔、警察犬をしてて、そのときの感覚が残っているのか、血の匂いに敏感なんだよ」
スコットの頭を撫でながら、穏やかな声のまま話すエリアルを、デリックは黙って見つめた。
「だから、血の匂いがするものを収集してくる癖がある」
エリアルの手にあるものは、赤黒く汚れた花瓶。ひび割れているが一応は形成を崩してはいない。分厚い造りのおかげで、衝撃にも耐え抜いた。
しかし、次に何かしらの衝撃が与えられればあっさり割れてしまうだろう。小ぶりだが重い花瓶が、エリアルの手からランドルのそれに移された。
「血痕を調べれば、この下で亡くなっていた男性のものと一致すると思う」
「ああ」
短く答えたランドルが、無線で警官を呼ぶ。
「それで、実際のところ、容疑者はコイツか?」
デリックを一瞥して手錠を手にする彼から、一歩身を退いた。デリックが後退した分、ランドルが一歩前に出る。じりじりと互いの間合いを見ながらタイミングを計った。
「デリック・ユーイング。一緒に来てもらおうか?」
伸ばされた手を振り払う。男に指図されるのは嫌いだ。
「バレる前にここから逃げ出して、その証拠品を取り戻す予定だったんだけどな」
「それは自供か?」
「そう思いたければドウゾ?」
双肩を竦めて、抵抗の意思がないことを示すために両手を挙げた。険しい顔のランドルとは正反対に、エリアルが小さく笑っている。自分の推理が正解して喜んでいるのだろうか。それにしては、浮かべた笑顔には陰がある。
デリックが疑問を抱いたのと、エリアルが口を開いたのはほぼ同時だった。
「彼は犯人じゃないよ」
「は?」
「でも、彼は犯人を知っている」
「オレ、たった今、自供したんだけど」
デリックは自分の犯行を認めたというのに、エリアルが首を振ってこちらの主張を軽く否定した。本人がイエスと言っているのだから、他者がノーと言っても意味がない。
「あなたは素敵な人だけど、殺人犯を隠ぺいするのはだめだ」
困ったような顔をして、相も変わらず穏やかな口調で告げる名探偵は、視線を足元に落としてからすぐにデリックを見つめ直した。その動作が示すものを理解できてしまう。デリックはクソ、と吐き捨てて溜息を吐く。だから早く二階を見ろと言ったのに。
ランドルが理由を問う。答えなくていい。デリックは罪を認めている。わざわざ真実を掘り起こす必要など、どこにもないだろう。しかし、エリアルはデリックの甘えを許さない。足元でスコットが飼い主に同意するかのように、わんと大きく鳴いた。
他者はいつだって、デリックがデリック自身を評価するようには評価してくれない。歯痒さに、苛立ちが募る。
「一階のキッチン。調理中だった」
「ああ。それが?」
「でも、棚には一切の調味料がなくて、ゴミ箱には空っぽの調味料入れ。」
「料理の途中で、調味料がないことに気づいて買いに出た? だから中途半端なままだったのか」
「そう。でも、料理していたのも、調味料を買いに出たのもここに住んでいた女性じゃない」
「……つまり、デリック・ユーイングってことか」
まるで見ていたかのようだ。デリックは苦虫を噛み潰したような気分になった。
探偵という職業は胡散臭いと個人的には思っていたが、存外、推理力は備わっているらしい。それとも、エリアルが特別なのだろうか。
「だが、どうして女性が料理していないと分かった?」
「メイク道具がテーブルの上に散乱してた。アイシャドウケースの蓋は開けっ放し。グロスの蓋もしてない。おまけに着替える途中だったみたいだ。マットレスの上に散らばっていた衣類の中に上の服はなく、脱ぎ捨てられたルームウェアの上はあった。きれいなままのスカートはあったけど、ルームウェアの下がない」
「言われてみれば」
「化粧をしてから上の服を着ると汚れるかもしれないから、化粧する前に上だけ着たんじゃないかな。だから下はルームウェアのままだった」
「化粧に詳しすぎて怖いんだけど」
ついついツッコミを入れてしまったが、エリアルの推理は正しい。しかし、欠陥もある。
「洋服はダンボールの中にもあるけど、なんで上の服がないって言える?」
「タグだよ」
「タグ?」
先刻、エリアルが熱心に眺めていたスカートだ。そこには確かに、タグがついている。
ランドルが他の洋服を探り、首を振る。タグはどこにもない。スカートについたままのタグには、上下二点セットの文字。セットで安く売られていた服を購入したようだ。マットレスの上に散らばる衣類の中にも、当然ながらタグつきのものはない。
「着替えと化粧をしながら、わざわざ一階に下りて料理も……というのはあまり現実的じゃないし、僅かだけど甘い匂いが残ってた」
「甘い匂い?」
片眉を器用に上げたランドルに、エリアルが手にしていたスカートを差し出す。口での説明よりも嗅いでみろということらしい。意外に雑だ。
「このスカートにも残ってる」
「? ……ああ、なんとなく。香水か?」
不可解そうにしながらも匂いは認められたのか、ランドルが頷いた。
しくじった。香水は嗅ぎ慣れてしまってデリックには意識できない。大失態だ。デリックは奥歯を噛み締めた。
推理物にチャレンジはしてみましたが撃沈しました……。