婚約破棄の現場で~恋を知らない私は悪役になってあげる~
大好きな幼馴染だった。いずれ結婚する相手なのだと知らされても、私たちは仲の良い幼馴染同士でしかなかった。
幼馴染に恋人ができても、彼は私にとって大好きな幼馴染に変わりはない。
恋を知らない私は、恋を知った婚約者が羨ましくて、温かく見守っていた。
そう、この時までは。
「キャロライン! そなたは私との婚約にこだわり、王子の婚約者としてふさわしくない行動が目にあまる! よって、そなたとの婚約を破棄し、王子ではなく、私を見てくれるジョディとの婚約を宣言する!」
「?」
ふさわしくない?
「言い訳をするとは見苦しい! そなたはジョディの物を壊して、嫌がらせをしたではないか!」
何を言われているのか、一瞬理解できなかった。
「何をおっしゃっておりますの? 私はジョディ様に何もしておりませんわ」
だから、私は幼馴染から信じられていないことを思い知らされて、何かが壊れてしまった。
私と幼馴染の婚約は幼馴染の後ろ盾を作る為のものだった。私にも幼馴染にも、幼馴染の恋人にも婚約を失くすだけの力はない。私が了承していても、私の代わりに後ろ盾を与えられない幼馴染の恋人。幼馴染の為に私ができることは、幼馴染の恋人を我が家に養女として受け入れるように父に進言することだけ。
でも、幼馴染のことを考えて行動したのに、幼馴染は私を信じない。
あんなに仲が良かった私の言葉を信じない幼馴染。
仲が良いと思っていたのは私だけだったらしい。
信じられる人だと思っていたのも、私だけだったらしい。
笑い声が込み上げてくる。
壊れたように笑う私を不審な目で見る幼馴染たち。
父や陛下たちがまだ来られていないとはいえ、この国のほとんどすべての貴族が集まるこの場で言うことだろうか。
王太子殿下夫妻だけでもこの場にいればこんなことをやめることがわかっていて、わざとこのタイミングでおこなったのだ。早めに迎えに来たのも、恋人を後で城の一室から連れて来る時間が必要だろうからと微笑ましかった理由はこれだった。
そこまで私が目障りなのだろうか。仲の良い幼馴染である私が婚約者としてふさわしくないことを公表し、婚約破棄の事実を周知してまで恋人を選ぶのなら、私にも考えがある。
悪役にしたいなら、悪役になってあげる。
「何がおかしい?!」
「これは異なことを。笑うしかございませんわ」
本当に笑うしかない。
私は殿下の後ろ盾にと選ばれた家の娘。
その家の影響力がどれだけのものか、殿下はわかっているのだろうか?
恋人と一緒にいたい為に繰り広げたことが自分の人生をどれほど狂わすのか、わかっているのだろうか?
こうしなければ、恋人を日陰の身に置くしかないと自棄を起こした結果が、わかっているのだろうか?
私を馬鹿にしているとわかっているのだろうか?
私に汚名を着せて我が家の名に泥を塗り、私を捨てて我が家の後ろ盾を失い、このような騒ぎを起こした責任をどのようにとるつもりなのか?
とくと、拝見させていただきましょう。
「何だと?!」
「おわかりになりませんの、殿下? あなた様がなさったことがどのようなことか? 私はハウリンガム公爵の長女キャロライン。王太子殿下がイヴリム王国からタムリン様を妃に迎えている今、殿下は国内の貴族に大きな影響力を持つハウリンガム公爵家の娘と結婚しなければならない身。たとえ、相手が殿下の恋人に嫌がらせをしようと、ハウリンガム公爵家の娘との婚約を破棄することは殿下ですら許されておりませんのよ」
王太子殿下はイヴリム王国との繋がりを深くする為にイヴリムの王族のタムリン様を妻に迎えた完全な政略結婚だ。
私と殿下の婚約は国内の貴族からの支持を集める為になされたもの。王太子殿下がタムリン様と結婚なさらなかったら、殿下が代わりにイヴリム王国の王族の女性と結婚し、私が王太子殿下と結婚することになっていた。
しかし、こんなことをしでかした殿下を許しては我が家は馬鹿にしてもいいと見られてしまう。私の次に殿下の婚約者に選ばれるのはフーディナ侯爵令嬢のナディア様。
可哀想な殿下。せっかく、私は恋人と一緒になれる道を残していたというのに、私ではなくあの嫉妬深いナディア様と結婚する羽目になるなんて。
まだナディア様は他の方と婚約をしていても、すぐに殿下との結婚話がまとまるはず。私が殿下の婚約者だからと、目の敵にされていたから。
殿下の恋人がされたことも、ナディア様がやっていたものかもしれないというのに、その当人との結婚を自ら選ぶなんて、ご愁傷様でした。
「それなら、ハウリンガム公爵がジョディを養女にすればいいだけではないか」
私がしてもらおうと働きかけていたことだけれども、この婚約破棄騒動を起こされてもまだ父がしてくれると思っているほど、殿下はおめでたい頭をしているらしい。
「残念ながら、それは無理ですわ。私にこのような真似をした殿下の望みを父が聞き入れるとお思いで? そこまでハウリンガム公爵家をあなどられるおつもりですか?」
「・・・! だ、だがっ・・・!」
殿下もようやく自分がしでかしたことの意味が理解できたようだ。政略結婚の意味を忘れ、恋人を養女にしてもらう相手に非礼を働いて侮辱して、取り返しのつかない状況に陥ったことに。
「どのようなことをおっしゃられても、殿下はその方と結婚することはできません。もし、本当に殿下がその方のことを想っているのなら、次の婚約が調う前に別れを告げるのが思い遣りというものですわ」
ナディア様は嫉妬深いので、婚約した後に殿下の恋人に何をするのか、私にもわからない。
だからといって、ハウリンガム公爵家の私と婚約破棄し、フーディナ侯爵家のナディア様との縁談も駄目にした場合、殿下の価値はまったくなくなってしまう。役に立たないどころか、権勢を誇る貴族たちの怒りを買って、味方になる貴族のいなくなった王子など、生きているだけで厄災になる。それが自分の将来の姿だと気付くだけの頭ぐらいは持っていて欲しい。
殿下が亡くなった場合、王太子殿下のご子息がハウリンガム公爵家の娘か、フーディナ侯爵家の娘と結婚するしか方法はない。その場合は王子妃ではなく、王太子妃だ。国内の貴族を馬鹿にした殿下の振る舞いへの怒りを鎮める為には王子妃では足りないのだから。
「なんだと?!! 私のジョディへの愛を馬鹿にするつもりか!!」
この段になっても、自分の恋愛のことしか頭にないのか・・・嘆かわしい。
「殿下。あなたは貴族を馬鹿にした行動をとりすぎております。あなた個人だけではなく、王家に対する不信の種を撒いていることにお気付きにならないのですか?」
「私がそのようなことをするわけがない」
「ハウリンガム公爵家の私を証拠もなく悪し様に罵り、婚約破棄を言い出したのはあなた様ではありませんか」
自分の失態に気付いたのか、殿下は目に見えるほど動揺した。
今更、気付いても遅い。遅すぎる。
「それは、そなたがジョディに嫌がらせをしたからで――」
「その証拠はどこにございますの?」
余程自信があったのか、殿下は自信を取り戻して言った。
「実際にジョディの持ち物は壊され、ズタズタにされたドレスがある」
だが、その証拠はそれはあまりにも間が抜けていた。
「それは証拠になりません。それを私がしたという証拠はどこにありますの?」
それを突いてみれば、また視線を彷徨わせ、しどろもどろになった。暑くもないのに汗が滴っている。
「それは・・・、そなたがやっていなくても、そなたに命令をされた者がやったのだ」
「その命令をされた者を連れて来て下さい」
あまりにもいい加減なことを言うので、私の声も低くなった。
「それは・・・」
「実際に嫌がらせをやった者すらわかっていなかったのに、私のせいにされたのですね。殿下、このことは父に報告させていただきます。では、父のところに行きますので、これにて失礼いたします」
私の両親だけでなく、国王夫妻と王太子殿下夫妻もまだこの場に姿を現わしていないからといって、殿下はやりすぎた。貴族を代表するハウリンガム公爵家の私に対する振る舞いにこの場にいる貴族の誰もが冷たい目を向けている。
「待て! 誰か、キャロラインを止めろ!」
警備をしていた兵が礼をして立ち去る私の行く手を阻み、私の腕をつかもうとする。
「無礼者! 私がハウリンガム公爵家のキャロラインだと知っていて、このような真似をするのですか! 私を罪人扱いした結果がどうなるかわかっていて、やっているのですか?!」
叱りつければ、兵は動きを止めた。ここの警備をしている貴族出身の者なら、私を拘束しろと言われて応じる馬鹿はいない。
「しかし、殿下の命が・・・」
私を止めようとした兵は平民出身なのだろう。殿下自身が貴族を軽視したおこないをやったばかりだ。そんな、殿下の命令に従う気になる貴族はいない。
「殿下の命があろうと、罪人ではない私は逃げも隠れもいたしません。それを拘束しようとは、それ相応の証拠を用意してからになさい!」
そう言ってやれば、私を拘束しようとした兵にも、この理不尽な命令に従う必要がないことがわかったのだろう。
「はっ!」
快く、前を空けてくれた。
私は父と合流すべく、毅然と立ち去った。その前をさえぎる者は誰もいない。
「何故だ?! 何故、誰も私の命令を聞かない?!」
後ろから殿下の怒鳴り声が聞こえたが、最早、誰も私を拘束しようとは動かなかった。それはまるで殿下自身への人望を表しているようだった。
「誰も王子である自分しか見ていないと殿下がおっしゃったように、殿下も我々を肩書きでしか見ないからです。殿下は私を婚約者としてしか見ていなかったようですが、私はあなた様を幼馴染として見ていたのですよ」
足を止めて、殿下の疑問に答えてあげた。
その時、殿下がどんな表情をしていたのか知らない。声が震えないようにするだけで私は精いっぱいだった。
力いっぱい目を閉じ、目を開けると私は退出する足を速めた。父にはあとで報告すればいい。きっと、この騒ぎは誰かが教えてくれるだろう。
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十代で老嬢(結婚できなかった令嬢)生活を市井でしている私の耳に、ナディア様と結婚した殿下の愛人が亡くなったとの噂が入って来た。
忠告したというのに、殿下は今度も私のことを信じてくれなかった。
「キャロライン様、ただいま戻りました」
甘い声をかけ、屋敷から連れて来た使用人の一人、執事のマークがノックをして居間に入ってくる。マークが私の名前を呼ぶ時に甘くなるのは、彼の中で私=お菓子という印象があるから。
昔、厨房でもらったお菓子を隠れて食べる時に使用人たちに配って黙っていてもらっていたことがある。マークもその使用人の一人で、お菓子が好きな彼はお菓子がもらいたい時に私をこう呼んでねだるのだ。
他にこの家に連れて来た使用人は一人前の仕事ができるようになった若いメイドたちと早めに引退した料理長。若い男手はマークしかいないので、力仕事や屋敷との連絡役は彼がしている。
屋敷に定期連絡をしにいくついでにジョディ様の死の詳細を聞いてきてくれるとマークは言ってくれていた。
私ははやる心を抑えて、笑顔を浮かべる。
「お帰りなさい、マーク。さっそくで悪いのですけど、どういうことかわかったかしら?」
「お嬢様がジョディ様の死の詳しい事情を知りたいだろうからと、旦那様が教えてくださいました」
「お父様が? そう。それなら間違いないわね」
父はこの国で一番貴族に影響力のあるハウリンガム公爵。王から重用されているだけに、情報が王の愚痴で手に入ることも多い。
「旦那様の話ではジョディ様はナディア様の結婚前からいじめられていて、怒ったあの方が初夜をすっぽかしたそうです。その数日後、ジョディ様の死体が発見されたとか」
殿下は私の忠告を無視したようです。
ナディア様は嫉妬深いというのに、どうしてジョディ様を解放してくださらなかったのでしょう?
わかっていることは、ナディア様がジョディ様を殺した証拠が見つかったとしても、ナディア様を罰することも、離婚することもできないということ。
ナディア様はハウリンガム公爵家の次に権勢を誇るフーディナ侯爵家の娘。ハウリンガム公爵家の娘である私を侮辱して婚約破棄した殿下は、フーディナ侯爵家の娘と結婚し、フーディナ侯爵家を怒らせないように妻のご機嫌を取らなければいけない身なのだ。
ジョディ様が詳しく話せないような殺され方をしても、ナディア様の勘気に触れるようなことをした殿下が悪い。
「・・・。私も殿下と結婚していたら、ナディア様に殺されていたかもしれなかったわね」
それでも、ナディア様は私が思っていた以上に危険な方のようです。
「ナディア様は別の方と婚約されていたのに?」
「ええ。ナディア様は殿下を慕っていらしたもの。殿下の後妻に入る為に婚約を解消するくらい、気にもされないわ。貴族なら王族に娘を嫁がせたいもの。誰も批難しないし」
ジョディ様を殺され方が言えないような姿にしたナディア様に寒気がしました。
「私が死なずにすんだのは、我が家の権勢と警護のおかげ。お父様にお礼を申し上げにいかなくてはね」
「そうでございますね」
感慨深げにマークが頷く。
「恋を知らなくて良かったわ。もし、私が殿下に恋をしていたら、ナディア様が絶対、許してくださらないもの」
私が前言と異なる異なるを口にしたので、マークが眉を寄せた。
「旦那様がいらっしゃってもですか?」
「お父様が誰であろうが、我が家がなんであろうが、ナディア様なら殿下を恋い慕う婚約者の存在を許すはずがないわ」
「それは、怖いお嬢様ですね」
マークが何を考えているのかわからない顔で頷く。
「ええ。殿下を恋い慕っていない私だから、嫌がらせ程度ですんだのよ。私は幸運だわ」
「そうですね、キャロライン様」
心から嬉しい時に浮かべる顔でマークが頷いた。彼とは子どもの頃からの付き合いだが、こういう顔をするのはお菓子を食べている以外では少ない。
「何か良いことがあったの、マーク?」
「キャロライン様の無事を神に感謝していました」
マークはそれは綺麗な笑顔を浮かべて答えた。
キャロライン・・・婚約者である幼馴染が大好きで、彼の恋を応援していた。子どもの頃に厨房からもらったお菓子を食べる時は使用人にも上げて口止めしていた、ちゃっかりさん。現在は孤児院に読み書きや計算を教えに行っている。
ナディア・・・キャロラインの婚約者に横恋慕していた。執着心や独占欲が強い。
マーク・・・キャロラインの家の使用人。キャロラインの恋心を摘みまくって、幼馴染が大好きレベルにまで落とした張本人。
キャロラインを止めようとした兵・・・平民。騎士もこの場にいたが、貴族出身だったのであまりにも馬鹿な殿下の命令には動かなかった。