雨が上がる間に
夏の天気は変わりやすい。
さっきまで快晴だったのに、空が急に雨雲で覆われたり、大雨の直後にまたカラリと晴れたり。
俺と原田が夕立に見舞われたのはテスト3日目のこと。
テスト終了後、アパートに帰ろうかと歩いていたら、中庭で原田とばったり会った。同期で、同じ学科で、同じ演劇サークルに所属してるから、会うと結構長く話をする。男女の仲間内で話題になる内容が違うから、かぶってる授業の情報交換は結構有効だし、俺が大道具で原田が衣装だから、作業の擦り合わせも必須。この時も「夏休み前にある程度決めておかないと、みんなつかまらなくなるから困るよな」なんてサークルの話をしていたら、頬が濡れた。
「ん?」
思わず周りを見回す間に、ポツポツと雨が落ちてくる。
「原田、傘……」
「こんな天気いい日に持ち歩いてるほど、女子力高くない」
「だよな」
「あっさり認められると、それはそれでムカつく」
そんな掛け合いをしているうちに雨脚がひどくなる。5分前には考えられない、バケツひっくり返したみたいな雨。
「部室!雨宿りに部室行くぞ!」
「うん!」
俺と原田はダッシュで部室棟に向かった。
「めちゃくちゃ濡れたー」
「俺も。とりあえず除湿機かけようぜ」
「うん。あー、靴下気持ち悪い」
「原田、スニーカーだもんな。脱げば?しばらく干してれば乾くだろ」
「うん」
そう言うと、原田は椅子に腰かけてスニーカーと靴下を脱いだ。
「ん?どうかした?」
「……いや、別に」
俺の目は、原田の足元に、釘付けになってしまった。
原田はいつも色気のカケラもない恰好をしている。上は身体のラインが出ないゆるくてシンプルな服を重ね着していることが多いし、下は常にジーンズ。化粧は薄いし、アクセサリーも付けない。
『中村、原田とよく話してるじゃん。付き合ってんの?』
『ちげーよ!サークル一緒だし、かぶってる授業も多いから、話す機会が増えるだけ。あいつに女とか感じたことないし』
そんな、友人との会話を思い出す。2分前までこの言葉に嘘はなかった。だが今は。
自分でもちょろいと思う。
原田の足の爪には、とても綺麗なピンクのペディキュアが施されていた。たったそれだけなのに、めちゃくちゃどきどきしてる俺がいる。
「あー、裾も気持ち悪い」
そう言うと、原田は雨に濡れたジーンズを少し上に捲り上げる。
足首、細くて引き締まってる。ふくらはぎ、白い。
思わず左手を胸に当てる。鼓動が大きくなっていくのがわかる。鎮まれ!俺の左手!
「シャツ着替えたいな……。そうだ、彩の練習着、借りよ」
「そっか、役者の練習着。俺も借りる」
お互い部室をごそごそ漁って、適当なTシャツを見繕う。
「……一応信用してるけど」
「なに?」
「絶対、着替えのぞかないでよ」
「誰が見るか!バーカ!」
お互い部室の隅で着替える。洗いざらしのTシャツが気持ちいい。
「もう、そっち見ても大丈夫か?」
「う、うん……。まあ、いいよ」
? なんだか歯切れが悪い。
「じゃ、そっち行く」
俺が目を見開いたことを、気づかれませんように!思わず全力で祈ってしまった。
「彩、ほっそいもんなあ。やっぱりちょっと小さい……」
「高橋、確かにひ……やせてるけど、原田、お前別に、全然、太ってねえよ」
「ほんと?」
「うん」
神様!原田はいっつも身体のラインが出ない服を着てたので!こんなに!巨乳だって!全然!気づいてませんでした!俺がバカでした!!
友よ、原田に女を感じたことなんかないという言葉を、謹んで訂正する。させてください。
もう、原田が、女にしか見えない。
「そんなに気になるなら、男役者のTシャツ、借りれば?」
なんだか大変着心地が悪そうなので、一応提案してみる。
「あ、そっか。でも、いいかなあ?」
「いいよ。あいつらそんなん気にしねえよ」
っていうか、俺がその悩殺Tシャツ姿、気になって仕方ねえよ!理性が保たれてるうちに、お願い着替えて。着替えてください!
そんなことを考えている間に、原田は男役者のTシャツに着替えてきた。
「男物やっぱ楽だー。涼しいし、いいねえ」
「お、おう」
神様、俺があさはかでした。一度巨乳だって知ってしまったら、男物のTシャツ姿が、彼Tにしか見えない。むしろ俺のを着せたい!
「喉、かわいちゃった。中村も飲む?」
「お、おう」
「氷は?」
「いる」
原田が冷蔵庫を開け、ペットボトルを取り出す。ああ!彼T、後ろから見たら透けブラかよ!最高かよ!
「はい」
「おう、サンキュ」
原田は俺にお茶の入ったコップを手渡すと、向かい側に座り、自分のお茶を飲む。それを見て、はっと気づく。男物だから、首回りがゆるい。
「なかなか止まないねえ、雨」
「……まあ、夕立だから、もうすぐ止むだろ」
つい、反応が遅くなってしまう。原田の首元に目が釘付けになってしまったんです。お茶を飲み干す時、喉がゆっくり波打つように動いて、汗か雨かが光って、なんかすごく、色っぽく……。
「どうかした?」
「あんまり暑くて、ちょっとぼんやりしてた」
「だよねえ、暑い!」
そう言って原田は微笑む。その唇がちょっぴり艶めいていて。思わず口に含んでいたお茶を、ごくりと飲み込む。
「あ、雨、止んだみたい。ほんと、夏の天気は変わりやすいよね!」
「ああ……」
俺の心模様も、空模様よろしく、雨が降る前と今とでは、すっかり変わっていますけど。
コップの氷が、カランと音を立てて、溶けた。