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出あうことのない二人、出逢う  作者: 柿ノ木コジロー
第3章 夕 ― ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
8/18

―― 私。午後6時47分


 うるさい、黙って。


 私のことばに娘はびくっと肩をふるわせ、そのまま無表情の仮面を貼りつかせた。


 夕方のローカルニュース、キャスターのことばを聴きとろうとしたとたん、あのねえあのねえ、今日すごいんだよミツキちゃんがさ、と話し始めた彼女を、私はそう言って遮った。

 そんなことは、多分初めてだったと思う。


「このように彼の有名な作品が国内はもとより、県内の美術館にお目見えするのは初めてのこととあって……」

 カメラのはるか彼方で唐突に訪れた沈黙など、まったく意に介していないだろう、爽やかなキャスターの男声が滑らかにそう続けている。


 映し出されている絵を、よく知っていた。




 彼の告白は、ここからきていたのだろうか。







 私は左利きだった。元々、何をするにもまず左手が出た。父親は気づかず、私にお小遣いだよ、と小銭を渡す時、私がよく手から取りこぼすのを見て呆れていた。

「お前、ぶきっちょだなあ」

 と。その中で一番大きな額の百円玉とかが決まって、どこか溝の蓋の隙間に吸い込まれたりしてそれもまた私には陰鬱な思い出だった。


 母親は嫌がった。

「将来が暗い」と面と向かって私に言った。

「ねえ、そんな子が持つハサミはないのよ、一生ハサミが使えない、そんな子になりたくないでしょ」

 いつの間にか、細かく注意されて私は矯正されつつあった。鉛筆も、筆も、もちろんハサミも包丁も右手で使えるようになった、というより左手は、そういう文明の機器の前では何も役に立たないとでも主張するかのように沈黙を守り通していた。

 しかし、ボールや石を投げる時、ちょっとした物を受け取るのに左の手がでる時、気がついた母親には「反対よ」としばしばたしなめられた。それでも、私という目の粗い存在のそこかしこの隙間から、忌々しい「左利き」の影が覗くことがあった。


 ある日、まだ小学生だったと思うが、親戚のお葬式があった。

 私は斎場で、がやがやとした祓いの席に、ひとりぽつんと座ってたいしておいしくもない料理をつついていた。

 親戚間の他愛ない昔語りや噂話にすっかり辟易していた私は、亡くなった人の話題が出た時にふとこうつぶやいた。


「人間は、死んだらもう何も残らないんだよね」


 そう口に出したとたん、急にまわりが静まり返った。

 思ったより声が通ったらしい。何だか引っこみがつかなくなったはずみで、私はこうも付け足した。


「でも、人はなぜ必ず死んでしまうの」


 母親の強張る表情で、しまった、と気づいた。

 こういう質問は、もっと幼い、幼稚園児などがあどけなく発するのには全然問題がなかったのかも知れない、しかし、ちょうど、間が悪かった。私の声は妙に冷静に、可愛げもなくその広い和室に響き渡ってしまったのだ。


 一瞬の間をおいて、叔父の中でも酒が好きで陽気な1人が、ふざけたように

「なぜ死ぬかって……さえちゃん、そりゃ、心臓が止まっちまうからにきまってるさ」

 そう茶化し、周りは一斉に笑いだした。

 ほっとしたような笑い、そしてまた、がやがやと、葬式とは言えそれなりに賑やかな食事の席となる。


 私はすっかり、取り残された気分だった。少しだけ顔を上げてみて、母と目が合った。


「嫌な時に、嫌なことを言う子だね」


 そんな目がほんの刹那、表情の中に見えた。私は再び目を落として、さっきから突きまわしていた白身魚の残骸をみた。


 当たり前のことだが、それはすっかり死んでいた。


 魚の食べ方が下手だとよく言われた。食べ方が下手なせいもあってか、冷え切っていたせいか身がバラバラに千切れ、離れ切れていない小骨が散らばり、あまりにも無残な姿にみえた。

「そんな食べ方だと、魚さんがかわいそうだよ」

 私の皿をのぞきこんだ叔母が、遠慮のない声で言うと、私の手元から皿を取り上げた。

「どうしてそんなに不器用なんだろう? この子は」

  

 右手で箸を持たされているからだ、とその時急に深いふかい憎しみを覚えた。


 誰に? それとも、何に?



 私の周りの全ての正しいと思われている規範に、だったのかも知れない。その枠からはみ出そうとするあらゆるものごとに対し、いちいち目くじらをたてて定位置に戻そうとする全ての正しさに対し、私はその時静かに激しく憎悪を覚えた。


 しかし私は、どこにもそれを吐き出すことはしなかった。短く鎖に繋がれて始終小突かれている犬は、鎖を外してもらってもすぐにはどこかに飛び出してはいかないものだから。

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